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サイトおさめ


あ〜〜〜〜〜〜今年もあと二日ですね。お正月を迎える準備は整いましたか?
私は夜勤ミッションが終了した11月から今までの2か月間、小さな小さな「やらねばならない事」をひとつずつ、ゆっくりゆっくり、でも確実にじわじわとこなし、だいたい片付いて今はホッとしています。あ、年末大掃除は除外です。あれは年明けてからゆっくりやると決めている。

今年は喪中でした。
喪中の何がつらいって、今年はうさぎ年だったのに年賀状をどこからも貰えないって事です!(管理人はうさぎマニア)
ことあるごとに声を大にして「可愛いうさぎの年賀状ちょうだい!え、喪中だから無理?いやいやかまわない。どうしても気になるって人はうさぎの絵柄の寒中見舞いください」って訴えました。
すると、一人だけ!手書きのうさぎのイラストの寒中見舞いをいただきました!Kさん、ありがとう!嬉しくて泣きそうでした。
それだけです。あとは誰からも……;まあね、喪中に年賀状くれと言う方が無茶ですが(^^;
……ちなみに来年も喪中です(笑)いや笑いごとじゃないですけど。でも辰年はまあいいか〜。

なんにも更新できない一年だったなぁ。ひとつも更新無しなのはサイト開設して初めて。日記すら碌に書けなかったし。
本当はね、今日アップしようと思っていたネタがあって、そのための写真も撮ったんだけど間に合わなかった////そのネタは年明けに回します。
来年は、せめて日記の頻度を上げたい。あと小説にしても絵にしても更新ゼロって事にならないようにしたい。
期待している人は誰も居ないだろうけど、自分が見たいし書きたいので一人密かに来年の抱負って事です。あ、久しぶりにエロもいいな♪

そんなわけで、30日は毎年恒例の帰省なので今日が最後の日記です。帰宅したらまた来ます〜!
それでは、どなた様もよいお年を!

2023年12月30日(土)晴れ

ふぁぼした人とのありもしない思い出を語る


お久しぶりですこんにちは。
前回の日記の最後に「また近いうちにここに顔を出したい」とか言っておきながら3ヵ月以上経ってしまいました。近いうち詐欺ですね。スミマセン;とりあえず元気です。

ところで、今日の日記のこのタイトルはなんぞ?って感じですが、ツイッター(Xとは呼びたくない)でフォロワーさんがハッシュタグで呼びかけていたので、ふぁぼ(いいね)して話にのってみました。

そういちSS1

こんなふうに呼びかけてたので、それじゃあひとつ私とのありもしない思い出を語ってもらおうじゃないか!と思い、いいねをポチ。
それで語られたのはコレ↓

そういちSS2
そういちSS3

このお話に出てくる図書館の司書は私だそうです。長い時を経て図書館の番人になった大きな楠の化身。
私もツイッターで短編小説を150くらい書きましたが、いやもう、読んで感動しました!
自分はいつか朽ちて倒れたら図書館を押し潰しちゃうから、そうなる前に自分を切り倒してほしいって頼むんですよ。儚く微笑みながら。自分の命と引き換えに図書館を守ろうとするなんて……なんという自己犠牲!司書の鑑!(´;ω;`)ウゥゥ……切ない……切ない萌え!
あと、自分が小説の登場人物になるなんて初めてだから嬉しい。木の化身なのも嬉しい。

ツイートの日付見てわかるように、実はこれ今から6年前の文章なんですよ。今頃反応する自分もどうなのって感じですが、ずーっと密かに萌えてました。
これを書いたそういちさんは全然覚えてなかったそう(笑)でも、なぜこういうお話になったか語ってくれました。

「自分の同族を切り倒して作られた本たちを、遺品ではなく『本』として愛してしまったから司書を務めたんだと思うし、だからこそ自分も末には切り倒されて本のために尽くすという帰結」
「こういう世界観で文字の守り手、司書というならNAOさんしかないからそのつもりで書いてたと思います。」
「『巨木の化身』てとこが、当時NAOさんの書いてた作品の厚みに「自分はこんなふうに積み重ねていけない」と見上げてたんだなって感じますね…」

……なんか、えらい買いかぶられてるようなこと仰ってますが。
そういちさんは二次創作の方で普段オリジナルのジャンルは読まないと思ってましたが、君花を読んでくださってた???たしかにサイトはご存じだけども。もしそうだったらとても光栄です。そしてまた厚みのある(と思ってもらえる)小説を書きたいなぁと創作欲を新たにするんでした。

そんなわけで、自分が登場する萌えSSを紹介させてもらいました。
今度こそまた近いうちにここに来ます!年内にあと2回くらい日記更新したい。

2023年12月19日(火)晴れ

つれあい


※とてつもなく暗い話ですのでご注意ください。閲覧非推奨です。

4ヶ月半ぶりですかね、お久しぶりです。コロナはおろか風邪もひかず元気でした。
この一年間いろいろありまして、一度自分のサイトで記事にしないと前に進めないので書きに来ました。

昨年9月につれあいが亡くなりました。たまにこの日記で「家族」と称していた人です。

人生の約半分を共にした人で、子供も無くずっと二人暮らしをしていたので居なくなってしまって私は本当に一人ぼっちになってしまいました。
こんな話をする人も居ないので自分の気持ちを整理するために書き残しておこうと思います。
そういう内容ですので、今回コメントはご遠慮ください。いただいてもレスはできません。
長い話になります。


○経緯
昨年の5月20日(金)。彼は昔から低血圧症で、定期的に病院で血圧が下がらない薬を処方してもらってました。
この日、診察代と薬代を渡して私は近くのスーパーで買い物をしながら診察が終わるのを待っていました。(コロナ禍のため患者以外は院内に入らない配慮)
すると彼から電話が来て、お金が足りないのでお金持って来てとの事。しばらくレントゲンを撮ってないから撮ってもらったから余計に診察代がかかったと。
レントゲンの結果、「肺に影がある。紹介状を書くので大きな病院で診てもらってください」と言われたそうです。
明けて月曜日、大きな病院に二人で行ってきました。
担当医曰く「たしかに影があるね。悪性腫瘍の可能性もあるけど肺の一部が硬くなっているせいかも。しばらく様子見しましょう。……次回は7月の……」
ええ?2か月も先?そんなにほっといて大丈夫なの?と思いましたが、呼吸器の医者が言うなら。と思い、予約をして病院を出ました。

しかし、2か月ももちませんでした。
6月下旬に次第に体調が悪くなり、予約の日の遥か前に再来院。MRIを撮ったところ肺の影は10倍くらいに拡大していました。
慌てた担当医は「すぐに組織検査をしましょう。検査入院してください」
そして検査の結果が出るのは早かった。

肺がん。ステージ4。

それからどんな抗がん剤が使えるのか、さらに最先端の検査ができる病院で詳しい検査。しかし、検査の予約も時間がかかり、その結果が出るのも時間がかかり。その間、彼の体調はどんどん悪くなっていきました。
結局、身体に負担がかからない新しい抗がん剤は遺伝子検査の結果彼には使えないという事が判明。抵抗力をつける薬も肺が硬くなっているため合併症が出るとの事で使えず、命を削って受けた検査の結果はどれもだめで八方ふさがりの状態。通常の抗がん剤治療もリスク覚悟で本人は強く希望していましたが、身体の状態がすこぶる悪いので今抗がん剤を投与したら命を縮めるとの事で受けられません。
その間、仕事は休職し自宅療養をしていましたが、何も食べる事ができずどんどん痩せていきました。
なによりも本人が辛かったのは腰の痛みでした。痩せて筋肉が落ちたため今まで筋肉で保っていた椎間板ヘルニアが痛む、という予想でしたが、そうではない事も考えました。が、あえてそんな事は考えたくない。
しかし、結果的に「そうではない」方の予想は当たっていました。骨に転移したのです。

8月、本人の強い希望で入院しました。
しかし前向きな治療は何もできない状態です。痛みを取る事と栄養補給の点滴のみです。それでもモルヒネの力で痛みが無くなっただけでも彼はホッとしたようでした。
おりしもコロナの感染者が多い時期、面会は許されず病室のフロアに上がる事もできません。必要な物は1階の窓口で預かり受け渡しです。
最初の頃はお粥を完食し、高カロリー飲料を飲み、私ともメールのやり取りをしていました。
でもやがて一切の食物を受け入れられなくなりました。その頃になって、看護師さんが面会を許可してくれました。長い時間はだめだけど病室が個室だしいいですよ、と。
病室に行って久々に顔を見たらさらに痩せてました。そして私の登場に驚いてました。
彼:「病院から呼ばれたの?」
私:「違うよ。毎日でも会いに来たいって言ったら今個室だからいいですよと言ってくれたの。私が来て嬉しい?」
彼:「うん」

最期の言葉は「水(ちょうだい)」でした。
ベッドを起こしストローで飲ませてあげると一口飲んだあと意識を失いました。病室は看護師たちが駆け付け騒然となりました。
バイタルは正常だったものの意識が戻りません。看護師さんと私が何度も呼びかけ、ようやく意識が戻った時は、彼は心ここにあらずな状態で喋る事もできませんでした。
やがて面会だけでなく泊りの付き添いも許可されるようになりました。それほどの病状だったのです。

病院から電話がきたのは9月4日の午前2時。
「心拍数がかなり弱くなっています。急いでこちらに来れますか?」
通いなれた病院までの道を深夜、猛スピードでとばして駆けつけました。看護師さんに案内され病室に。
彼は酸素マスクを着け、いろんなコードやチューブに繋がれて眠っています。看護師さんは隣りのナースステーションでカメラで監視し、モニターでバイタルをチェックし、変化があればすぐ駆けつけられる状態に。彼の呼吸音は弱く、近いんだな……と悟りました。
私は耳元で、愛してると告げ、私が死ぬ時は必ず迎えにきてと何度も言いました。
呼吸は、吸って……吐いて……と、ゆっくりです。やがて、吐いたあと吸う事はしませんでした。
数秒待ってからナースコールを押しました。
私:「息が止まりました」
看:「今、心拍も停止しました」
時計を見ると午前2時45分。

──肺の影が確認されてから3ヵ月半。決して長いとは言えない彼の人生は、とても静かに幕を閉じました。


○回想と考察
亡くなった時、私は泣きませんでした。今まで涙が流れたのは二度だけ。
最初は久しぶりに面会ができた時。痩せた顔を見て、もう愛おしさしかない。あまりにも愛おしくて帰りの車の中で運転しながらいつの間に涙が流れていました。
二度目は彼の携帯を解約した時。解約するしかなく粛々と手続きをし、やはり帰りの車で唐突に涙が溢れました。思えば携帯の歴史は私たちの歴史でもあったのです。まだカメラ機能も付いてない、メールも半角カナでしかできなかった初期から欠かせないコミュニケーションのツールでした。「今会社出た。今から帰るよ」の帰るコールは欠かさずかかってきました。そんな携帯の契約を打ち切るのは切なくてたまらなかった。
それ以来、我慢をしているのではなく泣けないのです。
泣かない理由はもうひとつ。それは彼が望んでないから。昔、私が泣くとひどくうろたえて「泣かないで。NAOは笑っている方がいい」と懸命に慰めていました。今でも泣かれると困ると思います。涙に弱いタイプ。

最初の頃は役場や銀行や司法書士と、死亡後の手続きに追われていましたが、少し落ち着くと我が身を振り返るようになりました。ちゃんと彼を支えられていたか、と。
母が亡くなった時、山のように悔いが残りました。もっと頑張って側に居てあげればよかったとか、こうしてあげればよかったとか、こんな事言わなきゃよかったとか……。
過去の悔いから今回そんな「〜すればよかった」とならないよう考えて行動できただろうか。少なくても、不安にさせない事と誠実である事だけは守りたいと思っていました。細かい点はありますが、自分を責めるような後悔はなかったと思います。
食べられない人への食事支度に関しては深刻ですが、それ以外は私はできるだけ普段通りに笑顔で接するようにしていました。
ただひとつだけ。呼吸器科の医師から「様子見しましょう」と言われた時、「いえ!今すぐ細胞検査してください!」と言ったら結果は違っただろうか。
過ぎた事を悔やむのはつらい。それに実際あれほどの進行の早さ、5月末で治療を始めても進行を食い止められなかったかもしれません。今は本当にそう思います。

彼の気持ちも振り返って考えました。闘病中何を思っていたのだろう。どう感じていたのだろう。
若い時はやんちゃな男で、事故って救急車で運ばれた事が数回あるそう。電柱(トランス付)をなぎ倒した事も、バギーが胸に乗っかって右肺破裂で大手術を受けた事も……。私と出会ってからそんな事故は一度もなく、ひたすら優しく穏やかな人でした。喧嘩した記憶もありません(私が説教した事はありますが)。彼は良くも悪くもクールでドライ、諦めのいい人で、口癖は「まあ、しゃーない」。
肺に影が見つかった時も、ステージ4の肺がんだと告知された時も、さまざまな治療法がどれも受けられないと言われた時も、彼は少しも慌てず騒がず、動揺して取り乱したり泣いたりもせず、誰かを恨む事もせず、愚痴を言ったりもせず、さすがに「しゃーない」とは言わなかったけど、いつもと変わらず静かで優しい男でした。
私の望みは、せめて自分の死に対し精神的にさほど苦しまないであってほしい。もし、口には出せないけど心の中では死ぬのが怖くて、未練もたくさんあって、つらくてつらくてたまらなかったとしたら、あまりにも可哀想。こんな時こそいつものように達観して「しゃーない」と思っていたらいいなと思います。

ところで、彼はいったいいつから身体の不調に気づいていたんだろう。
「しばらくレントゲンを撮ってないから撮ってもらった」なんて、何もなければそんな事はしないでしょう。
その前は?ゴールデンウイークで帰省した際、兄が「痩せた気がした」と後に言っていた……。
もっと前?冬に温泉旅行に行こう!と計画を立てたけど、申し込み寸前になって「仕事が忙しくて休みが取れなくなった」と言って計画は中止。もしかしたら私に心配させないようにと体調が悪いのを隠し仕事のせいにした?……今となっては真実はわかりません。


○多幸感と喪失感
何年前でしょうか。ふと、私と彼が出会ってからの月日を振り返ってみたんです。出会いはああだったな、一緒にあんな所に行ったな、こんな出来事があったな……。
彼と過ごした時の流れを思い出していた時、長いようで意外と短い気がしました。出会ってから今日までの時間の長さを、今度は未来に向けて計ってみると……あれ?こんだけしかないのか!その頃の年齢は「お迎え」が来てもおかしくない年頃。
じゃあ、本当のところこの人とあとどれくらい一緒に過ごせるんだろう……。
そう思うと、今一緒に生活するこのひと時がものすごく貴重な時間に思えました。
今までは夜になると部屋に引きこもってPCに向かって文章を書いたり絵を描いたりしていましたが、そんな気づきがあってからソファで彼の隣に座って一緒にテレビを観て過ごすようになりました。何をするわけではなく、ただ一緒にダラダラしてるだけです。でも、なんてことのないそんな時間に、あ〜幸せだな〜と思ったのでした。
決してその時に彼に病気の予兆があったわけでも、何か勘が働いたわけでもありません。偶然です。
サイトの更新頻度を犠牲にしてしまいましたが、でもそういうじっくり噛みしめるように二人の時間をちゃんと持ててよかったと思います。彼と過ごした日々は私の人生で最も幸せな時期でした。
そして、5月20日に「肺に影がある」と告げられた時、幸せは今日で終わったんだなと思いました。

亡くなってから2週間後に仕事に復帰しました。職場に行くと仕事仲間はみんな事情を知っていてたくさん慰めの言葉をもらいました。
復帰してからいつも通り明るく冗談を言って笑っていたら「すっかり元通りになったね」と言われましたが、そんなわけがない。
とても仲のいい夫婦だったのです。毎日たくさん会話して、どこに行くのも何をするのもいつも一緒、毎朝出勤する前に私にいってきますのチューをして行く、そんな夫婦だったのです。
二人の間でしか通用しない挨拶、独特の言葉遊び、それらはどこに行ったのだろう。彼の脳の海馬に蓄積されたそれらの記憶は荼毘に伏された時、灰になってしまったんだろうか。何十年分の出来事を知る者は私だけになってしまった。それがとても寂しいです。
彼の不在をしみじみ感じ始めたのは、葬儀が終わり泊りに来ていた身内が帰って家に一人になった頃でした。
初めの頃は今までもよくあった長期出張なのだ、と自分に言い聞かせる事もできましたが、そんな思いこませも半年くらいが限界です。それ以降は毎朝起きる度にもう二度とあの頃には戻れないんだと絶望的な気分になりました。
国際的な認識で、喪失に関する重度ランキングで1位なのが「配偶者の死別」です。ああ……まさにそれを超えるストレスは無い気がします。

私はとても彼の話がしたいのだと思います。
友人は皆「話聞くよ!」と言ってくれますが、それではどうしても世間話のひとつになってしまうでしょう。こういう場合は本当はプロの力を借りた方がいいんでしょうね。でも、食べているしそれなりに眠ってもいて体調が悪いわけではないので心療内科という事になならない。精神科というほどでもない。ハリウッド映画によく出てくるようなカウンセリングは日本ではまだまだな気がします。
自分一人でなんとかするしかありません。こういう風にサイトの日記に書くのも手段かと思いますし、自分にはそれしか術がありませんでした。


○癒しと未来
やってて喜びを感じる事があります。
彼がプレゼントしてくれた物で汚れてたり壊れたりしていた品々を修繕して使えるようにする事。彼の萌えグッズ(!)を作る事。写真を飾る事。供養グッズを買う事。仏壇に飾る生花を活ける事。……どれも彼のために行動する事ばかりです。
特に生花とお供えのお菓子(甘党だった)を欠かしません。あの世で仏仲間が「お前のとこはいつも仏壇が賑やかでいいなぁ〜」と羨ましがられる、という話を何かで(SNS?)読んだのでなんとなく。もはや供養は趣味になっているかもしれません。
実は最近、彼の兄も同じ病気で亡くなりました。独身で他に誰も居ないため私が喪主です。一年で二度喪主をやる事になるとは思ってもいませんでした。立て続けに葬式やら四十九日やらの法要が続き、他の親族たちが「NAOちゃんも大変だねぇ」と労ってくれますが、彼が亡くなった今、自分が本家なわけです。華美である必要はないけど恥ずかしくない程度の供養をきっちり執り行うのが自分の務め。こういう事は義務であると同時に権利でもあります。きっと彼は間違いなく「大変だけど頼む」と言うでしょう。彼の想いを汲む──つまりそれが自分の癒しにもなっているのです。

最近、よく本を読んでます。何か自分がラクになる方法が知りたくて。
グリーフケア関連の本は、悲嘆にくれる人を支える人のためにはいいかもしれないけど、本人にはあまり役に立たない気がしました。それより「人は死んだらそれで終わりではない」というような本の方が希望が湧きます。信じる信じないは人それぞれですが、あの世とか天国とか「無い」という証明はできないし、「在る」と思う方が生きる力が湧きます。あとは仏教の本とか面白い。
それにしても、彼は全然現れてくれません。ちょっとしたサインとか小さな物音ひとつもたてないです。まあ、彼の性格がね、クールでドライだからあまり気にしてないのでしょう。とはいえ、毎日声に出して長々と話しかけているのできっと話を聞いているし私の事を見ているのだと思います。

実は彼には娘が一人居ます。私とは血は繋がってませんがとても仲がいいです。他人には親子に見えるだろうけど親子ではなく、友達のように接していますが友達でもない。不思議な間柄ですが私たちには共通する事があります。それは同じ一人の人を失った痛みを抱えているという事。また感情面だけでなく共に法定相続人として、彼の死後手続きを協力し合いながら進めていきました。そしてその後不幸が続いてしまった彼の兄の死去に際しても、私にとっては(←相続人ではないが)義兄、彼女にとっては伯父として、頻繁に会って手続きのための作戦会議(?)をしていきました。
この義理の娘の存在は私にとって最大の希望です。彼の肉体は灰になっても、彼女の中にある彼の遺伝子は彼や私が辿り着けない未来へと続いていくからです。そしてその子供たちがさらにもっと遠い未来を繋いでいってくれる……。これから少しずつ彼の話を娘に語り継げていけたらなと思います。

今これを書いている時間、一年前入院先の病院から「心拍が弱くなってきたので来てください」と電話が来た時刻です。つまり今日が命日です。

さあ、これからどう生きていこう……。
彼が亡くなった時「早く死にたい」と思いました。正直、今でもあまり長生きしたくないなぁと思ってます。
でも自分から彼の元に行こうとは考えてませんよ。亡くなった直後はたくさんの手続きを放り出して死ぬわけにはいくまいと思いました。少し落ち着いてからは彼を供養する人が居なくなるからすぐには死ねないと思いました。今は自分まで死んだら私の中にある彼の思い出が消えるのは悲しいと思ってます。どうやら私は形のない「記憶」を物質のようにとらえる傾向があるようです(笑)
そして生きている間、良い行いを重ねていきたいと思うようになりました。なんというか、先に述べた本家として仏事をしっかり遂行したいという話もそうですが、私の行いの評価は亡き彼への評価に繋がる気がするのです。仏事だけでなく、たとえば赤い羽根募金をするとか、人に親切にするとかも。後で気づいたけど、もしかしたらこれは仏教の「回向(えこう)」と言えるのかもしれません。
遺伝的または体質的に自分は長生きしそうなので、彼が迎えに来てくれるのはだいぶ先になりそうです。
「喪失感は時間が癒してくれる」とよく言いますが、おそらくこの痛みは生きている間ずっと消えないでしょう。でもその痛みもセットでこれからも自分の中で生きている彼と対話しながら共に生きていきます。

ところで、このサイトの事です。
閉鎖はしませんよ(笑)復活を目指しています。毎年この時期は仕事(夜勤)が忙しく、まして今年は残業続きなので体力的にすぐには無理ですが、落ち着いたら何か更新したいと思います。
書きたい話はいろいろありますが、まずは絵かなぁ。描き方を忘れてなければいいのですが。
サイト運営や創作は彼とは別次元の事なので、創作は何者でもないNAO個人の作業。創作しながら彼を思い出してつらい、という事にはならないはず。
あ、ひとつだけ。Galleryの「動くもの」の中にある「君花でウッーウッーウマウマ」は彼が10か月かけて作ってくれたものです。楽しくて大好きなコンテンツです。私も再びアクセルやハリーの物語を綴りたいですね。
そんなわけで、いずれ更新したらよろしくお願いします。

ただいまの時刻は午前2時45分。昨年の今、彼が逝った頃です。しばし黙とうします。


ずいぶんたくさんの文字を書きました。
普通、こんな極めて個人的でセンシティブな話は創作サイトに書くべきではないと思いますが、おかげでひとつの区切りがつきました。サイトに関してようやく先に進む事ができます。
最初は四十九日が過ぎたら日記に書こう……年内までには……1月中には……と思い、とうとう今になってしまいました。これを書くのに1年必要だったんですね私。

長い話はこれで終わりです。
また近いうちにここに顔を出したいと思います。
ではまたいずれ。

2023年9月4日(月)雨くも

あぶなかった!


レンタルサーバーの話。
先週、君花の13周年の話をしましたが、このサイトは開設以来ずっと某大手の有料サーバーを借りています。
公開前の試運転の期間も含めて2010年4月13日から、プラスお試し期間10日も加えて4月23日から契約開始。
最初は1年分の料金を手払いで、契約日が近づくとコンビニで支払っていたんですが、ここ数年前からクレジットカードを登録して自動引き落としにしてました。毎年必ず更新するし、自動にしておけば払い忘れもないしね。

いつもメールで「自動更新完了したよ!」というお知らせメールが届くんですが…………あれ?今年来てない気がする……。
そしておとつい、「早く料金払わないとあと2日でサイトが消えちゃうよ!?」というメールが届きました!もう大慌てです。
いつものように自動更新されなかった理由はすぐわかった。
私のクレカが昨年末に有効期限が来て新しく更新されたんです。当然サーバー会社は引き落としができなかったわけ。
引き落としができなかった旨のメールはちゃんと届いてました。ただ毎日届く迷惑メールを日頃サクサク消していたので、勢い余ってそのお知らせメールもサクッと消しちゃってたんですね〜。削除済みメールフォルダにちゃんと振り分けられてたよ;;;

気づいた時にはもうギリギリです。新しくクレカを登録して自動更新するにしても間に合わない。
結局、昔のようにコンビニに払いに行って事なきを得ましたけどね。最終締め切りの2歩手前くらい。時間的にちょっとは余裕があったけどもほぼギリでした。やれやれ;

サイトのお誕生日おめでとう!\(^o^)/って一人お祝いして未来に向かって新たな一歩……から1週間後にあわやサイト消失の危機に見舞われましたよ(^^;
来年の更新月はもっと気を付けます(>_<)それにしても、よかったよかった////

……という、今となっては笑い話の失敗談でしたw

2023年4月22日(土)晴れ

君花13周年


なんと今年初の日記になります////お久しぶりです。もう新年の話は当然ながらできないw
重い身体にムチ打って暗い穴倉から日記書きに出てきました。

今日は当サイト「君という名の花」の13周年なのです!

自分のサイトの誕生日くらい祝わなきゃ!!!
半年以上碌に動いてないサイトですが、今でもちらほら来てくださる方がいるようでとても嬉しいです。ありがとうございます!
BL創作サイトのサーチサイトもどんどん減っていき、こういう昔ながらの個人サイトはますますネットの大海原のかなたに紛れて行ってしまうのかなぁ。
サイト自体はまだ存在していても、それを探し出す手段がなくなるのは困ったもんです。個人個人ののPCにブクマしてもらう事に頼るしかなくなるかな〜。

今はまだ手を付けられないけど、ゆっくりでも更新する気満々です。その前に日記書きに来ます。あ、生きている間は閉鎖しないよ!
そんなわけで、これからもどうぞよろしくお願いします(^O^)/

HAPPYBIRTHDAY KIMIHANA!

2023年4月15日(土)晴れくも


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