モンティエ家でハロウィンの話が持ち上がったのは、万聖節を5日後に控えた10月末の事だった。


 パリ市内に住むステファンの姉マリーが、夫の出張を機に幼い息子を連れて実家であるモンティエの家に来ていた。
 アメリカ陸軍の軍人である彼女の夫リチャードは、その仕事柄出張が多い。リチャードが不在の時を利用し、マリーが息子を連れて数日滞在するのは、彼女もパリ大学の非常勤講師として働いているため屋敷を託児所代わりにしようという思惑があっての事だ。
 モンティエ家の当主ジャン・クロードは、今年5歳になった孫のハリーを溺愛していた。また当主のみならず、彼の妻も、母親も、使用人たちも、屋敷のすべての人々は小さなハリーを可愛がっていた。
 事の始まりはハリーが彼の祖父に言った一言だった。

「このおうちではハロウィンに何して遊ぶの?」

 ハリーを膝に乗せて絵本を読んでいたジャン・クロードは何の話かと訊き返す。
「あのね、これ」
 ハリーが傍らに積まれた絵本の山から一冊抜き出すとそれを祖父に見せた。表紙にはおばけカボチャや魔女やガイコツが空を飛んでいる絵が描かれてあり、英語で『ハロウィンの一夜』とタイトルがある。それはハリーが最近父親に買ってもらったアメリカの絵本だった。
「ハロウィンにはおばけがいっぱい来るんだって。子供はおばけになってお菓子を貰うんだよ」
 楽しそうに話すハリーに目を細めながらも、彼の祖父の顔には戸惑いが滲んでいた。
「ハロウィンが楽しみかい?」
 困惑するジャン・クロードに代わってステファンがハリーの話を引き受ける。
「でも、フランスではハロウィンに遊ぶって事はあまりしないなぁ」
 ステファンがそう言った途端、ハリーは顔を曇らせた。
「ハロウィンしないの? でも絵本にはカボチャのランタン作ったり、美味しそうなご馳走やお菓子が出てくる……」
 万聖節の前日10月31日のハロウィンは、もともと古代ケルトの宗教的行事である。カトリック教会では万聖節が重視され、その前夜祭であるハロウィンはキリスト教的でないとして教会としての行事は行われない。また、国民のハロウィンへの関心も低い。
「そうね、フランスはアメリカみたいにハロウィンが盛り上がらないわね」
 マリーが弟の話に同調すると、ハリーはすっかり項垂れてしまった。
「カボチャのおばけ……作りたかった……」
 そうハリーが消え入りそうな声で呟くと、その目に涙がぶわぶわと盛り上がっていく。このまま大泣きしていく予感にその場の大人たちは慌てた。すると、ハリーが泣き声を上げる寸前で、ジャン・クロードが額に冷汗を浮かべながら弾む声で孫に言った。
「そうか、カボチャのおばけか。じゃあ、一緒に作ろうか!」
 その瞬間、その場に居る全員が目を剥いてモンティエ家当主の方を一斉に振り返った。

『ハロウィンだと? コスプレだのパーティだの、実にくだらん。あんなものは信仰心に見せかけたアメリカ人の宗教商法だ。なんと嘆かわしい』

──毎年この時期になると口うるさく言ってたくせに……。

 しかし、この言葉はハリーの涙をくい止めるには十分な効果があった。
「ほんと……?」
「本当だとも! よーし、今年はみんなでハロウィンを楽しもう!」
 厳格なカトリック教徒で頑固者のジャン・クロードも孫の涙には勝てなかった。
 こうしてモンティエ家は図らずもハロウィンを迎える事となったのである。


 ハロウィン当日の朝、屋敷ではもうひと悶着あった。
「ステファン、行っちゃやだ……」
 スーツに着替えたステファンを見てハリーが慌てて駆け寄り脚にしがみつく。
「ハロウィンなのに! 一緒に遊ぼうよ!」
 今日は別に祝日ではないとか、大人はいつも通りに仕事に行くだとか、幼いハリーには理解出来ない。今日は家族みんなと遊べると思い込んでいた。
「だめよ、ハリー。ステファンはお仕事なの。おばあさまやジョゼフに遊んでもらいましょ? ね?」
 マリーがハリーを抱き上げなだめるが、ハリーは本格的にぐずり始めた。
「やだ! ステファンが一緒でなきゃやだー!」
 大粒の涙をこぼし大好きな叔父に向かって精一杯手を伸ばしてくるハリーに、ステファンの胸は痛んだ。かといって、ハロウィンだからと会社を休むわけにもいかない。
「ごめんよ、今日は大事な仕事があるんだ。でも、頑張って仕事して、終わったら大急ぎで帰ってくる。約束しよう」
 ハリーの頭を何度も撫で涙を拭いて笑いかけると、ようやくハリーは鼻をすすりながら小さく頷いた。
「約束……」
「ああ、約束だ」
 車に乗る前に振り返って手を振ると、マリーに抱かれたハリーが涙をこらえてバイバイと手を振り返した。


 吐く息が白くなるほど寒い晩だった。10月末ともなれば日没が早く、ステファンが帰宅する頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
 屋敷の前庭から正面玄関に続くアプローチは、ハリーや使用人たちが作ったたくさんのジャック・オー・ランタンやガイコツの頭のかかしが飾られている。それらを見ながらステファンは思わず微笑んだ。モンティエ家当主から急遽命じられた慣れない工作に、使用人たちはさぞ忙しい思いをしただろう。
「お帰りなさいませ、ステファンさま。お寒かったでしょう」
 執事のジョゼフがエントランスでステファンを出迎える。
「ああ、今夜はこの秋一番の冷え込みのようだ」
 コートを脱いでジョゼフに預けながらステファンは、おや? と思った。
「ハリーはどうした?」
 いつもステファンが帰宅すると真っ先に駆けて来るハリーの姿が見えない。ましてや、今朝はあんなにステファンと離れる事にぐずっていた。さぞ帰りを心待ちにしているだろうと思っていたが……。
 ステファンの問いかけに、それが……とジョゼフが言いかけたところで奥から母のカトリーヌが現れ、動揺した様子でステファンに言った。
「ああ、ステファン! 大変よ、ハリーが居なくなったの!」
 どういう事かとリビングに行くと、そこには青ざめた家族が一同に集っていた。
「マリー、ハリーが居なくなったって?」
「私もたった今帰ってきたところだけど、そうらしいの」
 その言葉通り、書類鞄を持ったままのマリーが眉をひそめて答える。
「だいたいお前が目を離すからいかんのだ!」
「カトリーヌを責めるのはおよしなさい、ジャン・クロード」
 エリザベートは自分の妻に八つ当たりする息子をたしなめた。エリザベート・モンティエはモンティエ商会の創設者であり会長だ。屋敷でも未だ大きな権力を持つ。自分の母親に頭が上がらないモンティエ家当主は渋々黙った。
「午前中は庭師に工作してもらったり、オモチャで遊んだり。午後は家中の人間にお菓子を貰って回っていたわ。でも、気が付いたらどこにも居ないのよ」
 カトリーヌがステファンに大まかに説明する。
「最後にハリーを見たのはいつです?」
「たぶん4時頃、私の部屋にお菓子を貰いに来たのが最後だろうね」
「名前を呼んで家中探したがどこにも見当たらん」
 エリザベートが曾孫の姿を思い出しながら言うと、ジャン・クロードがそれに補足した。
「大丈夫よ、お腹が空いたらきっと出てくるわよ」
「マリー、何言ってるの! ハリーはあなたの子でしょ! 猫の子じゃないんだから!」
 カトリーヌはこんな時にも呑気な娘を叱咤し、ため息を吐いた。
「まさか家の外に出て行ったんじゃ……」
 庭園灯が点いているとはいえ足元は暗い。広い庭には窪地があり池もある。危険がいっぱいだ。まして今夜は冷え込みがきつい。
「それはないと思うわ」
 マリーがステファンの心配を否定した。
「だってロディがあるもの」
「ロデ……何?」
「ロディよ、ほら」
 マリーが指差す方を見るとリビングの片隅にビニール製の赤い馬が置かれてあった。今年の誕生日にジャン・クロードがハリーに贈った乗用玩具だ。ハリーのお気に入りで、よくこの馬に跨って遊んでいる姿をステファンは思い出した。
「外に出る時は必ず持って行ってるから、家の中に居るんだと思うの」
「わかった。もう一度家の中を探してみよう」
「使用人たちにも訊いてみてはどうでしょうか。何か知っている者が居るかもしれません」
 執事の提案にステファンは頷いた。


 厨房では今夜のディナーの仕上げに料理人たちが忙しそうに動いていた。
「ハリー坊ちゃん? ええ、仕込みしてる時に来ましたよ。お菓子くれないといたずらするって言うから、ケーキの材料のチョコレートをあげたら喜んでましてね」
 料理長は丸い顔でニコニコと微笑む。
「オモチャのバスケットがお菓子で溢れそうだったから、私がバケット用の籐籠に入れ替えてあげました」
「貰ってすぐ出て行ったか?」
「出て行ったというか追い出しましたよ。ここは火やら油やら刃物で危ないですからね」
 ありがとう、と言って厨房を去るステファンの背中に再び料理長の声が飛ぶ。
「オーブンの中も冷蔵庫の中も調べましたが居なかったから大丈夫!」
 恐ろしい光景を想像してステファンの額に汗が噴き出た。


 メイドたちの休憩室に行くと、突然の若主人の登場に彼女たちは緊張を隠せない様子だった。無理もない、ホッと一息つける部屋に抜き打ちで雇用主が現れたのだ。
「突然すまない、どうか楽にしてくれ。ハリーに会った者は居るか?」
 恐縮する若主人の姿にようやくメイドたちに笑顔が戻った。
「はい、ハリー坊ちゃまはここに来ました。お菓子ちょうだいって言われて買い置きしてあったキャンディやクッキーを分けてあげました」
「大喜びする様子が可愛らしかったわよね」
「あ、そうそう。坊ちゃまがおばけの恰好をしたいって言うので、古くなったテーブルクロスをあげたんです。目の部分を切り抜いて」
「そりゃ、本格的な仮装だな……」
 それ以外の情報はなく、ステファンはその部屋を後にした。


「──映画だと、そろそろ名探偵が登場する頃なんだけどねぇ」
 ステファンがリビングに戻って皆に報告すると、エリザベートがぽつりと呟いた。
「ホームズもポワロも残念ながら架空の人物ですからね、おばあさま」
 エリザベートのユーモアもこの場を和ませる力はなく、リビングは重苦しい空気に包まれた。まだ5歳になったばかりの子供が姿を消し何時間にもなる。それはミステリー映画ではなく現実なのだ。
「これほど家の中を探しても居ないという事は、やはり外に行ったんだろう」
 ジャン・クロードがついにそう結論づけた。
「だとしたら、ステファンを迎えに行ったんじゃないかしら。今朝出勤する時、行くなって散々ぐずっていたから」
 マリーのこの仮説は大いに可能性があった。行かないで、と涙をこぼしていたハリーの姿がステファンの脳裏に蘇る。
「ここから会社まで? 歩いては行けない距離よ! あの子会社がどこにあるかも知らないのに! たった5歳の子供が暗い夜道を歩いてどこに辿り着けるというの……!」
 カトリーヌの顔が蒼白になる。この寒空の下、道に迷ってどこかの溝や川に落ちているかもしれない。そんな懸念は他の者も同様だった。
「こんな事思いたくないんだけどね、今夜は万聖節の前夜だよ。地獄の門が開く夜だし、もしや悪魔がハリーを……」
 信心深いエリザベートの言葉は非現実的だと思ってはいても、その時の誰もがその可能性を一瞬は考えてしまった。それほど皆の不安はピークになっていた。
「地獄の悪魔ではないにしても、途中で誘拐された可能性はないとは言えん……」
 ジャン・クロードの呟きにカトリーヌは小さく悲鳴をあげた。
「なんてこと! ああ、神様!」
「お母さま……」
 手で顔を覆って震えるカトリーヌをマリーが抱き寄せる。
「警察に電話しましょう、父上」
 ステファンは立ち上がり言った。事態は一刻を争えないところまで来ていると思った。ここで推理していてもハリーが戻ってくるわけではない。
「わかった。私が電話しよう」
 ジャン・クロードも立ち上り受話器を取った。
「警察が来るまで我々も近くを探してみましょう。ジョゼフ、庭園灯を全部点けてくれ。それから懐中電灯の用意を」
 執事に指示し、ステファンは着替えるためにリビングを後にした。


 屋敷の西翼、その3階にある自室へとステファンは急いだ。小走りに駆けながらどこかに居るハリーの事を考える。
 ハリーは活発な子供で思い立ったらすぐ行動してしまうタイプだ。頑固で無鉄砲、そして幼さゆえ恐れを知らない。楽しい行事に浮足立ってしまったのだろう。今朝、あれほど自分と離れたがらなかったハリーが帰りを待ちきれず自分を追うという事は、今にして思えば想定出来たはずではないか……。
 ステファンは何も手を打たなかった自分を悔やんだ。
──どこに行ったんだ、ハリー。
 今頃寒空の下で迷子になっているか、ハリーをモンティエ家の子供と知った輩に誘拐されたか、それはわからない。だが、どこかでハリーが助けを求めているとしたら……。ステファンはそう思うと一刻もじっとはしていられなかった。
 部屋に入ると明かりを点け、鞄を椅子に放り投げる。時間は惜しいが着替えないと三つ揃えのスーツは動きにくかった。庭を捜索するとなると少し厚手のジャンバーを羽織った方がいいだろう。ステファンは算段しつつクローゼットの扉を開けた。

 ハンガーの真下に白いリネンの塊があった。

 見覚えのないそれは無造作に丸められ床の上に置かれていた。所々糸がほつれて古ぼけた、小ぶりのテーブルクロスである。
 そのテーブルクロスが規則正しく上下に揺れている。さらに布の端から小さな足が2本覗いていた。
 ステファンはその場にしゃがみ込み、静かに手を触れてみる。硬さがあり、あたたかい。するとテーブルクロスの山がもぞもぞと動き出し、むくりと起き上がった。
 テーブルクロスには丸く切り取られた二つの穴があり、そこからサファイアのような青い目が覗いている。やがて布越しに両手が突き出され、それがゆらゆら揺れた。

「おばけだぞー!」

 少しの沈黙の後、ステファンがテーブルクロスをそっとめくる。金髪をくしゃくしゃに乱したハリーの満面の笑顔が布の中から現れた。
「びっくりした?」
 いたずらそうな青い目がキラキラ輝いている。
「心臓が止まるかと思ったよ」
 ステファンが微笑んで答えると、青い目はいっそう輝き満足げに細められた。
「ステファンをびっくりさせようと思って待ってたの。でも寝ちゃったみたい」
 今朝の泣きべそ顔が嘘のようにハリーは楽しそうに笑う。ステファンは苦笑して彼の乱れた髪を撫でた。
「私を待っていてくれたんだね」
「頑張ってお仕事した?」
「したよ。君と一緒にハロウィンのご馳走が食べたいから頑張って仕事して急いで帰ったんだ」
 するとハリーは傍らに置いてあったパン籠を引き寄せた。大振りなバケット用の籐籠の中には溢れそうなほど菓子が入っている。
「みんなから貰ったんだ。ステファンの分もあるよ。半分あげる」
 祖父母や曾祖母のみならず、使用人たちからも貰った菓子。チョコレートにキャンディにクッキー。ハリーがおばけの恰好をして屋敷中を忙しく集めて回った戦利品だ。
 差し出されたお菓子の籠を受け取りながらもステファンは苦笑った。
「逆だよ、ハリー。私から君にお菓子をあげなきゃならないのに」
「いいの! ステファンはお仕事頑張ったから、ご褒美!」
 そんな風に言って笑うハリーにステファンは一瞬言葉を忘れた。幼い甥の精一杯の思いやり。その純粋な優しさが胸に響いて堪らない気持ちになる。彼は思わずハリーを抱き締めた。
「ありがとうハリー。愛してるよ……」
 まだ学校に行ってないハリーには遊べる友達はなく、地域の集まりにも参加してはいない。周りは大人しか居ない環境で、ましてアメリカのように子供がお菓子を貰いに家々を回る習慣がない地域で、それでも彼はささやかなハロウィンを楽しんでいた。
「さあ、戻ろうか。みんな心配しているよ」
 そのままハリーを抱き上げると、彼はステファンの肩口で弾んだ声で呟いた。
「今夜のご馳走は何かなぁ!」
 振り返ると、駆け付けたパトカーの回転灯が窓を赤く照らしていた。


※ ※ ※
 コンコルド広場にほど近いホテル。そのメインダイニングにステファンはハリーと居た。  10月1日から31日までの期間限定メニューを共に賞味しようと、ステファンが予約を入れたのは半年前。毎年好評のハロウィンの企画メニューは連日お客でいっぱいだ。 「私が知るかぎり、モンティエ家で警察沙汰になったのはそれ一回きりだったな」  久しぶりに会った叔父と甥。ハロウィンにちなんだ思い出話をステファンはハリーに語って聞かせる。 「全然覚えてない」  ハリーはそう言って苦笑するとワインをひと口飲んだ。  今から四半世紀も昔の話。モンティエ家で起こった“ハリー坊や失踪事件“は、当時5歳だった当のハリーは記憶にない。  あの夜、ハリーがステファンに抱かれリビングに下りてきた時、家族は彼の無事に安堵して興奮のままひと騒ぎした。皆から涙ながらのキスとハグを受け、小さなハリーは理由がわからずキョトンとしていた。  誰もハリーを叱る事はなかった。悪気の無い小さな失踪。クローゼットで寝入ってしまった事はいたずら好きな精霊の仕業だったかもしれない。  モンティエ商会がプロデュースするこのレストランのハロウィン企画は、今年で20回目になる。  ハロウィンの風習がないフランスではたして客は集まるのか、半ば賭けだった。しかし、秋の新鮮な食材を生かした見た目にも楽しい料理の数々は食通に支持された。これはモンティエ商会が手掛けた中でも大成功した企画のひとつだ。  メインのステーキを食べ終わった頃、料理長が二人のテーブルにやって来た。 「モンティエさま、今年のハロウィン・ディナーはお楽しみいただけましたか?」 「素晴らしい料理だったよ。毎年楽しみにしているが今年も期待していた以上だった」  テーブルセッティングはハロウィンのシンボルモチーフやテーマカラーを使い、子供も喜びそうな夢のある演出だ。料理の完成度に加え、格式あるホテルのメインダイニングで楽しい遊び心。そんなギャップが人気の秘密でもある。 「そうだ、紹介しよう。私の甥だ。このハロウィン企画は、元は彼がヒントをくれたんだ」  ステファンの意外な紹介に料理長は目を丸くした。 「そうでしたか! それでは当レストランの恩人でいらっしゃいますね」 「よしてくれ、俺は何もしてない」  ハリーは笑って首を振った。  しかし、料理長が去った後ステファンは言う。 「本当の話さ。君の失踪事件の後、思ったんだ。宗教や風習の違いなんかどうでもいい、子供が笑顔になって、家族が幸せで、人々が楽しいと思える事は人生の中で大切な事じゃないかってね。君がそれを教えてくれたんだ。日々の小さな楽しみを提案する事も我が社の大事な使命なのさ」  当時まだ青二才だったステファンの企画を、あの頑固で厳格な社長、ジャン・クロードは採用したのだ。それは、あの頃の心底楽しそうな孫の笑顔が忘れられなかったからだろう、とステファンは思った。 「それにしても、俺はどうしょうもない子供だったんだな」  デザートのパンプキンムースをつつきながらハリーはクスクス笑う。 「周りの大人に甘やかされて、すぐ泣くし、わがままだし、警察にまで迷惑かけるし。とんだ悪ガキだ」  この何もわかってない甥の自己分析に、ステファンはやれやれと頭を振った。 「そんな事ない。君は思いやりのある優しい子だったよ。仕事から帰った私をねぎらってお菓子を分けてくれた時は、その気持ちに感動して泣くとこだった」  ステファンの言葉にハリーは声を上げて笑った。 「きっと、その頃の俺はステファンの事を遊び仲間だと思っていたんだ」 「いずれにしても、ハリー坊やは私が大好きだったのさ」  どこか得意気に言い放つステファンに、ハリーはコーヒーを飲みながら、いや、と言った。 「俺は大人になった今でもステファンが大好きだよ」  スプーンでムースをすくうステファンの手が止まる。 「……驚いたな、君がそんな嬉しい事を言ってくれるなんて。どきどきし過ぎて今度こそ心臓が止まりそうだ。さてはお菓子をくれない私へのいたずらだな?」  本当に胸が高鳴っている事を悟られぬよう、ステファンは敢えて陽気な口調で言う。 「それとも、愛の告白かい?」  ハリーは少し考えるふりをした。そして── 「そうかもな」  そう言って彼は5歳のいたずらな瞳で笑った。
fin

25年前の過去話。ハリー坊やとステファン叔父さんのハロウィン。
こうしてみると、ハリーは愛された(甘やかされた)子供だったんだとしみじみ。ハリー坊やはCPとしては常に左側かもしれない(笑)

[2015年 10月 31日]