ガレット・デ・ロワを食べながら思いついたお話。
家族に愛される……を通り越してめちゃくちゃ甘やかされてるハリーw
子供の笑顔は最強なのです。
[2022年 3月 15日]
ディナーの準備で慌ただしいモンティエ家の厨房──。 「菓子はもう出来ているのか?」 「はい、つや出しを塗ってあとは焼くだけです」 デザート担当のパティシエが手を止めて、様子を窺いに来た屋敷の当主に答えた。 普段は滅多に厨房に現れないモンティエ家の当主ジャン・クロードが、今日ここに顔を出すのはもう何度目か。朝から厨房にやって来ては料理人たちの心地悪さなどお構いなしに、デザートの進行状況を確認して出ていく。 ジャン・クロードはオーブンに入れる前のパイ生地を見て満足そうに頷くと、声をひそめて再びパティシエに問う。 「例の物はちゃんと場所がわかるようになっているのだろうな」 「勿論です。ここに……こうして目印を……」 悪巧みをする悪党さながら、二人は顔を見合わせてにんまり笑った。 1月6日──。長かったクリスマス休暇も今日で終わり、明日から多くのフランス人は仕事や学校に戻っていく。冬の一連のイベントの、最後を締めくくる行事がこの日の公現祭である。 モンティエ家ではクリスマスに親族一同が集うものの、公現祭となると他の者たちはめいめいで楽しむらしく、この日は来客もなく静かだった。 しかし、今年は当主をはじめとする老人たちと使用人だけではなく、長女のマリーが幼い一人息子のハリーを連れて来ていた。アメリカ軍人であるマリーの夫リチャードは、一昨日出張でアメリカに発った。夫の留守中、マリーはよくハリーを連れて実家に来ていたのだ。 ただでさえ寂しい公現祭、可愛い孫の滞在に彼の祖父母たちが喜ばないわけがない。とくに祖父のジャン・クロードは朝から落ち着きがなく周囲の者を呆れさせていた。 時間は遡り、公現祭の前日。 「ひいおばあさま、“こうげんさい”ってなあに?」 昼寝前のひと時にハリーが曾祖母のエリザベートに問いかけた。 「おやおや、ハリーは知らなかったのかい?」 エリザベートは少し驚いて、ハリーに毛布を掛けながら言う。 「公現祭というのはね、イエス様がお生まれになった時、東方から三人の博士がお祝いに訪れた記念の日なんだよ」 「クリスマスじゃないの?」 「博士たちは遠い所から来たから時間がかかって、着いたのが1月6日だったの」 「ふーん……」 毛布から顔だけを出し、一生懸命話を聞いている曾孫の可愛らしさに、エリザベートは目を細める。 それにしても、ハリーが知らないということは、孫夫婦は公現祭の行事をしていないということだ。マリーは厳格なカトリックの家庭に生まれ育ったが、だからといって結婚後も敬虔なカトリック教徒であるとは限らない。エリザベートは些か落胆するが、嫁ぎ先のブライアント家のやり方に口をはさむことはできない。ただ、子供にとって楽しいはずの行事を知らない曾孫を不憫に思った。 そこでエリザベートは少しでもハリーを喜ばせようと、重大な秘密を打ち明けるかのように声をひそめて言った。 「実はね、公現祭の夕食の後は美味しいデザートがあるんだよ」 「美味しいデザート? それなあに?」 案の定、ハリーは興味津々だ。 「ガレット・デ・ロワというアーモンドクリームが入ったパイのお菓子でね、中にフェーブという小さな陶器のお人形が入ってるの。みんなで切り分けて食べる時、そのフェーブが入っていた人がその日の王様になるんだよ」 「王様に!?」 ハリーは思わず起き上がり目を輝かせた。 「面白そう! このおうちで一番偉い人になるんだね!」 「そうだよ。そして王様になった人は今年一年幸運に恵まれると言われているの」 「俺も王様になれるかもしれない?」 エリザベートは苦笑して、起き上がったハリーをもう一度毛布に引き戻しながら言う。 「誰にフェーブが当たるか神様次第だけどね。……さあさ、もうお眠り」 エリザベートは昼寝を促すも、話に興奮してすっかり目が冴えてしまったハリーを寝かしつけるのは一苦労だった。 ようやくハリーが寝付いた後、エリザベートはさっそく先ほどのハリーとの会話を息子のジャン・クロードに話す。すると彼は真剣な顔で考え込み、家族全員を居間に集めた。 「明日の公現祭だが、いつものように食後はガレット・デ・ロワを出す。だが、今年はハリーにとって初めての公現祭だ。特別なガレット・デ・ロワをうちのパティシエに作らせる」 突然「緊急家族会議だ」と居間に呼び出された家族たちは、それを聞いて皆呆れたように笑った。 「お父さまったら大げさねえ。いつもガレット・デ・ロワはご贔屓のお店から買ってるんでしょう? 今年だってもう予約してあるんだから、わざわざ作らなくてもいいのに」 苦笑混じりにマリーが言うと、ジャン・クロードはいやいやと頭を振った。 「それじゃいかん。いいか、ハリーがせっかく楽しみにしているんだ、確実にフェーブがハリーに当たるようにしなければならん。他人が作ったガレット・デ・ロワだと何処にフェーブが入っているかわからないじゃないか」 何が何でも可愛い孫を喜ばせるため王様にしてやろうという、親馬鹿ならぬ爺馬鹿。 食品総合商社モンティエ商会の社長であるジャン・クロードは、敏腕経営者であり厳格な家長だが、対ハリーとなるとただの甘い祖父だ。ジャン・クロードは子供たちの中でもマリーをことさら可愛がっていた。ハリーはそんな娘マリーの息子で彼にとって初孫である。ハリーへの溺愛ぶりは親族のみならず会社内外でも有名な話だった。 「つまりお父さまは不正行為をすると」 「……人聞きの悪いことを言うな」 「ズル、よねえ」 「母上まで……」 娘と母親にズバリと言われ、居心地が悪いジャン・クロードの額に汗が光る。そんな様子に、マリーとエリザベートは顔を見合わせて吹き出した。 生真面目で頑固なジャン・クロードは曲がった事が大嫌いだ。そんな頑固者が柔軟な態度に変わっていったのは昨年のハロウィンからである。 「そんなものはただのお祭り騒ぎだ」「くだらない」と切り捨てていたが、ハロウィンを楽しみにしていた小さなハリーの涙には勝てず、ハロウィンを楽しむと宣言して周囲を驚かせたのだ。それは、日頃からモンティエ家当主の頑固ぶりに辟易していた家族にとって喜ばしい変化であった。 「まあまあ、いいんじゃない? 私は賛成よ」 狼狽している夫に妻のカトリーヌが加勢する。 「子供にとって初めての行事は大切でしょ? 私もあの子の喜ぶ顔が見たいわ」 すると、今まで黙って話を聞いていたステファンも口を開いた。 「私も賛成です。本来のルールで言えば切り分けたパイを配る役目は最年少のハリーでしょうけど、それはこの家のやり方に変更してもいいと思いますし、ハリーが楽しんでくれるのが何よりでしょう」 「もちろん私たちも同じ気持ちよ」 モンティエ家当主をからかったマリーとエリザベートもクスクス笑いながら頷いた。 こうして、満場一致でジャン・クロードが目論む“不正行為”は可決されたわけである。すっかり気をよくしたジャン・クロードは厳格な家長の顔に戻って言い放った。 「よし、最高のガレット・デ・ロワを作らせよう。料理長には私から話しておく。お前たち、この話はくれぐれもハリーには知られないように。フェーブの当たり先は飽くまで“偶然”だ。いいな?」 公現祭当日──。 ディナーが終わり、食器が片付けられるとダイニングルームに妙な緊張感が漂った。テーブルについているモンティエ家の家族たちは皆、異様にそわそわしている。 ステファンは一人、この状況を冷静に観察する。 咳払いをする者、深呼吸をする者、ぎこちなく微笑む者。各々が自分もその滑稽な緊張感を作り出しているとわかってはいても、この空気を変えることができず困惑していた。ただ、何も知らないハリーを除いて……。 ──本来、ガレット・デ・ロワを囲む時ってもっと楽しいものじゃなかったか? このいたたまれない緊張感の中、ステファンは自問する。 最近、若者たちは新年のパーティでガレット・デ・ロワを食べることが増えた。パーティなのだから当然楽しく盛り上がる。家族団欒の場でもそうだ。大人も子供も、誰のパイにフェーブが入っているかゲーム感覚で楽しんでいる。 ところがこの家の年寄りたちは、誰もが孫を喜ばせることに固執しすぎて楽しむどころじゃない。ステファンは一人こっそりため息をついた。 その時──。 「みんな、お待ちかねのガレット・デ・ロワよ!」 厨房に行っていたマリーが自らガレット・デ・ロワを持って戻ってきた。 「あら、美味しそう」 「いつものお店のより立派じゃないの」 カトリーヌもエリザベートもモンティエ家特製のガレット・デ・ロワに目を細める。ジャン・クロードはその出来栄えに満足そうに頷いた。 「どう? ハリー、これがガレット・デ・ロワよ」 「わあ……初めて見たよ。美味しそう!」 直径18センチほどのシンプルなラウンドパイ。こんがりキツネ色に焼かれ、表面にたっぷり卵黄が塗られて艶やかな光沢があった。表面に描かれた模様は伝統的な月桂樹の葉だ。 「あっ、かんむりが付いてる!」 金色の紙で作られた王冠が丸いパイを取り囲んでいた。それは子供が“ごっこ遊び”に使いそうな簡単な紙細工だ。ガレット・デ・ロワを手作りする家庭も多いため、王冠もフェーブも雑貨店で入手できる。 そんな簡単な紙の王冠でも子供の心を掴むには十分な魅力があるようで、ハリーは目を輝かせてそれを見ていた。 「さあ、それじゃあ私が切り分けるとしよう」 モンティエ家の当主の役目とばかり、ジャン・クロードはナイフを持った。一呼吸してパイにナイフを入れる。 ──サクッ……。 慎重に六等分に切る様子を全員がかたずを飲んで見守った。誰もが無言でナイフの動きを凝視している。視線が自分の手元に集中していることを意識し、ナイフを握る手が僅かに震える。再びこの場に満ちる言いようのない緊張感。 ──果たしてハリーを王様にする作戦は成功するか。彼は喜んでくれるか……。 「まずは母上に」 ジャン・クロードが一切れ皿に盛ると、コーヒーを注いでいたメイドがそれをエリザベートの前に置いた。 「これはカトリーヌ」 さらに妻の前へ。 「そしてマリー」 レディ・ファーストかつ年功序列で切り分けられたパイをメイドが笑顔で次々配った。 「ステファンの分」 そして──。 「これはハリーのだ」 問題のガレット・デ・ロワがハリーの前に置かれた。そして残ったひとつを皿に入れ、自分の手元に引き寄せるとジャン・クロードは言う。 「じゃあ、いただこう」 それを合図に各々がフォークを手にした時、カトリーヌが思い出したように慌ててハリーに注意する。 「ハリー、くれぐれもゆっくり食べるのよ。一度にたくさん口に入れたり勢いよく噛んだりしちゃだめよ」 「うん、おばあさま」 ガレット・デ・ロワは、食べ物に硬い陶器の異物を混入させているのだ。大人でも毎年必ず幾人かがうっかり歯を折る事故が起きている。初めて食べる幼いハリーがそんな目に遭ったら大変だ。 ハリーは祖母に言われたとおり控えめな量を取り、パラパラ崩れるパイ生地を苦労してフォークにまとめるとそっと口に運んだ。 ──食べた! 祖父母たちは前のめりになってハリーに熱い視線を注いだ。この量だとフェーブは含まれてないだろうが、もしやと思うと握った手に力が入る。 ハリーは神妙な顔をしてムグムグと口を動かし、そして一瞬の後──。 「おーいしーい!」 満面の笑顔でハリーが言うと、大人たちは一斉に顔をほころばせる。忙しい厨房スタッフに無理して作らせた甲斐があった。 「あのね、クリームがすごく甘いの! 周りの皮もパリパリして美味しい!」 嬉しそうにパイを食べるハリーにステファンは見惚れていた。白い肌にバラ色の頬、輝く金髪の幼い甥。もし、彼が教会でやるクリスマスの劇で天使の扮装をすれば、本物の天使にしか思えないだろう。 その時、フォークを口に運びかけていたハリーがふと顔を上げた。 「みんなは食べないの?」 ステファンと同じくハリーに見惚れていた大人たちがハッと我に返る。 「そ、そうだな。お前たちも食べなさい」 「あらやだ、ハリーがあんまり美味しそうに食べるから見惚れちゃったわ」 「ん! 本当に美味しいわねこれ!」 大人たちは慌てて食べ始めるが、そろそろフェーブを見つける頃……と、誰もがハリーから注意を逸らせない。 そんな様子にステファンも苦笑してフォークを手に取る。一切れ口に入れた途端、アーモンドの風味が口中いっぱいに広がった。甘いだけではない素材本来のコク。鼻腔に抜けるバターとアーモンドの香りに目を閉じる。 「父上、これは本当に美味ですね。我が社で販売するのもありかもしれません」 「ああ、私もそう思う。これのレシピを精査して開発を検討しよう」 そんなビジネスアイデアを考えながら、ステファンが再度パイにフォークを入れた、その時──。 カチン。 フォークの先から伝わった硬質な感触、不吉な予感……。 ──まさか……! アーモンドクリームの中に、ここにあるはずのない白い陶器の一部が見えて愕然とした。 そんなはずはない! と自分に言い聞かせながらその異物をクリームから掘り出す。心臓が激しく胸を打ち、冷たい汗が噴き出す。 掘り出したクリームまみれの陶器をナプキンで拭くと、3センチにも満たない白い帆を張った帆船だった。それは様々な種類のフェーブがある中、男の子のハリーが好みそうと思いジャン・クロードが選んだものだ。 「父上、話が違います……」 絞り出すようなステファンの囁きにジャン・クロードは息子の皿を見る。その途端、顔面が蒼白になった。 「い、一体これはどういうことだ……。なぜお前の所に!」 「それはこっちのセリフです!」 両隣の男たちのやり取りに、間に座っているカトリーヌも気が付いて「まあ!」と小さく悲鳴を上げる。 「それじゃあ、ハリーには……? あなた!」 ハリーには……勿論入っているはずがない。だが、今更これをハリーのパイに入れることなどできるわけがない。 「フェーブが入っている場所には目印があったのでしょう? 父上もそれを確認したと言っていたではないですか!」 息子に責められ、いつもならそれが正論だとしても「生意気言うな!」と逆ギレするジャン・クロードも、今回ばかりは分が悪い。確認したのも切り分けたのも自分なのだ。 「確認は、した。模様の月桂樹の葉の形がその部分だけ違っていたはずなんだ。だが、焼いてパイ生地が膨らんでしまうと全部同じようにしか見えなくてだな……」 小さな声でしどろもどろに言い訳をするジャン・クロード。つまり、切り分けながら自信がなかったのだ。 仕方がないことだ。それに、誰よりも孫を喜ばせようと力を入れていたのはジャン・クロードだ。最もがっかりしているのもジャン・クロード自身だろう。ステファンは自らの失敗で気落ちしている父が気の毒に思えた。 その時──。 「ステファンの所に入ってたの!?」 突然上がった声に全員がハリーを振り返った。ハリーは目を大きく見開いてステファンの皿に転がるフェーブを見つめている。 ──気付かれた……! 気付くのは当然で時間の問題だった。だからといって誤魔化すことはできない。ハリーは自分にフェーブが当たらなくて泣くかもしれない。たとえ泣かなくても悲しむだろう。そう誰もが思った。だが……。 「やったぁ! ステファンが王様だ!」 ──えっ!? 想像していたリアクションとは違う。思いもよらなかったハリーの反応に、大人たちは呆気にとられて言葉が出ない。 「ステファンは今年一年幸運に恵まれるんだって! よかったね、ステファン!」 心底嬉しそうにはしゃぐ姿は強がりには見えない。 「あの、ハリー……残念だったわね。ガレット・デ・ロワはまた食べる機会があるわよ」 本心では悲しんでいるかも、とカトリーヌが精一杯の慰めを言う。ハリーはまだ5歳なのだ。普通だったらがっかりするだろう。ステファンも同感だ。そこであらたまってハリーに切り出した。 「ハリー、私は君の方が王様にふさわしいと思う。このフェーブは君の物だ」 ステファンがフェーブを差し出そうとすると、ハリーはううんと首を横に振った。 「いいの! 誰が王様になるかは神様次第なんだって。ね? ひいおばあさま」 「そうね、神様がお決めになったことだわね」 エリザベートは愛おしそうに曾孫の頭を撫でた。 「それにね、おじいさまも、おばあさまも、ひいおばあさまも、元々このおうちで偉いから、だから俺はステファンに王様になってほしい!」 それを聞いてマリーは笑った。まだ小さいくせにこの家の権力図をよくわかっている。 「みんな、そういうことよ」 マリーは立ち上がると紙でできた王冠をステファンの頭に乗せた。そして芝居がかった言い回しで朗々と宣言する。 「新王の誕生である! 皆の者、ステファン王を敬うのだ!」 「ステファン王、おめでとう!」 ハリーは満面の笑みでパチパチと拍手するが、ステファンの顔には「居心地が悪い」と書いてある。ジャン・クロードも自分の思い通りにならなかった展開にまだ納得できない。 「お父さま、いいじゃない。ハリーがこんなに喜んでいるんだから、今夜は大成功よ」 娘に諭されて、ジャン・クロードの顔にようやく笑みが戻った。 「そうだな……。ハリーが喜んでいるなら何よりだ。それにしても、自分が王様にならなかったのに嬉しいとは、まったく変な子だ」 ジャン・クロードに同意してカトリーヌもエリザベートも頷きながら笑った。 一方、ステファンはやや複雑な気持ちだ。小さな子供に気遣いされて大人として実に不甲斐ない。それでもハリーにとって自分は特別なのだとわかってやはり嬉しく思った。 公現祭のたわいもない遊びに一喜一憂する大人たち。しょうもない、と思いつつ、自分もまんまと振り回されてしまった。一時はどうなることかと思ったが、最後には全員が笑顔になった。ハリーが居る、それだけで周りは笑顔になる。そのことにステファンは感謝した。ハリーは家族にとって本物の天使だ。 だが、これで大団円と思ったら大間違いだった。 「ステファン、王様なんだから何かみんなに命令しなきゃ!」 ──は!? 突然、天使は愛くるしい笑顔でとんでもないことを言う。 「え……め、命令!?」 「うん! 俺が読んだ絵本では、最初に王様が命令してからおはなしが始まっていたよ」 たとえこれが子供相手の“王様ごっこ”だとしても、若輩者のステファンが今ここに居る家族たちに命令などできるわけがない。そんなことをしたら、おはなしが始まるどころか、終わりの始まりになってしまう。 父、ジャン・クロードは家の当主としてもモンティエ商会の社長としても絶対の存在で、その妻のカトリーヌも影の権力者だ。祖母のエリザベートはモンティエ商会の会長でゴッドマザーと呼ばれる。マリーは優しくのんびり屋だが、最愛の姉なので頭が上がらない。 それにひきかえ、ステファンはジャン・クロードが外で作った不義の子である。今でこそモンティエ商会の後継者として人々に高く評価されているものの、モンティエ家に引き取られたばかりの頃はよく「愛人の子」と陰口を言われて過ごしてきた。 ステファンは思わずジャン・クロードを見る。ジロリと睨んできた目が「まさか本当にこの私に命令するつもりじゃないだろうな?」と言っている。隣のカトリーヌは目を伏せてコーヒーを啜っているが、眉間のシワから察するに夫と同じ意見だろう。エリザベートもマリーも無言である。 「えーと、みなさんに命令は……その、ちょっとできないかな」 困り笑顔のステファンが額に汗を浮かべてそう言えば、ハリーは「え~」と不満そうな声を上げたが……。 「じゃあ、代表して俺に命令してよ! それならいいでしょ?」 そんな風に譲歩してきた。 「うーん……それなら、まあ……」 ハリーは期待で目をキラキラさせて命令を待つ。しかし、5歳の子供に命令したいことなどあるはずがない。流れとして、ここはハリーが喜ぶような何かにしなければならないだろう。ステファンは暫し考え込む。 「それでは……ハリーは明日、王の釣りの供をするように」 「はい!」 「だめだ」 案の定ハリーは楽しい遊びの命令に大喜びだが、ジャン・クロードはそれを却下した。 「お前は明日から仕事だ」 そう、正月休みは今日で終わり、だいたいの会社は明日から仕事が始まる。モンティエ商会も例外ではない。 「そうでしたね……。忘れていました。すみません」 そういうことだから仕方ないね、とステファンは言いかけたが、ハリーはやっぱり諦めなかった。立ち上がってジャン・クロードの元まで行くと、悲しそうな顔で祖父を見上げ、言った。 「おじいさま、だめなの? 王様の命令なのに……」 吸い込まれそうなサファイアの瞳は悲しみに揺れていて、ジャン・クロードはうっと息を詰まらせる。 「公現祭で王様になっても……やっぱりニセモノの王様なんだね……」 小さく呟いてうつむくハリー。幼い子供の、ひどく落胆しどこか諦めてしまったような姿にジャン・クロードは慌てた。そんな顔をさせるためにガレット・デ・ロワを用意したわけではないのだ。 「そ、そんなことはないぞ! そうだな、どうせ明日は大した業務はないし、王のお供をするがいい」 「ほんと?」 パッと顔を上げたハリーの頭を撫で、ジャン・クロードは苦笑する。 「お前には勝てない」 そしてステファンには小声で「明日だけだからな」とぶっきらぼうに付け加えた。 カトリーヌもエリザベートも安堵して微笑んでいる。マリーにいたっては笑いを押し殺して肩が震えていた。 大の大人たちが一人の子供の一挙手一投足に振り回される。王に命令するよう命令し、泣く子も黙る経済界の重鎮の意見をも変えさせる。 モンティエ家の真の王は、このたった5歳のハリーなのだ。 翌日の夜。 モンティエ家一同は、以前から予約してあったご贔屓菓子店のガレット・デ・ロワを囲んだ。昨夜、モンティ家特製のガレット・デ・ロワのせいで出番を後回しにされていた分だ。 「またお前か! ステファン!」 今度は公正な分配で、しかも切り分けたのはやはりジャン・クロードだ。にもかかわらず、フェーブはまたしてもステファンに巡ってきた。 カトリーヌとエリザベートは苦笑するが目が笑っていない。マリーは涙を流すほど大笑いして母親に窘められている。ハリーは「来年の幸運も先取りしたね!」と言って笑った。 今回のフェーブは青い衣をまとった女。たぶん聖母マリアだろう。 ──マリア様、王様はもう結構です……。 父の理不尽な怒りを一身に受け、ステファンはため息をついた。fin
ガレット・デ・ロワを食べながら思いついたお話。
家族に愛される……を通り越してめちゃくちゃ甘やかされてるハリーw
子供の笑顔は最強なのです。
[2022年 3月 15日]