サイト開設10年の節目の秋に。
始まりの7日間を振り返るハリーの心の旅。
あ!サイトは10年ですが、君花の物語の中の時間は10年も経ってないですよ?(^^;
[2020年 11月 30日]
アメリカ国防情報局(DIA)パリ支局──。 その簡素な建物から出た時、日はすっかり高くなっていた。朝方うっすらかかっていた雲はどこかに消え、今は抜けるような青空だ。晩秋のパリはいつにも増して空気が乾いている。 もう11月なのだ……。 「ブライアント少佐!」 呼ばれて振り向くと俺のあとを追って支局員のハンクスが小走りに駆けてきた。 「空港に向かわれますか?」 「ああ、真っ直ぐ帰るよ」 「では空港までお送りします」 ハンクスは車のキーをかかげ、自分の車を指差す。 「いや、君も忙しいだろ。メトロに乗るかタクシーを捕まえるから私は大丈夫だ」 「少佐こそお疲れでしょう。たまにしかお会いできないですし、是非送らせてください」 そう言われては無下にもできず、彼の厚意に甘えることにした。 狭くてすみません、と詫びるハンクスがハンドルを握るのはフランスの大衆車。助手席に座った俺は、そんな事はないと答えた。後部座席は子供のための荷物でいっぱいだ。彼は若いが、優秀な情報局員であると同時にいい父親でもある。 「少佐もお忙しいですね。今回はきついスケジュールだったのではありませんか?」 「そうだな……。移動を含め三日間でドイツとベルギーとフランスを回って来なきゃならないなんて、仕方ないとはいえ少々詰めすぎだ」 ため息混じりの俺の言葉に、ハンクスは気の毒そうに苦笑した。 ドイツのボンに入ったのは一昨日。気が進まないが外すわけにはいかない会議に出席し、翌日ブリュッセルに移動してとある情報提供者に会った。そして今朝、TGVでパリに来てDIAパリ支局で2時間ほどの打ち合わせ。強行スケジュールだ。 外国での会議で心身共に疲れるのはいつもの事。情報提供者に会うのもその案件の重要性からいって神経を張り詰める。それらに比べればDIAパリ支局は身内だ。よく知った局員たちの顔を見ると少しホッとできた。 あとは空港に行けば飛行機がアメリカまで運んでくれる。ともかく、短くも濃い任務はようやく終了した。 「この季節のパリは綺麗ですねぇ」 ハンクスのしみじみとした言葉に顔を上げると、車窓を流れる景色は見事な秋色だった。 街路樹はだいぶ葉を落としたが、まだ枝に頑張ってしがみついている葉も少なくはない。秋特有の澄んだ青空に葉のオレンジ色が映えて綺麗だ。 それだけではない。歩道を埋め尽くす落葉さえ街の景観に一役買っている。無機質なアスファルトに落葉の絨毯があるだけで通りはやさしい顔になる。 歩道の向こうで市の清掃員だろうか、男性がブロワーで落葉を吹き飛ばしていた。落葉が濡れると滑りやすく危険だ。こうした落葉掃除はまめに行われる。 作業中の男性の傍らを、犬を連れた老人がすれ違う。犬は舞い上がる落葉にじゃれてはしゃいでいた。その光景につい頬が緩む。 「こういう景色、観光客は喜ぶだろうな」 「まさに『パリの秋』ですね」 自分はパリに限らずだが観光名所にはあまり興味がない。だが、時折こういう何気ない景色の美しさに気付かされる時がある。美しい街に人が住まう、ではなく、人の営みがあるからこそ此処は美しい街なのだ。 「せめてもう一日あったら少佐もゆっくりパリの秋を堪能できるんでしょうけど」 「そうだな」 「もう一泊していきますか?」 「さすがに今回は無理だ」 笑いながら言うハンクスに俺も笑って答える。早急に着手しなければならない仕事がワシントンDCで待っている。それは彼も承知だ。 6,200キロ離れた国まではるばる来たが滞在時間は6時間もない。海外の移動は慣れているとはいえ、これではあまりにも弾丸行程だ。 そろそろモンティエの家に顔を出すべきなのだろう。母はいいとして、たまには祖父母に顔を見せなければ薄情な孫と言われそうだ。だが、こんな日程では身内に会う事もできない。 祖父母や叔父、そしてあのバーテンダーにも……。 「海外出張もたまにはゆとりを持った日程を組めればな……」 流れる景色を眺めながら、そんな独り言を呟いた。 車はパリの中心部へと入った。窓の外にあの特徴的な建物が見えてくる。 ポンピドーセンター──。 それを目にした俺は、先ほどからぼんやり考えていた事を言葉に出した。 「ハンクス君、悪いが此処で降ろしてくれないか?」 突然の俺の言葉にハンクスは驚いて振り向く。 「えっ? 此処から空港はかなり遠いですよ?」 「少し歩きたいんだ」 「飛行機の時間は大丈夫ですか?」 「搭乗時間はまだだいぶ先だ。早く着きすぎて空港で時間を潰すのもかえって疲れる」 「なるほど、了解です」 満面の笑みでハンクスは言うと、ハザードを上げ、車を歩道に寄せて止めた。 「お気を付けて、少佐。本部の皆さんにもよろしく」 「ありがとう。世話になったな」 握手を交わし、バッグを持って車を降りる。ハンクスは軽く片手を上げ、車を発進させた。 走り去る車を見送り、俺は秋の空気を胸いっぱいに吸い込んでから歩き出した。 並木道をのんびり歩く。降り積もった落葉が足の下で乾いた音を立てる。風が吹くたび梢が揺れて、堪えきれなかった葉がひらひら落ちてきてコートの肩にとまった。 ふと、こういう光景のBGMとしてイヴ・モンタンの『枯葉』を想像してみたが……。 ──いや、なんか違うな。 晴天の活気ある通りに、悲恋を歌ったスローバラードは似合わない。そう感じるのはきっと自分だけではないだろう。 木漏れ日が眩しくてサングラスをかけた。荷物は必要最低限の着替えと少しの書類だけ。バッグは軽い。結構な距離を歩いた気がするが疲れはほとんど感じなかった。 大きなショッピングセンターの近くまで来た。いつかアクセルに買い物を付き合わせた、あのショッピングセンターだ。そこから2ブロックほど西に行くと昔から贔屓にしているシーフードレストラン。時間があればこの店で昼飯を食べて行きたいが、あいにくそこまでゆっくりはしていられないだろう。 そのシーフードレストランはアクセルも気に入ってる店らしく、あの日も二人でエスカルゴを食べながらアクセルの生い立ちを聞いた。 決して幸せとはいえない幼い日々の事を、何でもない事のように語ったアクセル。ガーリックの香りと、ワイングラスの向こうの陽気な笑顔を思い出す。 今頃アクセルは何をしているだろうか。もう昼だ、さすがに起きているだろう。そして平日の今日も仕事のはずだ。奴はいつ頃『ネオ・トリアノン』に向かうのだろう。 さっきから俺はアクセルの事ばかり考えている。自分でもわかってはいた。この界隈はアクセルの面影だらけなのだ。 そして、あの公園……。 まるで最初からそこが目的地だったように、俺の足は自然とそこに向いていた。 公園内の木々は通りの街路樹よりも多くの葉を残していた。地面に落ちた枯葉もまた多い。風で飛んできた枯葉が足にまとわりついた。 向こうの方で幼い子供たち4、5人が遊んでいる。落葉をかき寄せ、両手いっぱいに抱え、空に向かって盛大に撒き散らす。フカフカの落葉の山にダイブする。その度に楽しげな歓声を上げていた。 他にも、のんびり散歩する者、写真を撮る者、ベンチで軽食を食べる者……。意外と多くの人が来ている。皆、残り短い秋を満喫しているのだ。 そして──。 並木に背を向けて、変わらぬ場所にあのベンチがあった。 パリには数少ない銀杏の木。その傍らにある、あの日二人で座ったベンチ……。 丁度、座っていたカップルが立ち去った。彼らが振り向かず歩き去るのを見届け、少し迷ってから俺はベンチに座る。 近くでバイオリンを弾いている者がいた。ストリートミュージシャン、と言ったら聞こえはいいが、おそらくホームレスだろう。そういえば、あの日も此処でバイオリンの演奏を聴いた。 コートのポケットに手を入れ、背もたれに身体を預けて空を見上げる。 ──ここは少しも変わってないな。 アクセルと歩いた公園。季節もまさに今頃。あの日の光景と何ら変わってない。 不思議な感覚だった。まるで時空を飛ばされて一人だけ過去に戻ったような気がする。そして目に映るすべてのものが懐かしいと感じた。此処に来たのは懐かしがるほど昔ではないというのに……。 このベンチでいろんな話をした。アクセルが愛した女への想い、別れ、迷い、そして懺悔。決して昔話ではなくまだ血がにじむ心の中を、出会ったばかりの俺に語ってくれた。 ふと、アクセルに言われた言葉を思い出す。 『あんたの事さ、ガブリエルって呼ぶよ』 あの日、自分は此処でガブリエルという名を与えられた。 なかなか名乗ってくれない俺に、アクセルが仮に付けた名前だ。口では文句を言ったものの、俺はこの名前が気に入って、これが本当の名前だったらよかったのにとすら……。 ハッと我に返って思わず笑う。 ──なんだよハリー、柄にもなくずいぶん感傷的になってるじゃないか。 さっきから思い出に浸ってばかりの自分を心の中でからかう。こんな事を考えてしまうのも『パリの秋』のせいだろうか。 この公園だけでなく、この街のそこかしこにアクセルの影がある。こうして思い出を辿ってしまうほど色濃く……。 ──まったく、初めてパリに来た観光客じゃあるまいし。 パリには何度も来て慣れているどころか、俺は半分フランス人だ。母も祖父母もフランス人でフランス在住だ。つまり、パリは実家と言ってもいい。 だから、今さら何を、と思った。 今まで鳴っていたバイオリンの音が止み、拍手が起きた。 思わず立ち上がって振り返ると、バイオリニストを取り囲んでいた見物人たちがめいめいに散っていくところだった。バイオリニストは跪き、バイオリンケースに入れられた小銭をかき集め、弓を仕舞っている。 「もう店じまいするのか?」 側まで寄ってそう声をかけると、バイオリニストは驚いて顔を上げた。 「場所を変えようと思ってね」 その顔を見て俺はふと思う。あの日バイオリンを弾いていたのもこの男ではなかっただろうか……。 年は60くらい。ツイードのズボンとベスト、そして蝶ネクタイ。小綺麗ないでたちだが、やはり家を持たない者なのだろう。 「もしよかったら一曲弾こうか?」 男はそう申し出てくれた。 「いいのか?」 「いいよ。何かリクエストはあるかい?」 それに俺は少し考えるふりをしたが、聴きたい曲は決まっていた。 「では『G線上のアリア』を」 俺の言葉に男は満面の笑顔でバイオリンを構えた。 「いいね。得意な曲だ」 男は息を吸って止め、ゆっくり弓を引く。澄んだ音色が空気を震わせた。 その演奏は趣味のバイオリンと言うにはレベルが高かった。このテクニックはどこで身に付けたのだろう。もしかしたら音大で教育を受け、バイオリンで生計を立てていたのかもしれない。 そして、やはりこの男はあの時のバイオリニストだと確信した。 不思議な巡り合わせを感じる。ベンチも、銀杏の木も、このバイオリニストも、まるで俺が此処に還って来るのを待っていたかのようだ。 バイオリンのやさしい音色にアクセルの声が蘇る。 『パリには“おかえりなさい”なの? それとも“ようこそ”の方?』 『俺が勝ったら……明日、俺とデートして』 『あんたを……大事にしてぇなあ……』 『あんたが呼んでくれたら、俺はいつでも応えるから』 俺は梢を見上げる。 バイオリンの弦から流れ出した音符が、ひとつずつ連なって弓を伝い、アクセルの声を連れて高い空を昇っていく。それらはふわふわと木々の小枝をくぐり、太陽の光にとけて消えていった。 『俺を呼べ!!ガブリエル!』 ああ……あいつは何度俺に手を差し伸べてきただろう。 もう、感傷的でも何でもいい気がした。この曲をリクエストした時点でクールなふりをするのは諦めた。言い訳してどうなるというのか。 アクセルと過ごした秋の7日間──。泣き、笑い、時に憎み、抱き合ったあの7日間を、人はロマンスと呼ぶのかもしれない。 たしかに、俺にとってそれはロマンスだった。 長く弓を引ききって、最後の一音は余韻を残し静かに消えた。 あたりからパラパラと拍手が起こる。いつの間にか、また周りに見物客が集まっていた。彼らはバイオリンケースに小銭を入れると満ち足りた顔で立ち去っていく。 「ありがとう。いい演奏だったよ」 自分一人が残ったあと、俺は男に言った。 「こちらこそ、リクエストありがとう。これは私も大好きな曲でね、弾けて嬉しいよ」 男は照れた顔でそう言うと、今度こそ片付けを始める。 俺は財布から紙幣を数枚出すと、それをバイオリンケースに入れた。それを見た男は弾かれたように顔を上げる。 「こんなに!?」 「あんたのバイオリンはウィーン・フィルの定期演奏会より価値があった」 尤も、ウィーン・フィルを聴こうと思ったらこんな額では済まないが、それでも路上演奏のチップとしては相場を遥に超えているのだろう。 男はしばらく茫然としていたが、やがて立ち上がりあらたまった顔で言う。 「こんな浮浪者には身に余る言葉だ。どうもありがとう。……どうか握手をさせてくれ」 男は手のひらをズボンでごしごし拭き、俺に手を差し出した。 「どうか、長くバイオリンを続けてくれ」 差し出された手をしっかり握り、俺は心からそう言った。 公園の出口に向かって歩きながら考える。 アクセルと出会ったあの7日間は人生を変えるほどの出来事だったのかもしれない。だが、「変わった」というより「得た」と言う方が正しい気がする。 俺はあまり振り返る事をしない。常に前を向いてきた。だが、こうしてたまに立ち止まって自分を振り返ると新たに知る事がある。 自分はアメリカ人なのだな、とあらためて思う。 身体の中を流れる血が半分フランス人であっても、どんなにこの国にやさしい思い出があっても、俺の望みは生まれ育ったアメリカを守る事だ。 あの7日間とアクセルの存在は、そんな俺に力をくれた。通り過ぎた甘いだけの記憶ではなく、今の俺を形作る一本の線として、それはたしかに繋がっている。 それを確かめたくて、俺はこの公園に来たのかもしれない。 急にペンタゴンが懐かしくなった。 部下たちに手を焼き、管理部に嫌味を言われ、いつも何かに追われる慌ただしい日々だけど……。 ──さあ、帰ろう。 感傷散歩は終わりだ──。 最後に頭上を振り仰ぎ、空の青とこがね色の木々を目に焼き付け、俺は秋色に染まった公園に背を向けて歩き出した。 通りまで出てタクシー乗り場に立っていると、幸いすぐに一台のタクシーが止まった。 「シャルル・ド・ゴール空港」 後部座席に乗り込み行き先を告げる。タクシー運転手は短く返事をし、メーターを倒すと車を発進させた。 「今の時間、渋滞はしてないだろ?」 平日の昼間だ。どこかで事故や工事に出くわさなければさほど混みはしないだろう。しかし、余裕があるとはいえ飛行機の時間がある。念のため運転手に訊いてみた。 「そうだね。結構スムーズに着けると思うよ」 「そうか、助かる」 順調にいけば40分ほどで着く。空港でコーヒーを飲む時間くらいはありそうだ。 「お客さん、これから旅行かい?」 ふいに運転手が話しかけてきた。 「いや、アメリカに帰るところだ」 「あ、アメリカ人か。いやさ、フランス語が上手いからこっちの人かと思ったよ」 俺は「そりゃどうも」と笑って答えた。 窓の外を、見慣れた街並みが流れていく。タクシーはいつの間にかレ・アールに入っていた。 昼時にはいつも行列のできるパン屋、その隣には古着屋、角には老舗のカフェ。道路を渡ってすぐにあるのは最近できたビストロ、少し行った所には午後4時には閉店してしまう菓子店。それから──。 それを目にした瞬間、俺は素早く反応した。 「ちょっと止めてくれ」 「えっ!」 突然の指示に運転手は慌て、咄嗟にブレーキを踏む。タイヤを鳴らし、つんのめるようにタクシーは止まった。後続車がなかったのが幸いだ。 「此処で降りるのかい?」 「いや、そうじゃないが、少しの間止まっていてくれ」 困惑しつつも運転手は頷き、車を寄せてハザードを点滅させた。 俺はもっとよく見るために窓を開け、サングラスを外した。 『ネオ・トリアノン』の前にアクセルがいた──。 何故こんな時間にいるのか……。出勤には早すぎる。 その疑問の答えは店の前の歩道に積まれた一揃いのソファだ。見覚えのある布張りのソファは『ネオ・トリアノン』で使われていたもので、所々擦り切れていた。だいぶ古くなったそのソファセットを、アクセルは店内から此処まで運び出していたようだ。 シャツの袖をめくったアクセルは若干息を切らしている。肉体労働もひと段落なのか、煙草を取り出して火を点けた。 店の前に家具店のトラックが停まっていた。作業員が二人がかりで荷台から革張りのソファを下している。どうやら『ネオ・トリアノン』は新しくソファを入れ替えるらしい。 店の中からレディ・ジョーが出てきた。何か図面のようなものを持ってアクセルに話しかけている。二人は頭を寄せ合い、図面を指差しながら話し込んでいる。打ち合わせをしているのだろうか。 そこへ作業員の二人も加わる。アクセルの手ぶりは作業員に配置の指示をしているようで、レディ・ジョーも作業員も頷きながらアクセルの話を聞いていた。 アクセルの表情は真剣だ。ふざけた態度はまったくない。 俺はよくアクセルにガキと言ってきたが、本当は俺が知っている同年代の若者よりアクセルはずっと大人だ。孤児ゆえに苦労した経験がアクセルを大人にしたのかもしれない。 知らない人がこの様子を見たら、アクセルとレディ・ジョーは共同経営者だと思うだろう。 以前レディ・ジョーが、いずれこの店はアクセルに任せる、と言った事を思い出した。 今なら納得できる。これが仕事をするアクセルの本当の姿なのだと思った。 やがてむずかしい話も終わったのか、彼らに和んだ雰囲気が戻った。レディ・ジョーが指を振りながら何かを言い、聞いていたアクセルが吹き出す。二人の作業員もつられるように笑っていた。 ──お前は頑張っているんだな。 口元が自然とほころぶ。 自分の知らない所でリーダーぶりを発揮しみんなをまとめているアクセル。その頼もしい姿を見て、俺は自分の事のように誇らしく感じた。 アクセルはパリそのものだ。魚が水の中でしか生きられないように、アクセルもパリでなければ生きていけないだろう。 自分はアメリカを離れるわけにはいかない。だから尚の事、自分の分までアクセルにはこの街の空気の中で泳ぐように、自由自在に生きてほしいと願う。 ──あとは頼んだぞ。 俺は窓を閉め、サングラスをかけ直す。前を向くと、ルームミラー越しに運転手と目が合った。 「急に止めさせて悪かったな」 「お客さん、此処で降りなくていいのかい?」 運転手は真顔で振り返り、正面から俺を見てそう言った。 タクシードライバーはいろいろな客を乗せて様々な人間模様を見ている。彼も経験上、俺の視線を追って、俺が何かに心を残していると感じたのかもしれない。 「いいんだよ」 パリを発つ直前で偶然にもアクセルの姿が見られた。 頑張るアクセル。 笑っているアクセル。 もう、それだけで……。 「出してくれ」 はいよ、と運転手は微笑み、ゆっくり車を発進させた。 バックミラーの中の『ネオ・トリアノン』が遠ざかる。それはどんどん小さくなり、やがて視界から消えた。 タクシーは枯葉を舞い上げ、秋の街をあとにした。fin
サイト開設10年の節目の秋に。
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あ!サイトは10年ですが、君花の物語の中の時間は10年も経ってないですよ?(^^;
[2020年 11月 30日]