地元ワシントンD.Cにおけるハリーの日常のワンシーン。まるで彼が飲む深煎りコーヒーの香りがしてくるようです。
厳しさと柔らかさを抱えるハリーの姿がとても彼らしく、つかの間の休息にアクセルを想う気持ちがなんだかあたたかい・・・。
ナオ様、凄く素敵なお話でした・・・。本当にありがとうございました!
[2010年 9月 24日]
世界で最も裕福な国のひとつ、アメリカ合衆国。 その首都たるワシントンDCから、川を挟んで向かい側にハリーの勤務地がある。 川向こうのペンタゴン方面と時折通り過ぎるジョガーをぼんやりと眺めながら、ハリーは珍しくオフの安息日を過ごしていた。 朝8時、ポトマック川と公園に面した古いコーヒーハウス。 夏の休暇シーズンも終わり、観光客もめっきり減った。 東欧でのミッションを終え合衆国に戻ってきたハリーは、朝食を取りながらつかの間の休日を楽しもうとしていた。 店内にはハリーの他に、早朝ミサの帰りと思われる老夫婦がのんびりとパンケーキを頬張っている。 この時間にサーブされるメニューは一種類だけである。 サワーミルク入りの伝統的なパンケーキに、たっぷりとかかったメープルシロップ。店主が尋ねもしないのに教えてくれたところによると、ノースダコタ産の最高級品だそうだ。アメリカ風のビッグブレックファストには、カリカリに焼いた(ほとんど消し炭の)ベーコンとソーセージも欠かせない。 普段朝食をほとんど取らないハリーには多すぎる食事だが、にこにこと自慢のプレートを勧めてくる老店主の気分を害したくなかった。 プレートを半分ほどつついて新聞を読み始めたハリーに、店主がコーヒーのリフィルを持ってやってきた。 短く礼を言い、湯気の立つカップに口をつける。 アメリカのコーヒーというものを旨いと思ったことはなかったが、この店のコーヒーは別だった。フレンチローストの、舌がしびれるように熱く苦いコーヒーは、ヨーロッパに縁の深いハリーの味覚にしっくりと馴染んだ。 ふと、パリで飲むコーヒーを思い出す。 もはやパリのステロタイプともいうべきオープンカフェで飲むものではなく、ホテルのラウンジで出されるものでもない。 古びたアパートメントの一室。小さな窓の外には申し訳程度のバルコニー。 磨いたことなど一度もないであろう窓ガラスを、室内の湿気が曇らせる。 鼻孔に鮮やかによみがえる、アクセルのコーヒーの匂い。 いつの間にか、ハリーの心の中にしっかりと居場所を確保してしまった彼が入れるコーヒー。 彼は元気だろうか。 最後に会ったのはいつだったろう。 パリで一緒に買い物に出かけた。あまり着る物に頓着しないハリーに、洋服を選んでくれた。 そうだ、今着ているこの服。 涼やかなブルーグレーのコットンニットの柔らかな感触に、知らず頬が緩む。 (あんたみたいなブロンドにはさ、こんな色が似合うんだって) そう言って、メインストリートを外れた小さなセレクトショップにハリーを連れて行ったアクセルは、迷いなく何枚かを手に取った。 (ほら、な) パリジャンらしくこなれたセンスの持ち主である彼は、このニットをハリーの首元に当て、にっこり微笑んだ。 突然鳴り響いた電子音に、ハリーはパリの裏通りから??彼のそばから、DCの小さなコーヒーハウスに引き戻される。携帯電話の表示を一瞥して軽く舌打ちすると、通話ボタンを押して短く名乗った。 『し、少佐!』 クリストファー・ローレンの慌てた声に、軽くため息をつく。どうやら、早くも休日が終わってしまうようだ。 「どうした」 『A国関連で不穏な動きがありました。明日の月曜付で、在米大使が更迭されるそうです』 「どこから出た話だ」 『DoS(国務省)の例の次官補です。明朝1000に公示と』 冷静なハリーに、うわずっていたローレンの声が徐々に落ち着いていく。 煙草を取り出したハリーは、それでも老夫婦の存在を思い出し、しかめ面でまた胸ポケットに仕舞った。そもそもこの店は禁煙ではなかったか。 「本国の保守派が宣戦布告か。一波乱あるな」 『おそらく』 「わかった。とにかくオフィスに向かう」 恐縮するローレンをあっさり無視して通話を終えると、新聞を手に立ち上がる。 結局食事の半分は手つかずだ。立ったままコーヒーを飲み干すと、勘定と多めのチップを置きハリーは店を出た。 初秋のさわやかな風が、ポトマック川の水面をさざめかせる。 地下鉄の駅に足早に向かいながら、ハリーは携帯電話に登録してあるアクセルの番号を眺めていた。パリは夕方、彼は出勤準備をしているころだろうか。 少し迷い、結局電話はかけなかった。 あと数ヶ月もすれば、クリスマスシーズンだ。有給もたまっていることだし、少し長めのホリデイを過ごせるだろう。 (ゴードンを締め上げて、さっさとチケットを押さえるか) その前におそらく、内戦の気配濃厚な彼の地で一仕事しなければならないだろう。 あの古ぼけたアパートメントと、これから向かうであろう戦場とのあまりの差に眩暈を覚える。 あのアパートメントには、暖かなコーヒーと年下のバーテンダー。 以前のハリーであれば一笑に付したかもしれない、日常の温もり。 今はそれが、ハリーを強くする。そして世界につなぎ止める。 地下鉄の階段を降りながら、ハリーはすでに気持ちを切り替えていた。 ローレンからもたらされた情報を整理し戦略を練りはじめる。 まずはDoSのソースに当たって裏を取るべきだろう。ペンタゴン内でも足並みを揃えるべきだし、できるならリベラルでならした大使とも送還前に話しておきたい。 改札に向かう通路から一瞬地上を振り仰ぐ。 柔らかな秋の陽光が通路の埃を照らし、光の道筋を作っていた。 なぜかそれがアクセルのアパートメントで迎える朝を思い起こさせ、自分に軽く呆れる。 息を吐き出し、小さく悪態をつくと、くるりと踵を返し再び歩き出す。 DCにいようが、アーリントンにいようが、どこぞの紛争地域で瓦礫に這い蹲っていようが、結局思うことはいつも一緒なのだ。 アクセル、お前のコーヒーが飲みたい。 アクセル、お前に会いたい。 FIN ※この小話はフィクションであり、実在の組織・事件には一切関係ありません。
地元ワシントンD.Cにおけるハリーの日常のワンシーン。まるで彼が飲む深煎りコーヒーの香りがしてくるようです。
厳しさと柔らかさを抱えるハリーの姿がとても彼らしく、つかの間の休息にアクセルを想う気持ちがなんだかあたたかい・・・。
ナオ様、凄く素敵なお話でした・・・。本当にありがとうございました!
[2010年 9月 24日]