ハリーからすべてを奪ったエアバス828便の悲劇……。
軍事・航空機事故調査に精通しているジャーナリストの考察が鋭くて、物語に説得力がありました。空港、飛行機、ミリタリー好きとして萌え!
「『君という名の花』のオマージュです」とのこと、光栄です////
LEO様、カッコいいお話を本当にありがとうございました!
[2020年 12月 17日]
シャルル・ド・ゴール国際空港──。 別名「ロワシー空港」。パリ市街の北北東約23kmのロワシー・アン・フランス郊外に広がる24時間眠らない、パリの玄関口。年間利用客数7千万人、航空機の発着回数はヨーロッパ第1位の世界の重要な航空交通拠点の一つであり、行き交う人々の出会いと別れ、希望と喜び、そして悲しみが織りなす人生のトランジットでもある。 フレンチローストは私の口には合わない。 だがいつも、ここの変わらぬ味と香りは、高まる気持ちを客観的な視点へと引き戻してくれる。 私は小さなコーヒーカップを受け皿に戻し、Macにレポートを打ち込んでいく。 Ae’rogare2(第2ターミナル)の出発ラウンジ。クリスマスも近く、ロビーは混雑しているが、ここは静かな時間が流れている。ラウンジが見わたされる私の席からは、大きな窓越しに、たそがれの青い闇に吸い込まれるように上昇する旅客機の識別灯の点滅、そして帳が降りた地表にはブルーグリーンの誘導灯の輝きが幾重にも交差し、滑走路に伸びているのが見える。航空会社のロゴをライトアップした垂直尾翼がゆっくりと視界を横切る。 私は、これからイスタンブール経由でアゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ国際空港に行き、現地で活動している国際ジャーナリストと合流し、首都バクーへと向かう。前政権の一等政務次官とのコンタクトが実現のものとなり、今も続いている「ナゴルノ・カラバフ紛争」の真実に近づけるはずだ……。 レポートを打ちつつ、無音で映し出される大型テレビスクリーンの隅に流れるヘッドラインニュースに目が留まる。 ──あれから10年になるのか……。 10年前の今日、フランス、シャルル・ド・ゴール国際空港発、ワシントンD.C、ダレス国際空港行きのエールフランス航空828便のエアバス機が乗員乗客178名を乗せたまま北大西洋上で消息を絶った。 航空機遭難の国際調査プロトコルに基づきフランス、アメリカ、イギリスによる大規模な洋上捜索が行われたが、現場周辺で遺留品や証拠となる事象を発見するに至らなかった。しかし、半年後、フランス西部の岬で救命胴衣や機体の残骸の一部が漂着しているのを発見、フランス民間航空事故調査局(BEA)によってエールフランス航空828便のものと確認され、墜落が確定的となった。 大西洋の遠く水平線まで見わたされ、あのときの空と繋がっているその岬には小さな慰霊碑が建立されているはずだ……。 事故当時の状況を整理してみる。 エールフランス航空828便は定刻より35分遅れの17時35分、シャルル・ド・ゴール空港の08L滑走路から離陸。騒音防止対策のため、パリ市街地を避け左旋回で西向きに進路をとり、6.5%の上昇勾配で1,500ftまで離陸推力で上昇、一度水平飛行でエンジンチェックなどの性能確認を行った後、上昇出力に切り替え、巡航高度までステップアップ巡航で上昇していく。828便はパリ進入管制区からギャンダー海上管制(CZQX)に管制を引き継ぎ、監視レーダーや無線基地局のない北太平洋航路(NAT)を一路、西へと向かう。 離陸してからおよそ4時間、機内では機内食も片付けられ、仲間と談笑をする若者、編み物をする老婦人、優しくおなかに手を添える妊婦、映画を見る恋人たち、眠りにつく幼い兄弟など、乗客は思い思いの時を過ごしていたはずだ。クリスマス休暇を前に、遠く離れた家族や恋人に会うのを楽しみにしている者もいるだろう。 パイロットは北太平洋航路(NAT)上の定点を通過する度に定点通過報告と、二つ先までの定点への到着予定時刻の報告を衛星通信(CPDLC)か、短波ラジオを通じて行う。しかし21時53分、エールフランス828便は高度3万2千フィートでメーデーや異常を知らせるシグナルもなくATCトランスポンダが自動応答を返さなくなり、ギャンダー海上管制(CZQX)との交信が途絶したのである。 墜落原因の真相は未だに明らかになっていない。 当日の航路上は天候にも恵まれており、巡航高度の成層圏では乱気流や雷に遭遇する可能性は著しく低い。 可能性が高いのは何らかの原因で機体が空中分解したことだ。 1996年、アメリカのトランス・ワールド航空(TWA)のボーイング747が爆発による空中分解で墜落した。海底に散乱した機体の全ての残骸を回収し事故調査を行った結果、電気配線がショートして発生した火花が燃料タンクに残留した気化ガスに引火して爆発したことが明らかになった。 事故当日、エールフランス航空828便の後続機など複数の旅客機のパイロットがコクピットから閃光を見たという報告があり、目撃の時間と方向を総合すると828便の遭難地点と概ね符合することから空中分解を裏付ける論拠として十分な説得力を持つ。 TWAの事故後、燃料タンクの改修や電気系統の強化によって安全性は向上したが、それでも予測のし得ないなんらかの機体トラブルが発生した可能性もゼロではない。 一方で航空テロが原因とされる見方がある。 エールフランス航空828便遭難のニュースが流れてから複数のメディアにテロリストと名乗る組織から犯行声明が送りつけられたが、フランス民間航空事故調査局(BEA)や国際刑事警察機構(ICPO)が押さえている事実とは合致しない事項もあり、売名行為としての便乗や悪戯の可能性も捨てきれない。 ただ、828便が離陸した後、不審な男がシャルル・ド・ゴール空港で捕まり、「アメリカに死を!」と叫んで自害しようとしたことが伝えられている。取り調べの結果は、「自供なし」ということで当局からは、その男について詳細を公表されたものは一切なかった。その男がテロリストで何らかの方法で爆発物を機内に持ち込み爆破させたとしても、墜落したのはフランス国籍の航空機であり、男が叫んだ言葉には矛盾を含んでいるように思えた。爆発物を仕掛けるのであれば当然アメリカ国籍の航空機であるはずだ。しかし……。 その事件の10日ほど前にアメリカとフランスが連携する軍事作戦によって、テロ組織幹部が殺害されている。 数年前に発生したニューヨーク、パリ地下鉄爆破同時テロ。両国民と世界中に悲しみと恐怖、テロへの憎しみを植え付けた事件で、毎年追悼集会が行われ、悲しみを新たにしている。テロの首謀者を追っていたアメリカ軍はついにその居場所を把握、報復とテロ組織弱体化のため、アラブ首長国連邦フランス軍敷地にある第104アル・ダフラ空軍基地よりアメリカ軍特殊部隊とフランス軍空挺部隊が出動し、作戦を遂行したのだった。 もし、エールフランス航空828便の墜落事件がテロ組織の報復行為ということであればフランスが標的になったのは自明の理である。しかし、アメリカへの報復という意味ではエールフランス機を狙った理由として些か腑に落ちない。アメリカを恐怖に陥れようとする、我々の想像を超えた何かがあるのだろうか。 私はキーボードを打つ手を止め、ぬるくなったコーヒーを口元に運んだとき、ふと窓際のカウンター席に一人の男が背を向けて座っているのが目に入った。肩までのブロンドの髪、スーツに包まれた真っ直ぐな背中は孤独でどこか悲しげだ。ガラスに映った表情までは読めないが、きれいな顔立ち。だが、研ぎ澄まされたナイフのような緊張感が漂う。持ち物は薄い小さなアタッシュケースのみ。普通のビジネス客ではないだろう。 彼の視線は空港の夜景の遠くにあったが、私が見ていることに気付いている、そう感じ、私は慌ててMacの画面に目を落とした。 828便の墜落原因調査は数少ない遺留品によって地道に進められていたが、フランス民間航空事故調査局(BEA)の中間発表によって事態は急変、フランス国内外に大きな波紋を広げた。828便の残骸からTNT火薬の爆発による硝煙反応が検出され、しかも外側から内側へ破壊が進んでいるとの発表だった。つまり、テロリストにより機体に仕掛けられ爆弾や機体のトラブルから生じた爆発のように内部からの破壊によるものではなく、外からの「攻撃」による破壊である事を示唆している。 これについてはフランス政府との調整が不十分なままで公表に踏み切ったため、国際的な軋轢にも発展しかねないことから、数日後、航空事故調査局は発表内容を撤回、調査結果を保留としたが、これがもし真実だとしたら国際問題にも発展する。 可能性を推測しよう。 墜落地点は、フランスから約2千マイルの大西洋の洋上、旅客機の高度は3万2千フィート。仮にテロリストが洋上の船舶で待ち伏せ、船上から携行用の武器で攻撃したとしてもRPGはもちろん、スティンガーミサイルでも有効射程高度は4千m未満で巡航中の航空機の撃墜は不可能だ。テロリストが待ち伏せ攻撃を企てた可能性は限りなく低い。 そうなると大西洋上に展開する高い攻撃力を持つ何者かが、誤って、あるいは意図的に民間機を撃墜した可能性が濃厚となり、動機も含め事態はより複雑となる。 墜落地点はヨーロッパと北米大陸から最も遠い大西洋の中央付近であると推測されており、アメリカ東海岸からおよそ3,000kmの距離である。 大西洋上は旅客機の航空管制で用いられる洋上航空路監視レーダー(ORSR)のレンジ外にある。しかし、軍事用に用いられるOHTと呼ばれる超水平線レーダーは短波帯の地表波や上空波(電離層反射波)を利用して水平線以遠の観測を行なうことが可能であり、ロシアがチェルノブイリに配備しているOHT「ドゥーガ3」(NATOコードネーム「スチール・ヤード」)が大西洋上の飛翔体を監視しているとされている。 大西洋地域の軍事的な地勢を考えるとイギリスが最も近いことになるが、その他周辺各国と同様、OHTに補足されないよう秘密裏に民間機を撃墜するのは困難と考える。また、大西洋に展開している潜水艦の巡航ミサイルによる攻撃の場合でも、攻撃可能な海域にいることは、かなりの偶然を期待しなければならない。 仮にアメリカ軍のミサイル基地からミサイルによる撃墜を試みようとしよう。この距離では弾道ミサイルの射程が必要となり、時速900km/hで移動する航空機を弾道飛行で撃墜するだけの精密な誘導手段はない。巡航ミサイルでも有効射程距離は500km程度であり、その位置での撃墜は不可能である。 そうなると、ステルス性能を有する戦闘機あるいは爆撃機が目的地近くまで飛行し、空対空ミサイルで直接攻撃する手段が残る。アメリカ東部の空軍基地からF22戦闘機あるいは、B2ステルス爆撃機を出撃させても巡航速度マッハ0.8では、現場付近に到達するのは3時間を要する。撃墜命令を出すまでの政治的判断、関係国との調整、そして最終的な大統領の決断、爆撃機の発進までの準備などで相当な時間を要すると思われ、大西洋中央で撃墜することはかなり困難である。スクランブル待機のF22ステルス戦闘機を緊急発進させても作戦行動半径は1,500kmほどであり、給油機なしでは撃墜空域まで到達することは不可能である。 しかし、もし仮に828便がシャルル・ド・ゴール空港を離陸するとほぼ同時にB2ステルス爆撃機が空軍基地を緊急発進していたとしたらどうだろう。計算上、撃墜空域に間に合うことになる。そんなことはあり得るのか。 このようなシナリオを想定してみる。 アメリカ東部標準時12時05分(パリ18時05分)、フロリダ州エグリン航空基地の第53航空団所属、B2ステルス爆撃機2機に出撃命令が下される。828便が離陸してから30分後のことだ。旧ソビエト連邦が解体され、共産圏からの脅威が減ることで、国防の比重は大西洋地域から次第に太平洋・アジア地域にシフトしているが、戦略上、冷戦時代の矛先は今日でも維持され、アメリカ東部の空軍基地では戦略核ミサイルを搭載した爆撃機が大統領命を待って常時待機、第53航空団のB2ステルス爆撃機もその一翼を担っていた。 今回の出撃命令は大統領命ではなく、空軍基地司令が国防長官の命令で指示を下した。ハンガーでは急ぎB2爆撃機のウエポンベイから核ミサイルを下ろし、代わりに有効射程距離100km以上の中距離空対空ミサイルAIM-120を4発搭載する。攻撃目標や撃墜命令は出ていない。対空兵装に換装し、ただ目的地に向かえ、との命令だ。 東部標準時12時20分、整備兵が見送る中、2機の黒い全翼機は東の空に向かって飛び立った。 そしておよそ3時間後、B2爆撃機は目的地点に到達。成層圏は凍るような漆黒に包まれ、西の水平線に夕日の名残が僅かに薄付いているのみだった。 そこでB2爆撃機のパイロットは初めて作戦の目的を知らされる。 「Roger」 黒い翼は、エールフランス航空828便のIFFを補足し、大きくターン、目標の後方10kmの位置で死の影のように張り付く。1機は攻撃のため、もう1機は予備と観測のため。 まだ攻撃命令は出ていない。1秒1秒が長く感じられる。 アメリカ政府はあらゆる可能性に対処するため、爆撃機を先行して出撃させた。同時にフランス国籍の航空機撃墜の是非について国内および様々な外交ルートを通じて秘密裏に緊急の閣僚級の協議を行い、ホットラインで各国のトップ同士が決断を下したのは、作戦遂行リミットぎりぎりだった。 沈黙を破って、無線機の向こうから攻撃命令が出される。B2ステルス爆撃機「スピリット」は空対空ミサイル発射シークエンスに入り、目標をロックオン。HUDの表示に発射キューが赤く点滅する。 パイロットは聞く「目標に間違いはないか?」 間違いない、との短い答え。 ──発射。 4発のミサイルは、ウエポンベイの兵装ステーションから切り離されるとロケットモーターに点火、高速で機体を離れ、アクティブレーダーホーミングで標的を追尾。10.7秒後、レーザー近接信管により到達直前に起爆、目標を破壊した。 これは、あくまでも不確定要素を含めたあらゆる想定を消去法で排除し、残った可能性についてシナリオを構築してみたものだ。事実としての確証は何もないが、実行は不可能ではない。 大きな問題は、大西洋の真ん中で民間機を大勢の罪のない乗客ごと意図的に撃墜しなければならないのは何故だったのかということだ。アメリカに向かわすことができない理由でもあったとでも言うのか。9.11同時多発テロの様に航空機が乗っ取られ、アメリカの主要都市や重要施設への自爆攻撃が行われようとした可能性も考えられるが、828便からのハイジャック緊急シグナルが発信されたという報告はない。また、管制区との交信以外で航空会社とのカンパニーコールでも異常を知らせるやりとりはなく、墜落の瞬間までは何事もなく平穏に飛行していたものと思われる。 「アメリカに死を!」 テロリストの叫びが気になる。男は手荷物検査員の制服を奪い着用していた。その男が検査員を装って持ち込みが許可されない物でも機内に持ち込ませることが可能かもしれない。爆弾でもだ。しかし爆弾だとしても機内で爆発しておらず、空軍のミサイル攻撃により破壊されている。 ……もしかしたら攻撃の目的は、その積載物を破壊することにあるのかもしれない。乗員10名、乗客168名、うち10歳以下の子供が9名。このかけがえのない命と引き替えにアメリカに持ち込むことを阻止しようとした物は……。背筋が凍った。 トルコ、イスタンブール行きの搭乗案内で我に返る。私はMacにデータをセーブしながら手荷物をまとめ席を立ち上がった。 窓際カウンターに座っていたブロンドの男は、いつの間にか姿を消していた。 滑走路の夜景が見わたされる窓からの光景がただ広く無機質に思えた。 国際線出発ロビーは国内線と比べて幾分穏やかな雰囲気であるが、クリスマスを前に高揚感に満ちている。行き交う人々は、これからの旅先でのプラン、遠く家族のこと、パリでの思い出、得意先の顔……。10人いれば10人とも異なる想いを胸に、明日のことを思い描いている。今日が、昨日と明日の交差点である事を信じて誰も疑っていない。運命に翻弄され178名の未来が閉ざされた10年前のあの日のことを思い出すこともないだろう。そして、その事件に関わった名もなき人々──。828便を撃墜したパイロット、それを命令した司令部や政府関係者、そしてテロリスト幹部を射殺し、事件の引き金を引いてしまった兵士。失われた命より多くの人々が重い十字架を背負って生きているに違いない。 連綿と紡ぎ出される人生。どこで運命のトランジットが交差しているのかは誰にも分からない。人はそれもまた自分の人生だと、それぞれの道を歩んでいく。 私は一瞬、どこかであのブロンドの男がこちらを振り返ったような気がした。彼もまた立ち止まることなく幾多のトランジットを継いで自分の道を進んでいくのだろう。FinPhoto by LEO 注)この物語はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ありません。 注)アメリカ軍や飛行機のオペレーションは、実際のものではありません。 注)ロジックが破綻しているかもしれませんが、気にしないで下さい。
ハリーからすべてを奪ったエアバス828便の悲劇……。
軍事・航空機事故調査に精通しているジャーナリストの考察が鋭くて、物語に説得力がありました。空港、飛行機、ミリタリー好きとして萌え!
「『君という名の花』のオマージュです」とのこと、光栄です////
LEO様、カッコいいお話を本当にありがとうございました!
[2020年 12月 17日]