男はまず少年の身体を作った。
年の頃は14〜15歳。少女のような華奢な骨組み、高密度の滑らかな人工皮膚。髪の毛は金糸、瞳はブルーのクリスタル。
脚の間に精巧な性器も作った。そして欲望を受け入れるための器官。
次に基本的なプログラムを埋め込んだ。
自分の身体に関するあらゆる知識、危険からの回避、相手への服従。電子工学やメカニックに関する知識も加える。
そして人間と変わらぬ繊細な五感と、最後に“ハリー”という名前を与えた。


アンドロイド

無言歌

とある国の深い森の中に男の工房はあった。 妻も子も親兄弟も居ない孤独な身だったが、もともと一人を好む男としては誰も訪れないような森に暮らす事は何の苦にも思わない。 男は人形師だった。 量産型の実用的アンドロイドではなく、人の写し身のような人形を求める者は決して少なくはない。 男の作る人形は、まるで生きている人間そっくり、と評判だった。 我が子を亡くした夫婦からの依頼。 好色な金持ちからのセクサロイドの注文。 様々な注文を手掛けながら男は思う。どうかこの子が幸せになりますように、と。 そんな男が依頼品ではなく、初めて自分のために人形を作った。 少年型アンドロイドのハリーは男の“家族”になった。 散歩 朝は毎日手を繋いで森の小道を歩いた。 「空で何か動いてる」 ハリーが頭上を指差し、男が見上げる。 「鳥だよ。あれはヒバリだね」 「とり?ひばり?」 「鳥は翼を持っていて、羽ばたいて空を飛べる生き物だ」 「じゃあ、これは?」 ハリーは次に足元を指差す。 「それはタンポポという花だ。植物だよ」 「いきもの?でも動かない……」 「植物は動かないよ。でも地面に根を張って土から養分を吸って生きているんだ」 ハリーには基本的な情報しかインプットしておらず、彼の中身は生まれたばかりの赤ん坊同然だった。見る物聞く物初めてな事ばかりで、ハリーは何でも知りたがる。 それは何?あれは何?と次々出て来る質問に男はひとつひとつ丁寧に教えた。 朝の散歩は学習の時間でもあった。 昼間は男の仕事を手伝う。 人形制作に必要な知識は最初からすべてハリーの中に組み込まれており、彼は極めて有能な助手だった。これにより男の作業効率は格段にアップした。 作業の合間に、ハリーは出来上がっていくアンドロイドを不思議そうに見ている。 「この子は先日息子さんを亡くしたご夫婦の注文だ。可愛い顔に出来ただろう?」 そう言って男が差し出す一枚の写真をハリーはじっと見つめた。 「写真にそっくり……」 写真には5歳くらいのあどけない男の子が写っていた。事故で亡くなる少し前に撮ったものだと言う。 「まだそんな小さな子供を亡くすなんて気の毒だ。死んだ息子さんの分もこの子が可愛がってもらえたらいいね」 その言葉にハリーは目を上げて男に問いかける。 「死ぬってなあに?」 ハリーの質問に、男は咄嗟に答える事が出来なかった。 男は、答えを聞くまで見つめ続けるハリーを椅子にかけさせ、自分ももうひとつの椅子に腰を下ろす。 「人間はいつか死ぬ。人間に限らず生き物にはみんな寿命というものがあって、少しずつ細胞が衰えて永遠に動かなくなる日が来る。それが“死”だ……」 「俺も死ぬの?」 「君は死なない。生物とは違う。少なくとも君の動力源の核電池が尽きるまで……ずっと先の話だ。それでも新しい電池を入れたらまた機能する。それは自分でも知っているね?」 ハリーが頷くのを見届け、先を続ける。 「君の身体を構成する部品がすべて劣化したら、頭に埋め込んだメモリが破損したら、その時が君の“死”かもしれない」 男の言葉を噛みしめるように聞いて、ハリーは再び問いかける。 「あなたもいつか死ぬの?」 「そうだよ……」 「いつ?」 男は苦笑した。 「さあ、私にもわからないな。人間の寿命は平均して80歳前後かな?人による」 「俺より先に……?」 普段、表情というものがないハリーがわずかに目を細める。そして沈黙した。 今、言おうとしている言葉を言語バンクの中からサーチしている。黙ったままという事は適合する単語が見当たらないという事だろう。 そう男は判断して敢えて笑いながらハリーの頭を撫で、言った。 「この話はまた今度だ。さあ、休憩は終わり。仕事に取りかかろう」 朝は親子のように手を繋いで歩き、昼は有能な助手として人形制作を手伝い、そして夜、ハリーは男の恋人になる。 毎晩、男はベッドでハリーを抱いた。 どんなにあられもない体位をとらされても、どんなにその器官を酷使されても、ハリーは苦痛も羞恥も感じない。 セクサロイドである自分の役割をハリーは充分知っていた。また、それに疑問を持つ事もない。当然、不満という感情も持ち合わせていない。 セクサロイドを作るのは非常に難しい。 股間に穴があるだけの人形をセクサロイドだとして売っている大手のメーカーもある。だが、男はいかに人間に近いセックスパートナーを提供出来るかにこだわった。 人間の性感帯と言われる部分の皮膚感覚センサーを他の部分より高めにする。そこへの刺激が電子信号となって性器を受け入れる器官を収縮させる。そして刺激が一定レベルに達すると人形は喘ぎや嬌声を発する。勿論、快感からではなくそういうプログラムにしてあるからだ。 セクサロイドとは、言うなれば自慰の道具である。“穴”の感触と見た目の良さで充分かもしれない。だが、男というものは相手の反応に興奮するものだ。客はみな、愛らしくも淫らに喘ぐセクサロイドに喜んだ。 おかげで男への注文は後を絶たない。裕福な客はニ体目、三体目も作成依頼をしてきた。 男がそこまで苦心してセクサロイドを作るのは……。 “この子を可愛がってあげてくださいね” 注文品を引き渡す時、男は必ず客にそう言う。 手塩にかけて生み出した人形たちが、末長く人に愛される事を祈った。 そして、機械の身体にとっての快感を男は考える。 どんなにテクノロジーが発達しても、それはあり得ない事かもしれない。 男は、自分のために作ったハリーに喘ぎ声を発するプログラムは加えなかった。虚構の反応は自分には必要なかったからだ。 それでも人間相手の性交と同じように、ハリーの全身を手や舌で愛撫する。肛門を模した器官にインサートしながら優しく名を呼ぶ。それにハリーが喜ぶわけではないとわかっていても。 「愛ってなあに?」 行為の後、男の体液で濡れた身体を拭いていると、ハリーが言った。 唐突な質問に男が驚いて目を見開く。手を止め、横たわるハリーを見下ろす。 「“愛してるハリー”って何度も言ってた。愛って何?」 ハリーの言語バンクに、その単語は未収録だったらしい。 男は笑ってタオルを脇に置き、この難題の解説に取り組む。 「――大切だと思う気持ち。“大好き”よりもっと大きな気持ち。……難しいね、一言じゃ説明出来ないな」 「俺は大切に思われているの?」 「そうだよ、とても大切だ」 「じゃ、俺もあなたを愛しているの?」 この言葉に男は声を上げて笑った。ハリーはそんな男の様子を不思議そうに見つめる。 「それは私が君に訊く事だよ」 ハリーの目が細められる。悲しんでいるのではなく、答えを探そうとして彼の電子頭脳が軽く混乱しているのだ。 「無理に考えなくていい。愛とはとても大切なものだが、きっとそれは考えるものではなく感じるものなんだと思う」 「……俺にはわからない」 疑問を解明出来ず戸惑うハリーの額に男は口付け、頭を撫でて彼を慰めた。そして隣に身体を横たえ、思う。 アンドロイドが愛を感じるようになった時、それはマシンでも人形でもなく心を持ったヒューマンになるのではないか、と。 平和な日々はそう長くは続かない。 世の中に不穏な影が差していた。 数年前から世界中でくすぶっていた争いの火種はここ数カ月で悪化の一途を辿り、国内の政治は不安定な状態が続いている。 政治と共に経済も混乱し、アンドロイドの注文はめっきり少なくなった。 人々は戦火の影に怯えていた。 “敵国が攻めて来る!” “戦争が始まる!” そんな人々の囁きは深い森の中にまで届いてくる。 男は一人もの思いにふけるようになった。 森に秋が来た。 色づいた木々の中、今日も男とハリーは手を繋いで小道を歩く。 「リス!今リスが何か持って走ってった!」 突然ハリーが声を上げて、男の手を引き急ぎ足になる。 木の根元にしゃがみ込んだハリーは、リスが抱えていたものと同じ実を拾い上げた。手のひらの上で転がし、摘まみ上げて太陽にかざしながら様々な角度から眺める。 「これ何?」 「ああ、どんぐりだよ」 男がハリーの手のひらから一粒摘まみ上げて言う。 「クヌギという木の実だ。リスの冬の間のごちそうでもある」 「たね?」 「そうだよ。木はこうして実を落として自分の子孫を残す。動物たちもそれを糧にして生きている。森はこうして何百年も命を繋いでいるんだ」 「たくさんあるから俺も少し貰っていい?」 そう言うなりハリーはどんぐりを拾い始めた。真剣な顔で拾ってはズボンのポケットに入れていく。ハリーのポケットはすぐにいっぱいになり、もう入らないとなると男のポケットにも入れた。 「拾ってどうするつもりだい?」 「だって、面白い」 顔も上げずに、拾いながらハリーが答える。その姿を見て男はひそかに驚いていた。 ハリーのボキャブラリーは目に見えて増えた。知識もどんどん吸収している。ハリーの知識欲はあらかじめインプットされた情報が少ないためである。言語バンクにない言葉について彼の電子頭脳が答えを要求するのだ。 最近、ハリーから感情の片鱗のようなものを感じる事がある。 だが、それはありえない。ハリーは、言うなればコンピューターなのだ。バグか、あるいは何かの模倣なのだろうと男は考えた。 「あまり横取りしたらリスに恨まれるかなあ……」 ハリーはようやく立ち上がると男を仰ぎ見て言う。 その顔を見て、はたしてこれがバグと言えるだろうか、と男は思った。 「あ、とり!」 ハリーが上空を見上げて言った。指差す方向を目で追えば黒い点が編隊になって飛んでいる。 「あれは鳥じゃない。飛行機だよ」 「ひこうき?」 「戦争が始まるんだ……」 ハリーの未来をずっと見届けていきたいと、男は悲しく願った。 昼間の仕事が減った分、ハリーは男の恋人でいる時間が増えた。 男は夜だけでなく、昼間もハリーをベッドの中で抱き締める。自分が作ったセクサロイドの機能を堪能する。 “愛してるハリー”という言葉は呪文のように何度も囁かれた。 男と一緒に毛布に包まって、穏やかな心臓の音を聞いていたハリーが腕の中で呟いた。 「さっき、どうして手紙を燃やしていたの……?」 ハリーは、男が自分の身体を用いるほんの少し前の事を思い返した。 今朝届いた手紙を読んだ後、男は灰皿の上でそれに火を点けていたのだ。炎を見つめるその横顔は、ハリーが知っている男ではないような気がした。名を呼ばれて初めてハリーに気付いた男は、彼が何かを言う前に口付け、抱き上げてベッドへと運んだ。 「悪い手紙?」 「悪い?……そうだね、嬉しい手紙ではないね」 「苦しい?」 そう言いながらハリーは毛布からもぞもぞと腕を出し、男の頭を撫でる。 「俺も苦しくなる時がある。難しい事をたくさん考えると頭の中がうるさくなる。そんな時あなたが俺にこうすると苦しいのが治まるんだ」 頭を撫でられながら、男は茫然とハリーを見つめた。 こんな行動のプログラムなど、自分はしていない……。 何とか男を慰めようとするハリーの拙い手の動きに、男は唇を噛む。 いつの間にか、このアンドロイドは機械の身体に慈愛の心を宿していた。 男はハリーの身体を力いっぱい抱き締めた。 別れの日は突然訪れた。 今朝届いた手紙を読み終えて、男は一人考え続ける。 何時間もの長い時間ののち、ようやく男は立ち上がってカバンに着替えを詰め始めた。 「何処かに行くの?」 部屋に入って来たハリーが男に尋ねる。 「私は此処を出て街に行く」 「俺も一緒に?」 「……いや、君は此処に残るんだ」 「どうして?」 男はカバンを閉じると、顔を曇らせるハリーを椅子に座らせ、その足元に膝を付いた。 「ハリー、これから言う事をよく聞いてほしい」 金色の髪を撫で、頬に指を滑らせる。 「私は昔、政府の研究機関で戦争用のロボットやアンドロイドを開発していた。ロボットはたくさんの人間を殺し、たくさんの建物を壊した」 「悪いロボット?」 「いや、悪いのはそんな事をさせた人間だよ。私はもうそんな可哀相なロボットを作りたくなくて研究所を辞めたんだ。人に愛される人形を作りたかった。君と此処で一生そうやって暮らしていたかった……」 「そうしようよ」 ハリーがそう言うと男は悲しげに首を振った。 「また戦争が起きてしまった。政府は私に戻れと言う。私の技術やノウハウが必要だと……。何度も出頭命令が届き、私はその都度無視した。だが今日、戻らなければ強制連行するという手紙が来た」 「悪い人たちがやって来るの?」 「そうだ。そうすれば君は悪い人間に見つかって捕まってしまう。バラバラにされて身体も頭の中も調べられて研究材料にされる。そんな事は絶対させたくない。だからそうされる前にこちらから出向いて行く。君を連れて行くわけにはいかないんだ」 「俺はどうすればいいの……?」 「君は自分の身を守ってくれ。どんな事があっても生きて、生き続けて、生き伸びてほしい」 「……生きるというのは正しくない。俺は機械であって生き物じゃない」 そのアンドロイドらしい言い分に、男は苦笑った。 「君はたしかに機械の身体だが、もう“心”を持ったヒューマンだ。君が愛を教えてくれたから私は戦える。研究所に戻ってもニ度と殺人兵器を作るつもりはない」 男はそう言うと、ハリーの身体を抱き締めた。 「愛してるハリー、愛してる……!君が生きている事が私の希望だ。戦争が終わったらきっと帰って来る。だから約束してくれ、ハリー。それまでどうか生きて、此処を守って、待っていてくれ」 ハリーが静かに頷くと、男は最後に深く長い口付けをし、振り切るように背を向けて部屋から出て行った。 静かになった部屋で、椅子に座ったままハリーは考える。 何故、戦争はまた起きたのか。 何故、可哀相なロボットが必要なのか。 何故、政府の悪い人間は男をいじめるのか。 何故、自分と男は離れ離れにならなければいけないのか。 苦しい、とハリーは思った。そして悲しいという気持ちも知った。 いつか男が死ぬという話を聞いた時、出て来なかった言葉が“悲しい”だった事に気付く。 その時、頬がくすぐられる感覚に手をやれば、指先が水に触れた。目から水が漏れるなど、電子頭脳内のマニュアルにはない。 それが何なのかを教えてくれる人はもう居ない……。
涙
それからの時間をハリーは一人で過ごした。 陽が高いうちは森の中を歩き回り、この森の生態系を調べる。夜は工房のコンピューターの前に座り外界の情報を集めた。 街に行った男の足取りが知りたかったが、ハリーの知りたい情報は一切入って来ない。 国家は兵器の開発を極秘に進めるものである、という記事を読んで、開発者である男の事は一切外部に漏らさないのだろう、と自分を納得させた。 その代わり、世界中の国々の様々な場所がどんどん破壊され、たくさんの人が死んでいくニュースは毎日流れて来た。 ハリーにとって敵も味方も関係ない。多くの命や自然が失われていく事が悲しい。 ただ、ロボット兵器が未だに現れない事が救いだった。 ハリーの知らない所で、自分の戦いをしている男の事を思うと力が湧いてきた。 日を追うごとに戦局は熾烈を極め、とうとうこの森にも戦火が押し寄せてきた。 森が炎に包まれる前に、ハリーは工房の地下に作られたシェルターに避難した。 自分の身を守れと、何があっても生き伸びろと、何度も何度も男に念を押された。その約束を守らなければならない。 ダクトを通じて聞こえる地上の爆音が、身体に感じる地響きが、戦闘の激しさを伝える。 恐怖は感じない。ただ男が悲しまないよう、我が身を守る事に全力を注いだ。 長い月日が流れていった。 眠らないハリーにとっての時間は長く濃密だ。 一日はきっちり24時間。 一年はきっちり365日。 その間休みなくハリーは思考し続け、記憶を遡る。 人間と違い、メモリに記録された事は、どんなに古い記憶でも色褪せる事はない。 今は居ない人との思い出は、1分前の出来事と同じ鮮明さで蘇り彼を切なくさせた。 もしも、男が去る前にハリーのメモリをリセットしたならば、この切なさからは解放されただろう。 だが、思い出があったからこそ、長い時間彼は彼自身として思考し続けられたとも言える。 もはやインターネットは使えなくなった。そんなシステム自体、この世から消えたのかもしれない。 代わりにハリーは地下の書庫に残された本を読みあさった。 本当に大切な事は、みな男が教えてくれた。それでも本はハリーの知識欲を満たしてくれる。 本から、宇宙の創生や人類の歴史や文化を学んだ。聖書や哲学書から人間について考えさせられた。動物図鑑、恋愛の物語や冒険小説、漫画も読んだ。活字は片っ端から読みふけった。 紙に書かれた情報はハリーのメモリにどんどん蓄積されていく。 そして、最後の一冊の園芸の本を読み終えた時、地上の物音が止んでいる事に気が付いた。 ハリーは地上に出る決心をした。 空は抜けるような青空だった。風が渇いた砂を運んでくる。 数年ぶりの太陽の下でハリーはその場に立ちつくす。 地上には何もなかった。 うっそうと生い茂っていた草木も、鳥や動物の影も、跡形もない。 あるのは、累々と焼け焦げた樹木。そして遥か彼方まで続く地面と空だけ。 恐ろしいまでの沈黙の中、ただ乾いた風だけが吹いていた。 ――戦争は終わったのだろうか。 この世界の何処かに人間がまだ居るのか、それを確かめる術はなかった。 以前男と歩いた小道はもうわからない。それでも毎朝歩いた方向に向かって足を運ぶ。 行けども行けども、生き物の気配はなかった。 人間は、すべての種族を道連れに自滅への道を歩んでしまったのかもしれない。 男は帰って来なかった。 ロボット兵器やアンドロイドを作らなかった事で殺されてしまったのかもしれない。 または、爆撃に遭い戦火に巻き込まれて命を落としたのかもしれない。 いずれにしてももう男とは会えないのだ、とハリーは悟った。 ハリーは今自分が居る意味を考える。 男が居たから自分は生まれてきた。その男のためだけに存在した。それでは彼を失った今、何故自分は居るのか。何のために存在し続けるのか。 『どんな事があっても生きて、生き続けて、生き伸びてほしい』 結局、此処に“悪い人間”が来る事はなかった。それは男が必死で阻止した結果なのだ。 目には見えなくても、自分は男の愛情に守られて今があるのだと理解する。 一晩考えて、ハリーは麻袋を持って外に出た。 焼けて倒れた樹木の間に分け入って行く。そして地面に跪き、手で穴を掘った。麻袋から取り出した丸い実を摘まんでしばらく眺める。 以前拾い集めたどんぐりだった。 シェルターに避難する時、唯一守ったハリーの宝物。 それを掘った穴の中に落とし、土を被せる。倒木を避けながら次々穴を掘り、どんぐりを埋めていく。 すべてのどんぐりを埋めると、川から水を汲んで埋めた所にたっぷり水をかける。それは重労働ではあったが、ハリーはなんとかやり遂げた。 あまり時間がないのだ。 体内の核電池の容量が残り少ない事を、ハリーは知っていた。 それから2年の月日が流れた。 荒涼とした風景にも季節は巡って来る。 春まだ浅い晴天の朝、ハリーはいつかどんぐりを埋めた場所まで行った。 「芽が出ている!」 ハリーは何年ぶりかで声を発し、地面に膝を付く。 目印を付けた地面から数センチの小さな芽が出ていた。 土に手を付いて身を屈め、その可愛らしい突起を見つめる。 そして他の場所に埋めた所も調べてまわる。すべてではないが、多くの場所から発芽していた。日当たりの良い所はとくに成長が早い。 黄緑色のほんの小さな芽は、やがて20メートルを超す大木に育ち、葉を茂らせ、花を付け、実を落とす。そして動物たちの糧になりながら子孫を残す。 これはその第一歩だ。 ハリーは飽きる事なく、いつまでもその小さな希望を眺めていた。 朝から暖かな、よく晴れ渡った日――。 ハリーは今日もその場所へ向かう。 いつもはシェルターから5分もかからない距離だったが、今日は何十分もかかった。 もう、身体がゆっくりとしか動かない。電池残量がほとんどないのだ。 ハリーは苦労して焼け焦げた樹木に寄りかかり、座る。 そして彼は暖かな陽光の中で、自分の目の前に広がる光景に目を細めた。 どんぐりから出た芽は、もうハリーの腰の高さくらいまで伸び、立派なクヌギの幼木になっていた。ハリーが埋めたどんぐりは100個を超える。焼け崩れた樹木の間から広範囲に渡り、クヌギの子供たちが青々とした葉を付けていた。 昨夜降った雨が太陽に照らされ、葉の上できらきら光っている。幼木たちは雨と太陽に育てられ、これからぐんぐん伸びていくだろう。 おまけに、倒れた木の下から何かの植物の双葉が顔を出していた。それだけではない。地面から短い下草が伸びてきている。 無残に焼け落ちた樹木は、こんな姿になっても土に養分を与え、新しい命を育てていた。 確実に、大地は再生し始めている。 機械の身体は此処で朽ちても次なる命の糧にはなれないが、それでも未来へ繋ぐ種を蒔く事が出来た。 そのために自分が居たのかもしれない。 彼は、与えられた“生”を最後まで生きた。 ――約束、守ったよ……。 頭を撫でる男の手の感触を思い出してハリーは目を閉じた。 うっそうと生い茂る木々の緑が瞼に浮かぶ。 すべての機能が停止する最後の瞬間、ハリーの耳に鳥の鳴き声が届いた。 彼は人に愛されるために作られた。 だが、彼もまた命を愛するために生まれてきたのだ。
木漏れ日
fin

5ヶ月前にアンドロイド萌えを発症してすぐ思い付いたお伽噺でした。アンドロイドのハリーは愛のある幸せな一生だったと思います・・・。

[2011年 4月 14日]