剃毛

「ジャン先生、さようなら」
「はい、さようなら」
「また来週」
「ええ、また来週お会いしましょう」

 日曜のミサが終わって聖堂から出て行く人々を、私は戸口で一人一人と挨拶を交わし見送る。毎週ここを訪れる敬虔な信仰心を持つ人々は、どの顔も私には馴染みとなっていた。今週もこうして元気に訪れてくれて、それを見送るのは嬉しいひと時だ。
 これで全員、と思った時、最後の一人がベンチから立ち上がり歩み寄ってきた。
「今日も良いミサでした。あなたの話はいつも私の胸を打ちます」
 そう話しかけてきた中年の男性は二月ほど前から毎週ミサに来ていた。たしか建設会社の社長だという……。名前は覚えていない。
「そうですか、それは何よりです」
「今度ゆっくりお話させていただきたいものです。いかがかな?」
「何か迷いがおありでしたらいつでも。それも牧師の務めですから」
 すると男は満面の笑みになり、私の手を取って両手でゆっくりと愛撫をするように撫で回した。それは毎度の事だった。不快な気持ちが顔に出ないよう気を付けながら微笑む。
「あなたは本当に優しい方だ、ジャン先生」
 それではまた来週の日曜日に、と言い残し、男性は聖堂から出て行った。
 手のひらに、男の手の嫌な感触がいつまでも残った。

※ ※ ※
 今夜はルカを夕食に招いていた。教会の雑事を終わらせ食事の支度を済ませた後、約束の時間前にシャワーを浴びた。  最近、日曜日になるとルカはミサに顔を出していた。と言ってもルカに信仰心が芽生えたわけではない。いつも最後列のベンチにだらしなく座り、讃美歌も寄付のカゴも無視する。  それでも私はルカがミサの場に居るだけで良いと思っていた。たとえ聖書の言葉が彼の耳を素通りしたとしても、何かは心に残るかもしれない。  シャワーを止め、バスローブを羽織り、洗面台の鏡の前に立ってドライヤーで髪を乾かす。熱風に巻き上がる自分の髪をぼんやり見ながら、私はふと思った。 ──それにしても、ルカが毎週ミサに参列するなんてどういう心境の変化だろう。  その時、何の前触れもなしに突然バスルームのドアが開いた。ぼんやり鏡を見ていた私はびっくりして、危うくドライヤーを取り落としそうになった。  戸口にはまさに今考えていた当のルカが立っていた。 「ルカ! ノックぐらいしてください。びっくりするじゃないですか」  ルカは私の言葉に肩をすくめ、悪びれもせずバスルームに入ってきた。 「ノックはしたぜ? 玄関も、ここも」 「え……?」  どうやらドライヤーの騒音にノックも足音もかき消されていたらしい。 「とにかく、約束の時間にはまだ早いですよ」 「暇になったんでね。なに? 早いとなんか都合でも悪いの?」  ルカは早すぎる訪問はマナー違反ではないと思っているようだ。自己中心的なのはもう諦めている。私はいいえと答えて苦笑した。  ルカは「だよな」と言いながら洗面台のアメニティ類をあれこれ勝手に弄り始めた。 「俺が来る前にシャワー浴びなきゃならない理由って……いや、別にねぇか」  何やら皮肉めいた言い方で自問自答するルカ。何を考えているのかまったくわからない。 「へー、あんたでも髭剃りするんだな。キレイな肌してるのに」  ルカは棚の中からカミソリを見つけ、手に取って物珍しそうに眺める。 「当たり前でしょう、男なんですから。……さあ、もう出て行ってください。先に食堂に行って。私もすぐ行きますから」  ルカからカミソリを取り上げようと手を伸ばしたが、ルカはそれをひょいと上げ私の手をかわす。 「先生、身だしなみは大事だぜ? 身体の隅々までちゃんとしないと。俺が手伝ってやるよ」 「は!?」  ルカはシェービングフォームの缶を上下に振りながら私に迫った。 「そこに座って足を開けよ」    シェービングフォームの濃密な泡が下腹部を覆っていく。そこをルカが慎重にカミソリの刃を当てる。 「動くなよ? 俺は手先が器用な方じゃないんだ。大事なトコ切られたくないだろ?」  私をバスタブの縁に座らせ、バスローブの裾を捲り、開いた脚の間にルカがうずくまって熱心に手を動かしていた。  ぢりり──という音と毛の一本一本が切断される感触。皮膚の柔らかい所を、刃物を持ったルカに委ねている。居心地の悪さと、恐怖、不快な感触、そして羞恥。 「こんな事をして楽しいですか?」 「ああ、楽しいねぇ。それに最近ココをツルツルにするのはエチケットらしいぜ」 「馬鹿げてます。そんなエチケットなど私には必要ありません。一体何の意味が……」  私がこんな不本意な事を受け入れているのは、ルカが何を言っても後には引かない性格だと知っているからだ。力づくで押さえられているわけではない。抵抗しようと思えば出来る。でも、他人に迷惑がかからない事であれば大体自分が折れていた。本当はこんな風にルカを甘やかすのは良くない事だとわかっているけれど。 「もしかして感じてる?」 「感じてるわけないでしょう」 「じゃあ勃たせんなよ、剃りにくいだろ」 「あなたが触るから……! そんなのただの反射現象です」  そうは言ったけれど、敏感な部分への刺激がくすぐったさを通り越して性的な快感になっているのは事実だった。ルカは図らずも硬さを増した性器を邪魔そうに握って下に向け、淡々と剃毛を続ける。強く握られると余計に快感を覚えてしまうというのに。無表情のルカを見て、自分一人が興奮しているようで恥ずかしかった。 「もし、あの助平オヤジがあんたのパンツ脱がせてこれ見たらびっくりするだろうな……」  そんなルカの唐突な呟きに私は驚いて顔を上げる。 「誰です?」 「あの建築屋の社長とかいうオッサンだよ。今日も来てただろ」  今まですっかり忘れていたあの中年男性の、ねっとりした手の動きを思い出した。 「信心深いフリしてよ、牧師の慈悲に付け込んで不埒なマネしやがって。気付いてねぇのか? 二ヶ月くらい前からあんたを口説こうとしてミサに来てるけど、そのうち食事にお誘いしてあわよくばベッドに引き込むつもりだぜ」  驚いた。二ヶ月間ルカはずっと見ていたのだろうか。おそらく今日も、あの別れ際のやり取りを外から密かに覗いていたのだろう。 「でもまさかそこまでは……」 「なーに甘い事言ってんだよ。あいつはな、契約取るために自分の会社の女社員に無理やり枕営業させるようなクズだ。業界じゃ有名な話だぜ。そういう腐った男だ、牧師に手を出すなんて罰当たりな事、ヘでもねぇよ」  そう話すルカの顔には、先程までのニヤついた笑いはどこにもなく苛立ちが滲んでいた。 「そんなわけで、もしまた奴が来たら……いや、絶対来るだろうけどよ、その時は俺が神様に代わって天罰下してやるさ。だから先生も気を付けろよ」  何故ルカが最近ミサに来るようになったのか……わかった。 「あなた、私を守ろうと……」 「さ、出来たぜ!」  私の言葉を遮るようにルカが喜々とした声を上げた。濡れたタオルで泡を拭い、剃り跡に指を滑らせて感触を確かめる。 「いいねぇ! あんたの陰毛は薄い方だけど、毛があるのと無いのでは大違いだ。本当の意味で“真っ裸”って感じで、凄ェそそられる」  見てみろよ──と言われるが、自分のそんな恥ずかしい姿など見たくない。顔を背けて目を閉じていると、じれたルカが私を無理やり引き起こし洗面台の前に立たせた。後ろから私を抱き込み、バスローブの帯を解いて前を開く。  鏡の中の自分と向き合った。思春期からずっと下腹部を覆っていた体毛が跡形も無くなって幼児のようだった。その姿は酷く不格好で、頼りなげで、そして淫靡だ。  たまらない疼きを覚える。この淫らな気持ちは性器に伝わり、むき出しのそれはゆっくり首をもたげていった。  ルカは私の身体の変化を見て満足そうに笑い、無毛の下腹部へと手を伸ばす。 「俺以外の奴に見せるなよ? 尤も、恥ずかしくて見せられやしないだろうけどな」 ──嫉妬ですか?  そんな言葉が喉まで出かかったが口には出さなかった。言えばルカは必ず否定する。陰の護衛も、シャワーを浴びる理由を皮肉る言葉も、こんな馬鹿げた剃毛も、彼なりの不器用な愛を感じるのだ。だから否定の言葉は聞きたくなかった。 「見せませんよ。あなただけです」  小さな声でそう答えると、ルカが私の名を呼び深く口付けてきた。 『剃毛〜後日談〜』に続く

やってる事は鬼畜めいているけど、なんだか甘いお話のような……///
本当に欧米では剃ってる人が多いそうですが、ジャンはナチュラル派だったのです。(過去形w)

[2017年 3月 31日]