しばらく店内を見回して状況を再確認したあたしは、まず警察に電話した。そしてマリーとコニーにも。
 やがて警察がやって来て被害状況を調べ始めた。被害に遭ったものは高価な食器類がほとんどだった。小さな店であるが故大した数ではないが、犯人はそれなりの目利きのようだ。
 マイセンのティーセット、バカラのグラス、銀製のカトラリー。そして店内の調度品。比較的安価なものは残されていた。幸いあたしはその日の売上金を店に残していないため現金の被害はなかった。
 統制のとれた窃盗チームだろうと警察は言う。たしかに壊されたものはほとんどない。ピンポイントで高価なものだけを持ち去っている。食器など壊れやすく重量のある盗品は、安全かつ迅速に持ち出さなければならないだろう。無駄な労力や時間を省いた作業に思えた。
 またあらためて明日伺います、と言い残して警察は引き上げていった。
「……まあ、全部持っていかれなかっただけマシだね」
 警察が居なくなったあと、マリーとコニーにつとめて明るく言った。
「そうね、お客さんに出す食器は残った分で何とか足りると思うわ」
「うちの店、安物もあってラッキーだったわね」
 コニーの冗談に三人で笑った。
「それでも数日は営業は無理だね。……悪いね、あんたたち」
 シャッターとドアは壊されたのだ。修理が終わるまで店を開ける事は出来ない。そしてこれを機に防犯ベルを取り付けようと思っていた。事が起こってからでは遅かったのだが、この先だって何があるかわからない。それに今は間に合わせられてもいずれ新たに食器を買い足さねばならないだろう。調度品も同じだ。
「明日も明後日も来るわよ、あたしたち。警察もまた来るんでしょ?忙しいと思うわ」
「そうよ、何でもやるわ」
 店がオープンした時から傍にいてくれるこの二人は、ただの従業員ではなく友人であり妹みたいな存在だ。あたしは二人の肩を抱いて感謝した。




 翌日、朝のうちに電話をした業者が午前中のうちにドア修理の見積もりを取りに来た。防犯ベルの営業マンもやって来て、マリーとコニーが対応を手伝ってくれる。
 業者たちと入れ違いに二人の刑事がやって来た。
「あきらかにギャング団の犯行です」
 中年の刑事が言う。この事件を担当する責任者だそうだ。
「他の店と犯行手口がほぼ同じです。昔から店舗荒らしは起きていました」
「捕まえられないんですか?」
「捕まえてもね、後を絶たないんですよ。それに申し上げにくいんですが、盗まれたものは戻って来る可能性が極めて低い。期待はしないでいただきたい……」
 言われなくても、警察をあまり信用していないあたしは期待などしてはいない。
「盗品はすぐ売られるんだよ。何処で取引きが行なわれるか、誰に売るのか、なかなか尻尾が掴めないんだ」
 若い刑事がそう言うと、中年の刑事があらたまった感じであたしに向き直った。
「ところでマダム、ひとつ伺いたい。最近、少年が此処に出入りしていましたね?」
 ドキン、とした。何故、警察がそんな事を知っているのか……。
「そんな話、何処から……」
「この周囲に聞き込みをしたんです。お宅に子供が出入りしている所を見ている人が何人も居ましてね」
「あなたには家族も親戚も居ないそうだね。では、その子は誰なんだ?目撃者の話によると、格好からしてもチンピラみたいな感じだったそうだ」
 中年の刑事のあとに若い方が言葉を続ける。
「その少年、怪しいとは思わないか?」
 若い刑事は横柄な口のききかたで、あたしは少しイラついてきていた。
「あの子は無関係ですよ、刑事さん」
「どうして無関係だと言いきれる?その少年はあんたを油断させ、店に出入りして何処に何があるか下調べし、仲間を手引きしていたかもしれないんだよ」
「……マダム、その少年の事を教えていただきたい。名前は?住所は?ギャング団についても何か聞いてませんか?」
「あいにく、あたしは何も聞いちゃいません」
「何故そうまでして庇うんです!?」
「庇っちゃいませんよ。本当に知らないんです」
 そう言った途端、若い刑事は激昂してテーブルを叩いた。
「あんたもわからない人だな!そのガキが窃盗団の一味に決まってるんだ!」
「刑事さん、あんた“推定無罪”って言葉を知らないわけじゃないだろうね」
 何か言おうとした若い刑事を押しとどめて中年の刑事が口を開いた。
「“疑わしきは罰せず”――勿論知っています。でも、その子が無関係であるという事も調べてみなければわかりません。何でもいい、話してください」
 刑事は詰め寄って来るが、あたしの気持ちは揺るがなかった。
「本当に何も聞いちゃいません。どうか今日のところはお帰りください」
「やっぱり訳のわからん人種だな、オカマってやつは……」
 若い刑事のその呟きに、あたしは目を上げた。
「いったん引き揚げましょう、警部。こんな異常性癖のオンナオトコには理屈なんて通りませんよ」
 同じフランス人として情けなくなった。此処は自由と平等の国ではなかったのか。
――この国はまだまだナンセンスだらけだよ、ルイ……。
「あたしが異常性癖と言うんならあんたはさぞクリーンなセックスをするんだろうね。パリの歓楽街に生きているすべての連中にそれを証明してみなよ……包茎坊や?」
 最後の言葉は、勿論当てずっぽうで言ったにすぎないが、案外図星だったかもしれない。若い刑事は怒りで真っ赤になって口をパクパクさせていた。
「さっさとお帰り。でないとあんたのちっこいタマを切り取って、その減らず口に突っ込むよ」


 刑事たちが店から出てドアが閉まった途端、マリーとコニーが両脇から抱きついてきた。
「よく言ってくれたわ!レディ・ジョー!」
「見た?あの刑事の顔ったら!」
「およしよ、あんたたち」
 二人が頬に何度もキスしてくるのを笑いながら避け、ふと、あたしは自分が何故警察を信用していないのか思い出した。
 いつか路上で、警官が万引きして逃げようとした少年を捕まえ殴っていた。歩道に引き倒された少年は、アクセルより幼かったかもしれない。もう抵抗出来ない少年を警官は二人がかりでいつまでも殴っていたのだ。
 すべての警官がそうであるとは思わない。だがケダモノのような暴力に、またそれを見ているしか出来なかった自分にも、苦い思いは今も残る。
 身なりだけで犯行を決めつけられるアクセル。オカマだから異常性癖と言われてしまうあたし。共に世間からはみ出し後ろ指を刺され、それでもこの街が好きで、時には強がって、自分の居場所が欲しくて足掻いている。あたしとアクセルは似た者同士かもしれない。
 カウンター越しに見上げて笑うアクセルの瞳を思い出すと、何故か切なくなった。


 その夜、あたしは同じ地区のレストランを訪れていた。経営者のマルクはレ・アールの飲食店組合の会長で、あたしとは旧知の仲だった。
「うちにも刑事が来たよ。あなたの店の事、あなたの交友関係の事、いろいろ訊かれた」
「悪いね、迷惑かけちまって」
 あたしとマルクは店の隅のテーブルで鴨料理に舌鼓を打っていた。このレストラン自慢のメニューで、ソースが絶品だ。
「その少年の話は刑事から聞いてるよ。『ネオ・トリアノン』のマダムは頑固者でどうしても口を割らないから私から説得するよう頼まれた」
「あなたは何て?」
「あのマダムを説得しようものなら逆にこっちが説得される、お役に立てなくて申し訳ない、ってね」
 その言葉に二人して声を上げて笑った。
「これはうちだけの問題じゃないのはわかっているよ。あの子が無関係という証拠はたしかにない。でもね、あたしはどうしてもあの子が犯行に関わっているようには思えないんだ。もしかしたら窃盗団の事を何か知っているかもしれない。いずれにしても、あたしはそれを自分で確かめてみたいんだよ。マルク、あたしを信用して任せてくれないかい?」
 レ・アールで商売をやっている人々はみんなあたしの家族のようなものだ。そんなみんなに迷惑をかけたくはない。真実を突きとめる必要はあった。
 すがる思いで頭を下げるあたしの手を、マルクはテーブルの上でしっかりと握った。
「ジョー、あなたとの付き合いはもう何十年にもなる。あなたの人柄も人を見る目も私はわかっているつもりだよ。あなたがそう言うんなら間違いないだろう。心配いらないよ、他の店のみんなもわかっていると思う」
「恩に着るよ、マルク……」
 そして、あたしとマルクはワイングラスをチンと鳴らした。




 それから三日目。あたしは今日も店に向かっていた。昼頃、ようやくシャッターが直り、防犯ベルも取り付けた。明日にでも営業を再開出来そうだ。
 さらさらと、細かな雨が降っていた。店に着き、傘を肩と顎にはさんで、新しくなったシャッターに鍵を差し込もうとして手を止めた。そのまま数秒、黙って立ちつくす。
――そこに居るような気がしたのだ。
 シャッターの前から離れ、店の横手にまわった。路地に足を踏み入れる。
「何やってんだい……」
 ゴミ箱の前で大の字になって寝そべっている身体に歩み寄る。
「……よっぽどゴミ捨て場が気に入ってるようだね」
 いつかあたしが手当てした顔は、また赤く腫れ上がってあざになっていた。服も泥だらけ、血まで滲んで、いつから此処にいたのか雨でずぶ濡れだった。
「……ギャング団を卒業してきたぜ」
 仰向けで空を見上げたままアクセルは不敵に呟く。
「……そうかい。そりゃよかったじゃないか」
 あたしが敢えてそっけなく言うと、アクセルはへらりと口元を歪ませた。
「ゾーイの方の仕事が忙しくなってきたから前から抜けようってルカとも計画してたんだ。卒業証書代わりに足腰立たねえくらいボコられたけど。この程度で済んだのはゾーイのネームバリューに連中がビビってたからだろうな」
 口を動かすたびに血が溢れ顎を伝う。雨がそれを流していく。
「初めてギャング団に入ったチビの頃、初仕事が店舗荒らしの見張り役だった……」
 何処か、夢でも見ているような顔をして淡々とアクセルは喋り続けた。
「最近、何度もまたメンバーに加わるよう言われていた。でも俺はもう御免だった。奴らの暴力にも、そんな連中の仲間でいることにも、もううんざりだったんだ。ゾーイの仕事を口実にずっと避けててさ、しまいには学校にも行かないで隠れてた。情けないだろ?」
 そう言うとアクセルは、クククッと自らを嘲笑った。
「その間、サツに連中の事をチクってやろうかと何度も思った。それが出来なかったのはたぶん怖かったからだろうなあ。でもやるべきだった。それが出来ていたらこんな事にはならなかったんだ。あいつらの次のターゲットがあんたの店だと知った時、もうすべてが終わったあとだった……」
 ずいぶん酷い暴力を受けたのだろう。痛みを感じていないような顔をしているが流れ続ける血がその酷さを静かにもの語っている。
「せめて、取り返そうとした……」
 そう言うアクセルの声が震え始めた。
「盗品を保管してある所に忍び込んだけど、見つかってこのザマ」
 そして投げ出されていた右腕がブルブルと震えながら上に持ち上げられる。
「これだけ……これだけで精一杯だった……!」
 擦り傷だらけの手には、一本の銀製のスプーンが握られていた。決して離さないようにと、どれだけの力で握り締めていたのか……。強張った指からそれを受け取る。
「これを……取り戻してくれたんだね……」
 長年苦労して貯めた金で今の店を買った。ルイは自分の事のように喜んでくれた。あたしは彼からの金銭的援助を一切拒んでいたが、開店祝いにと彼から贈られたコーヒースプーンは喜んで受け取った。店の繁栄とあたしの新たな門出を祝って、彼が選んだのは柄に女神ニケの彫刻が施された見事な銀細工。これは5客セットのうちの一本で、何度かアクセルも磨いていた。
「他の物は金で買えるけど、これはあたしの宝物だよ」
「ごめん、レディ・ジョー……。俺は……これしか……これだけしか……!」
 アクセルが瞼を固く閉じると、雨ではないものが頬を流れた。
「……ガキって言って、悪かったよ……」
 そんなアクセルを見下ろしてあたしは静かに言う。
「男だったね……」
 その途端、アクセルの口から堪え切れず嗚咽が漏れ、腕で目を覆った。
「ガキだよ!俺は!力がないばっかりに守りたいものも守れない、無力なガキなんだ!」
 引きつる息を吐きながら、悔しさに歯を食いしばって、アクセルは声を震わせた。
「守りたかったんだ……。あんたも、あんたの店も……俺、守りたかった……なのに……なのに……っ!」
 そのあと、言葉はただ嗚咽にしかならなかった。
 怪我した身体を引きずって、このスプーンを握り締め此処に辿り着く間、アクセルはどんな気持ちだっただろうと考える。
 人のために危険を冒して血を流している間、何を思っただろうと考える。
 悔しさと痛みと自分の弱さを知っている人間は、きっと強くなれる。そしてそんな男が作る酒は、飲む人を優しい気持ちにさせるに違いない。
 傷だらけで帰って来たこの野良犬は、今は悔しさしか感じられないだろう。だが、喧嘩に負けて自分に勝ったのだという事を、ゆっくり教えてやるのは自分の役目のような気がした。そんなふうに、伝えてやりたい事はたくさんある。
 雨脚が強くなり始め、あたしは黙って傘をさしかけて……そして待った。

 雨が悔し涙を全部洗い流したら、アクセルはきっと自分の足で立ち上がるだろう。





Fin

『ネオ・トリアノン』が開店して5〜6年くらいのお話。まだキャンディもジョジョも居ません。この後アクセルは売人をやりながらバーテンダーの勉強をしていくのでしょう。恋愛の物語じゃないけどレディ・ジョーとアクセルの絆はあったかい親子の愛だと思うのです。

[2011年 2月 22日]