The fire within the snow
(1)




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1、啓示

 粉のような雪が、柔らかく町を覆っていた。白く、白く、何かを隠そうとするかのように。

 食材を買い込んで私は帰路に着いていた。陽はもう沈んだというのに、ぼんやりと町の明かりに照らされた雪のせいで、見える景色はほの白く見えた。
 片手に食材の入った紙袋を抱えながら、滑らないようにと足元を見ながら歩いていると、ブーツの下に感じる雪の冷たさと感触が、きれいだと思えた。
 雪がきれいなのは、自分に宿った命の暖かみを感じられるからかもしれない。その一方で、雪の冷たさに呆気なく消えてしまう命もある。今ここでこうして足を運んでいる命も、一度はそうして消えかけたのだ。そのことを思い出しながら歩を進め、思わずひとり頬をほころばせた。

 顔を上げると、見慣れないものが目に入ってきた。一瞬、過去の自分をそこに見たような感覚に惑わされてしまった。
 教会の門の脇に人がうずくまっていた。私の近づいてきた気配に気が付いたのか、おもむろに顔を上げると、その獰猛そうな瞳が私を睨んでいた。雪よりも冷たそうな、青い瞳。誰かに殴られたのか顔は腫れあがっていたし、眉尻に付けられたピアスから見ても、あまりまともな身分のものとは思えなかった。
 どうしようか足を止めてしばらく躊躇していたのだが、彼の方がさっと手を広げて私の進路を塞いでしまった。私は半ば仕方がなく、彼に声をかけた。
「こんばんは。どうされましたか」
「……」
彼は答えなかった。寒いせいか、怪我を負っているからかは分からなかったが、身体がかすかに震えていた。
「ひとまず、中へ入られませんか」
彼の目は、何かを探るように、真っ直ぐにこちらを凝視していた。そのきつい瞳は表の世界のものではないように思えた。裏の世界を生きてきた者。そのときからそんな予感は持っていた。
 いつまでも動こうとしない彼の腕をとって、私は強引に立たせた。放ってはおけないし、何より行く手をさえぎったその手をとらないことには、私が教会に入ることが出来なかったから。
「……ッ、クソ」
彼は怪我が痛むのかそんな言葉を吐いた。何とか立たせることには成功したが、怪我を負っているのは顔だけではないらしく、歩かせるのも大変だった。一度荷物を塀の上から庭に投げ入れ、彼を支えることに専念してやっと門をくぐることが出来た。
 正面の聖堂に続く扉ではなく、脇にある通用口から彼を中に招き入れた。来客用のテーブルの前に座らせてから、私はストーヴに火を入れた。
「おい」
彼に呼ばれ振り返ると、彼は銃を手にしていた。銃口は真っ直ぐにこちらを狙っていた。私は動くのを止め、彼が何かを言うのを待った。
「――余計なことはするなよ。警察には電話するな。オレがここに居ることを、誰にも話すな」
「銃を、下ろしてください。そんなものがなくても、その約束は守りましょう」
そう言っても、すぐには彼がそれを信じられる訳もなく、しばらくは探るような視線が投げかけられるばかりだった。私はただじっと、彼が銃を下ろすのを待っていた。無闇に発砲するほど、彼が理性を失っているようには見えなかったから。
 やがて彼はゆっくりと銃を下ろし、それをコートの内側にしまった。私はほ、とひとつ息をついて、彼の傍に寄った。
 顔に手を伸ばすと、彼はふい、と顔を背けてそれをよけてしまった。
「何する。触るな」
「手当てを」
「いらない」
「では、食事は」
「いらない。眠らせろ。アンタが先に眠れ」
おかしなことをしないように監視していてやる、と彼は言外に言っていた。私は夕食もまだだったのだが、今から庭に置き去りの食材を取りに行き、それを調理して食べるなど、彼の警戒を煽るだけに思えたので、大人しく彼に従うことにした。寝室で着替えだけ済ませ、ベッドがひとつしかないので毛布を何枚か彼に渡しておいた。
 彼の視線に背を向けて、私は目を閉じた。それほど気にはせずにすぐに眠りに落ちることが出来た。

 夜半過ぎ。眠りの深い私にしては珍しく、不意に目が覚めた。不思議に思い辺りを見回して、窓際にうずくまった塊を目にし、ようやく怪しい男を中に招き入れたことを思い出した。私を眠りから覚ましたのは、彼のうなされる声だった。
 やれやれと思いながらベッドを降り、彼に近づいて起こしてやった。目覚めた彼はまだ震えたまま、私が誰なのか思い出そうとするかのように、じっと私の顔を見つめていた。
「アンタ……」
「ここは神に護られた場所です。あなたを脅かすものはありません。安らかに、眠りなさい」
私の言葉に、彼は気丈に笑って見せた。その笑顔は年相応の、人懐っこい笑みだった。
「お人よしだな、先生は」
「眠りなさい。良い夢を」
その場に腰を下ろして、彼に寄り添って私も眠った。どちらが先に眠ったかは私には定かでなかったが、少なくとも彼のうなされる声に起こされることなく、朝まですっかり深い眠りに落ちていた。

「おい、起きろ」
誰かにそう呼びかけられるのを、私は夢だと思っていた。二年ほどは教会にはほとんどひとりで住んでいた。たまに泊まっていく者もいるけれどそれらは皆客であり、ひとりで寝起きすることが習慣になってしまっていた。
 だから、自分を起こすものがいるとは思えず、けれど変に違和感を感じながら、私はまだまどろみの中にいた。
「起きろっつってんだろ」
軽く蹴飛ばされて、ようやく目が覚めた。寝ぼけた目で私を見下ろす彼を見上げて、やっと彼のことを思い出した。
「――蹴ることはないでしょう」
眠気も覚めやらぬまま、そう愚痴を言ってはみたが、彼は悪びれない様子でけろりとしていた。
「ああ、悪ぃ。これがオレたちの間じゃ『おはよう』の挨拶なんでね」
ぐっと、それ以上文句を言うのを堪えて、私は立ち上がり毛布をたたんでから身支度をした。ワイシャツに黒のスラックスに着替え、同じく黒の上着をすぐに着られるように、食堂の椅子にかけておいた。
 彼はごくごく自然に、その食堂のテーブルについていた。少し足を引きずってはいるようだが、昨日とは違いひとりで歩けるようにはなっているようだった。
「腹減った。朝飯作ってくれよ」
「貴方ね……」
思わず言葉を失ったが、気を取り直して私は彼の向かいに腰を下ろした。窓から差し込む朝の光のせいかもしれないが、昨日よりは血色もよく見えた。プラチナブロンドの髪が眩しかった。ただ、まだ顔にところどころ浮かんでいる痣だけが、まだ痛々しかったが。
「私は、ジャン・トマス・ヴェルレー。ご承知でしょうが、ここで牧師をしています」
そこで言葉を切った。しばらくして、彼も口を開いた。
「オレはルカ」
意外にもあっさりと名を名乗ったことが少し意外だった。多少は信頼を得たということだろうか、と思案を巡らし、彼の表情を伺ってみたが、これといって読み取れるものはなかった。
「では、ルカ。もし良ければ、昨日あんなところで座り込んでいた事情を聞きたいのですが」
「言う気はねぇよ。言ってどうなるもんでもない」
「――では、これからどうするつもりですか?」
「アンタがしばらく、ここにオレを置いといてくれるだけでいいのさ。それだけでアンタの仕事はコンプリートってわけだ。簡単だろ」
「私の、仕事とは?」
ルカはにっと笑って見せた。
「恵まれないもんを救う。すべからく。それがあんたらの仕事さ」
ルカの言葉に、私は短くため息を吐いた。聖職者の解釈としてそれは大雑把に過ぎると思えたし、何よりもっと現実的な、目前の問題があった。
「少なくとも、この教会のもうひとりの牧師は、貴方の言葉を否定なさるでしょう」
「もうひとり? あんただけじゃないのか?」
「彼には家庭があるので、通いですが」
「ふーん」
ルカは椅子の座面に片方の足を持ち上げ、膝を抱えるようにしながら、しばらく爪を噛んで何かを考えていた。やがてその視線がまた刺すような鋭さをたたえて、私に向けられた。
「じゃあ、アンタは? ジャン先生」
「そうですね。貴方が、もうひとりの牧師や事務方の人々に見つからない限り。そして、この教会の生活に最低限準じて下さる気持ちがあるのなら、貴方を匿いましょう」
ルカはクックッと笑って見せた。
「オレは銃を持ってるんだぜ? しかも身元のしれない怪しい野郎を、よく匿うなんて言う気になるな」
私は思わず笑みを返していた。
「貴方が今、銃を持っていますか?」
ルカはその言葉に一瞬呆けた表情を浮かべて見せた。そして、少し慌てたようにコートの内側に手を入れ、どうやら望んでいたものがそこにないことに気が付き、私を睨んだ。
「てめえ、いつの間に……」
「では、交渉成立ですね。今日はミサがありますから、フランシス牧師と手伝いの者が来る前に、朝食を食べてしまいましょう」
私はテーブルを立ち、キッチンへ向かったが、その背後からちっと軽く舌打ちを鳴らす音が聞こえて来た。





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