『サンタさんへ
 サンタさん、おねがいがあります。とってもほしいものがあるんです。
 ママがサンタさんにおねがいをすればなんでもほしいものをプレゼントしてくれるっていってました。
 どうかどうか、ぼくにプレゼントをください。
 ぼくがほしいものというのは、それは……』

雪景色
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 12月──。大粒の雪がふわふわと舞い落ちる。手を止めてキッチンの窓越しに見上げると空は白く、重そうな雪雲は太陽を覆い隠していた。今日は夜までこの雪は止まないと、今朝の天気予報は伝えていた。  アイスピックを握る手を再び動かし、洗面器の中の氷を砕く。砕いた氷を氷嚢に詰め、俺は二階へと上がった。  音を立てないようにドアを開け、暑いくらい暖房の効いた部屋に入る。洗面器をサイドテーブルにそっと置き、加湿器の出力ダイヤルを調整した。  トナカイは薬が効いているらしく静かな寝息を立てていた。完全にぬるくなった氷嚢を新しいものと交換する。その時、トナカイがゆっくり目を開けた。 「ああ、起こしてしまったか?」  するとトナカイは氷嚢の冷たさに嬉しそうに微笑んだ。 「いっぱい眠ってた気がする」 「熱はどうだ?」  毛布の中に手を入れ、トナカイの手を握ってみると熱はまだ高い。それでも先ほどよりマシになった。 「もう少ししたら夕食を持ってくる。何か欲しい物はあるか?」  それにトナカイは小さく首を振った。  おそらく熱のせいだろう、トナカイは今までの大食いが嘘のように食事ができなくなった。無理に食べると吐いてしまう。本当は何も食べたくないに違いない。だが決して「いらない」とは言わない。自分のためにお粥を作ってくれる俺に対して悪いと思っているのだろう。 「クリスマスイブまで半月もないね……。やべぇ、バイクの調整もしてないのに」  トナカイが枯れた声で小さく言う。 「まだ時間はあるさ。焦るな。まずは安静にして早く風邪を治せよ」 「うん。……あ、あんたは大丈夫? 風邪ひいてない? 俺の風邪伝染らないでよ?」 「お前のへっぽこな風邪なんか伝染るかよ。心配するな」 「サンタ」  洗面器を手に部屋を出ようとした時、後ろから呼ばれる。 「何だ?」 「……ごめんな」 「気にするな」  そう答えてドアを閉めた。  今年、サンタクロースの国は異常気象に見舞われた。  春まだ浅いうちから気温が高く雨が極端に少ない日が続いた。全国的な干ばつに農作物が被害を受ける。それに加え、追い打ちをかけるようにいくつものハリケーンがやって来た。干ばつを耐え抜いた畑の野菜も壊滅状態となり、この国の食の供給は崩れる。当然、新鮮な野菜は品薄から価格が高騰し、人々の食生活に影を落とした。  今年の深刻な事態はそれだけでない。  晩秋から初冬にかけて風邪が大流行した。たかが風邪、と侮る事はできない。今年の風邪は症状が重く、体力のない者、老人、子供の中に入院を余儀なくされる者も居る。それでも12月に入り、ようやく流行も落ち着いてきた。──だが、それはヒトに限ってだった。 「ただの風邪というにはたちが悪すぎます」  俺が報告書を読み終えるのを見届けると、向かいに座った国務大臣が言う。暖かな執務室は静かで、俺のため息が大きく響いた。 「保健局の調査によるとヒトへの流行はだいぶ下火になっているんだな……。なのに、トナカイ種へのこの罹患率の多さはいったい何なんだ」  もともとトナカイ種はヒトより遥かに身体が頑健で身体能力も高い。そんな丈夫な生き物が“たかが風邪”で重篤な容態になっている。 「全罹患者の入院率は、先週ヒトが10.4%、トナカイが22.0%。今週はヒト6.5%、トナカイ31.1%。ヒトは回復傾向なのにトナカイたちがどんどん悪化している……」 「研究者もチームを組んで原因究明に取り組んでいますがまだわかっていません。本当に不思議で……」  見かけはヒトと変わらないがトナカイという種族はヒトとは違う。医学は進歩していてもトナカイの病理学研究はまだ進んでおらず、わからない事が多い。  身体能力が高く五感も鋭敏な事から、トナカイは危険な場所での精密作業や乗り物の操縦を仕事としている者が多かった。そういう職業に就く者が大勢病に倒れるという事は、もうひとつ深刻な事態を引き起こす。 「運転手不足で公共交通機関の半分近くが運休か……」 「はい。それに建設現場も作業員不足でして、いたる所で工事が中断したままです」  サンタクロースの国は小さな国で、今まで大きな混乱が起こった事のない平和な国だった。それが今、大勢のトナカイ種が病に倒れたせいで小さな国は不安に揺れている。 「経済や基本生活の混乱は何とか手の打ちようがある。それより、トナカイを守る事が重要だ。明日にでも疾病保健センターの担当者を寄越してくれ。詳しく話が聞きたい」  かしこまりました、と国務大臣は頷く。が、思い出したように先を続けた。 「サンタクロースさまの所のトナカイも寝込んでいるとか……」 「ああ、そうなんだ。しばらく経つがなかなか熱が下がらん」 「入院させては?」 「そうしたいが、この大流行に病院はどこもベッドがいっぱいなんだ。そのかわり往診に来てもらっている」  俺がそう答えるとしばしの沈黙の後、国務大臣はあらたまった口調で言った。 「サンタクロースさま、クリスマスイブまであまり時間もありません。このまま彼の体調が戻らないのであれば他のトナ……」 「だめだ」  俺は最後まで言わせなかった。 「しかし!」 「あいつはドジだがエアバイクの操縦技術は本物だ。この国の誰よりも早く飛べる。他の者では一晩ですべて回るのは不可能だ」 「ですが……」 「この話はこれで終わりだ。他のトナカイは使わない。……以上だ」  一方的に話を打ち切ると、内務大臣はそれ以上発言できず深く一礼した。 ──他のトナカイだと? 断じてあり得ない。  夕方、早々に仕事を終わらせて家路についた。  サンタクロースにとってクリスマス前の数週間は一年で最も忙しい。だが、家に病気のトナカイ一人置いておくのは何かと不安だ。一日中側についているわけにはいかないが、できるだけ早く帰るようにしていた。  家に入ってコートを脱ぐと、真っ先にトナカイが寝ている部屋に向かった。そっとドアを開けて中を覗き込む。  眠っているか? と声を掛けようとしたがベッドは空だった。トイレだろうかと思ったが、ベッドの上に寝間着が脱ぎ捨てられている。   急に熱が下がって起き上がれるようになったか? ……いや、今朝の様子からそれは考えられない。 「おい! どこだ!?」  大声で呼ぶも返事はなかった。 「まさか……」  行き先に思い当たり、階段を駆け下りて家を飛び出した。迷わずガレージの戸を開ける。 「トナカイ!」  赤いエアバイクの傍らでトナカイが倒れていた。途中まで外された部品、開けられたツールボックス、そこから取り出されたいくつかの工具……。バイクの整備をしようとしていたのは明白だ。  駆け寄ってぐったりした身体を抱き起す。額に手を当てると燃えるように熱かった。 「この馬鹿……。無茶しやがって……」  自分よりガタイのいい男を、しかも脱力して殊更重く感じるその身体を、俺は苦労して抱き上げて二階まで運んだ。  速攻で医者を呼んだ。熱が40度あると伝えたらすぐに駆け付けてくれた。 「解熱剤と栄養剤を点滴しますね。大丈夫ですよー」  女性看護師が点滴の準備をしながら、俺を安心させようと笑顔で言った。点滴の間、隣の部屋で医者の説明を聞く。 「本当に風邪なのか?」  あまりにも長引く症状。奴だけではなく他のトナカイにも言える事だがこんな風邪は初めてだ。俺の質問に医者は腕組をして、うーんと唸った。 「本当に風邪か、と言えば本当に風邪なのです。彼も他のトナカイも、血液検査の結果検出されるのはヒトの患者と同じウイルスなんですよ」 「危険なウイルスではないと?」 「少なくとも私が知る限りは。もし未知の病原菌だとしたら、私のような町医者にはどうにもできません。大きな研究機関の偉い博士に解明してもらわないと」  その後点滴が終わると、とにかく安静に、栄養のある物を食べさせて、暖かくして、と俺にアドバイスをして医者と看護師は帰っていった。  夜遅くトナカイが目を覚ました。一時的かもしれないが熱はだいぶ下がっている。 「なんか、バイク弄ってたら途中で眠っちゃったみたい」  呑気に照れ笑いするトナカイに俺はため息をついた。 「眠ったんじゃなくて気を失ってたんだ、馬鹿」 「げっ、マジかー!」  薬のおかげで今はいくぶん調子が良さそうだ。この様子だと少し食事ができるかもしれない。 「腹減っただろ? 何か作ってくるから少しでも食べろ」 「あ、あのさ……」  立ち上がろうとした俺をトナカイは止めた。 「もし俺が死んだら、代わりの新しいトナカイを探して」  あまりにも唐突にさらりと言われて、俺は驚きのあまり返事もできなかった。 「いや、死んでからじゃ遅いか。すぐにでも探してくれ」 「なに馬鹿な事言って……」  ようやく我に返って言い返そうとしたが、トナカイが「まあ聞いてよ」と遮った。 「俺はあんたのものだけど、あんたは俺のものじゃない、世界中の子供たちのものだ。みんながサンタクロースを待っているのに、トナカイが風邪をひいたので今年は行けません、ってわけにはいかないだろ? 俺はたぶんもうだめだから、どうか運転手を解任してほしい」  黙って奴の話を聞いて、そして動揺を悟られないようゆっくり口を開いた。 「お前の話はわかった。だが、人事の決定権は私にある。どうするか決めるのは私だ。お前の要望には、今は“ノー”だ」  言う事を聞いてくれない俺にトナカイは困った顔をする。 「なあ、サンタクロースはあんたしか居ない。でもトナカイはたくさん居る。俺より優秀な奴はいくらでも居るから。それに、あんたは今忙しい時期なのに俺の看病で仕事溜めてるだろ? これ以上あんたに迷惑かけたくないよ」  困った奴はトナカイだろうか……。それとも俺だろうか……。 「迷惑なんかじゃないさ。家族なんだから当たり前だ」 「……家族って、言ってくれるんだ……」  泣き出しそうなトナカイの顔に胸が締め付けられそうになる。 「だから、死ぬなんて言うな」  俺はそう言うと、トナカイの頭にポンと手を置いて部屋を出た。  「バイクは身体の一部」と言い切り、この仕事が大好きなトナカイ。走るのが嬉しくて、張り切りすぎて、いつも失敗してしまう世界一ドジな運転手。  そんな男が“解任”という考えに至るまで、どんな気持ちだっただろう。  自分の存在意義を、生きがいを諦める時、どんな気持ちだっただろう。  誰も居ない部屋のベッドの中で、一人で絶望と戦っていたのだろうか。  ひとつ言えるのは、奴の言い分は半分正論だが半分は間違いだ。 『来年も再来年も、ずーっとあんたと一緒に走っていたいなぁ』  いつか言っていたトナカイの言葉が、あの笑顔と共に蘇って俺を切なくさせた。