次の日は朝から打ち合わせや会議に追われた。 ただでさえ12月はサンタクロースの国にとって最大のイベントがあり忙しい。それに加え、今年は異常気象や風邪の流行で問題が山積みだ。 だが、サンタクロースはサンタクロース本来の仕事に打ち込めるよう、各部門の大臣たちが問題に当たっている。それでも無視できない問題は風邪の流行だ。 今、俺の前には保健局の局長と疾病保健センターの担当病理学者が座っている。報告書だけでは伝えきれない今回の風邪の現状と研究の進展を俺に説明するためだ。 「結論から言うと、この風邪の正体はまだわかっていません。何故、ヒトとトナカイで症状の違いがあるのかも。……ですが、ひとつだけ喜ばしい事がわかっています」 「それは何だ?」 病理学者の話に思わず身を乗り出す。 「トナカイ種は症状が重く患者が増える一方ですが、風邪が直接原因で死亡した者は居ないという事です。尤も、肺炎にでもなれば別ですが」 死に至る病ではない。けれどそれ以上の事はわからないため特効薬はない、という事だ。 「すべてのトナカイがかかっているというわけではありません。元気な者も居ます。そして回復する者もわずかではありますが居るのです」 局長も横から説明の補足をした。 「その違いは何だろうな……」 「疾病保健センターの研究室では不眠不休でウイルスの解明に当たっています。もう少し時間をください」 頼りになるのは彼ら研究者たちだけだ。俺は、全力で当たってくれと言うしかなかった。 保健局長と病理学者が退室すると、入れ違いに国務大臣が入ってきた。 「……今、私どもの方でドライバーを務めるトナカイを選考しています」 窓の外を見下ろしながら背中でそんな言葉を聞いていた。 「お怒りになるかもしれませんが、時間も押し迫っておりますし準備だけは進めさせていただきたいと。どうかご理解ください」 国務大臣の判断はおそらく正しい。たしかに俺はこの国のトップだ。だが独裁者ではない。個人的な感情で国を動かしていいわけではない。そんな事はとっくにわかっている。 「わかった」 背中を向けたまま俺は言う。もう、だめだと言うわけにはいかなかった。 「だが少し待て。ほんの数日だ。待て……」 俺の態度の軟化に大臣は少しホッとした声で「承知しました」と言った。 何がトナカイにとって一番いい事なのかを考える。同時に、自分にとって何が一番大切なのかも考えた。 今年の運転手のポジションをトナカイに残す事は、もしかしたらあいつの負担になるかもしれない。きっとあいつは期待に応えようとして、でも身体がままならなくて苦しむ。 他のトナカイを探して、という言葉は本心ではなく、難しい立場に置かれた俺への気遣いだ。でも、どんな想いであれ、その通りにした方がいいかもしれないと思い始めていた。 とにかく、今はトナカイをゆっくり休ませたい。運転手の代わりは居ても、あいつの代わりは居ないのだ。 「気分はどうだ?」 「……ん、ちょっといい」 毛布に手を入れてトナカイの手を握ると、奴は握り返してきた。 「えへへ、サンタが手握ってくれる」 「額は氷嚢が乗ってるから手で体温確かめているだけだ」 俺が呆れて言うとトナカイはそれでも嬉しそうに笑った。 今日は早朝から本部に行ったおかげでいつもより早く帰る事ができた。 俺が仕事に行ってる間にトナカイが一人で倒れていた事もあり、留守の間は看護師に来てもらっていた。食事や薬の用意、時間を定めて体温や血圧の計測。そして俺が帰宅すると今日の様子を事細かに伝えてくれる。 午前中少し嘔吐したが昼食はお粥を少し食べたという事。熱は38度2分あったが昼食後の薬を飲んだ後は37度5分まで下がったという事。アイスクリームを食べたいと言っていた事。 日中、病床のトナカイ一人を家に置いておく事に不安だったが、この看護師の付き添いは大いに助かった。 望み通りアイスクリームを持って行ってやるとトナカイは目を輝かせて上体を起こした。ベッドヘッドにもたれかかれるよう枕を積み上げてやる。 「食べさせてくれるんでしょ?」 「甘えるな。自分で食え」 「ちぇっ、病人なのに冷てぇなぁ」 本当は食べたいわけではなく、食欲がないからこそ冷たく喉の通りのいいアイスクリームを口に入れたかったのかもしれない。何にせよ、自分から食べたいと訴えるのはいい事だ。 アイスクリームをひと匙すくって口に入れると、トナカイはひとつ大きく息を吐いた。 「あー、冷たくて気持ちイイ」 美味しそうに何かを食べるトナカイは久しぶりに見た気がする。たかがアイスクリームだが、主な成分は栄養価の高い乳脂肪だ。碌に食事を摂れない体調不良にはうってつけかもしれない。それに点滴に頼らず、口から美味しくカロリー摂取するのは精神的にもいい事だ。 「アイス食って風邪が治ったらいいんだけどなぁ」 「そんなうまい話があったらたくさんの医者がやり甲斐をなくして廃業するかもしれないぞ。お前のせいだ」 「何で俺のせいなんだよっ」 「でもアイスクリーム屋は儲かるな」 「そうきたか!」 トナカイは声を上げて笑った。直後に、久しぶりに大きな声で笑ったせいか咳き込む。そのせいでまた吐かないか心配になり、慌てて背中をさすった。 「そういえば、最近何かで読んだんだけどさ……」 やっと咳が収まったトナカイ。幸い吐きはしなかった。 「笑いって身体にいいんだってさ。免疫細胞が活性化されて、とくに風邪なんか治っちゃうらしいよ」 トナカイが「免疫細胞」だの「活性化」だの、難しい単語を口にしたのがちょっと意外で可笑しい。俺の方が笑いそうになる。 「お前を笑わせてやりたいのはやまやまだが、私は笑いのセンスがないから無理だ」 「サンタのセンスはむしろ高度なんだよ」 どうでもいい事を褒められた後、アイスクリームを完食したトナカイを再び寝かせた。体温計を咥えさせる。起き上がってお喋りをし過ぎたせいもあるだろう、熱はあまり下がってはいない。 「少し早いが夕食の支度をしてくる。それまでもう少し眠れ」 医者ではない自分が治療をしてやる事はできない。だが、治療がすべてではない気がした。側に居て安心させてやる事も、たわいもない話で一緒に笑う事も、トナカイの言う免疫細胞の活性化になるかはわからないが、もしかしたら自己治癒力が上がるのかもしれない。 それ以外で自分にできる事は栄養のある物を作ってやる事くらいだろう。 キッチンに下りて何を作るか悩む。 咳き込むトナカイの背中をさすった時、ずいぶん痩せた事に気が付いた。無理もない、いつもわずかな量しか食べられないのだ。本人も何とか食べようと努力をしている。そこで、今夜は消化が良くて栄養価の高い物を第一に考える事にした。 俺は本来料理が苦手だ。作る事ができる物はそう多くはない。だが、スープなら市販のブイヨンと具材と塩加減で何とかなりそうだ。 そこで、トナカイたちが食べる栄養価の高い地衣類(ちいるい)のスープを作る事にした。 地衣類は菌類と藻類が共生してできた生命体だ。見かけはコケに似ているがコケではない。種類は数多くあるが、中でもトナカイたちが好んで食べるのはハナゴケという地衣類で、普通に八百屋で買えるポピュラーな食材だ。あいつもこのハナゴケが大好きだった。 だが、しばらく冷蔵庫にあるのを見ていない。念のため冷蔵庫の中を隅々まで探したが、やはり見当たらない。トナカイが寝込んでから料理をしなくなった。それからしばらく経つ。生の地衣類は家にはもう無いのだろう。 だが、乾燥地衣類は戸棚のどこかにあるはずだ。俺はあちこち開けてみるものの、やはりどこにも見当たらなかった。 「あいつ、どこにしまったんだ……?」 基本的に家での料理担当はトナカイだ。キッチンのどこに何があるか、奴ならわかるだろう。 「起きてるか?」 二階に上がって部屋のドアを開けると、トナカイは「起きてるよ」と頭を上げた。 「乾燥地衣類の買い置き、どこにあるんだ?」 「ハナゴケ? 無いよ。しばらく前から買ってない」 無い、と即答され困惑する。 「買ってない? どうしてだ? 無かったら困るだろ」 「だってさ、どこの市場に行っても売ってないんだよ。ようやく見つけたと思ったらものすごく高くて、もうびっくり」 トナカイから返ってきた理由は衝撃的だった。あって当たり前の物が売ってない。それはヒトに例えるならパンが手に入らないのと同じだ。 「高くても必要な物なんだから買えばいいじゃないか。うちはそこまで貧乏じゃないだろ」 「そういう問題じゃないの、台所を預かってる俺としては」 そう言われては、台所を預けているこちらとしては反論できない。 「じゃあ、いったいいつから食べてないんだ?」 「うーん、先月からかなぁ……。いや、先々月、かな?」 「そんなに前から……」 ──待て……。どこを探しても見つからなかったパズルのピースが、まさか足元に……。 「俺だけじゃないよ? 他のトナカイ連中も高くて買えないって言ってるし、俺のダチもハナゴケに飢えて……って、サンタ!?」 ──地衣類か! 次の瞬間、俺は部屋を飛び出した。 今年は異常気象で農作物が不作だった。種類にもよるが畑の野菜はだいたい品薄で価格が高騰していた。 地衣類は更に深刻だ。人工栽培が難しいため市場に出回っている物はほとんど野生で、野菜に比べると更に品薄だった。もともと環境に敏感で生育は遅い。そこにこの異常気象。小売店にあったとしても価格はかなり高額になっている。 地衣類が店頭から消えた時期とトナカイ種が風邪で倒れ始めた時期が一致する。これは偶然だろうか。 地衣類不足のトナカイたちと、トナカイ種だけが重症化する今年の風邪……。俺には何か関連があるとしか思えない。 大急ぎで疾病保健センターに電話した。本部まで俺に会いに来たあの病理学者を呼び出してもらう。 最初、病理学者はサンタクロース直々からの電話に酷く恐縮していた。だが、俺の話を聞いて息を呑み、次第に相槌の言葉に力が入ってくる。 そして── 「すぐに実験にかかりましょう!」 興奮した声で、病理学者はそう言った。