香を焚いた室内に雄の臭いが混じる。獣のような息使いと体液を撹拌する水音が夜の静寂を破る。天蓋の薄い垂れ布を下ろした寝台の上で、大柄な体躯がその下の白い身体をまさぐっていた。 男の太い腕が胸に回り、ごつごつした指が胸の先端を捏ねる。もう片方の手の指は後の入口に埋められ中をかき回していた。 「いいんだろう……?」 耳に直接熱い息を吹き込まれて、男の下で華奢な身体が震えた。 「そろそろ欲しいんじゃないのか?」 子供に語りかけるような声色で、だが淫靡なニュアンスを滲ませて、男は耳に舌を這わせながら言う。どこか楽しげな男に彼は内心溜め息をついた。 ――さっさと挿れてイけよ。 そんな言葉を飲み込み黙って頷くと、含み笑いと共に背中から男が離れ、申し訳程度に身体に引っかかっていた単衣を剥ぎ取る。そして腰を高く引き上げると、指が埋まっていた場所に熱い肉の塊が押しつけられた。 「夜に啼く鳥、いい声を聞かせてみろ」 次の瞬間、太い欲望に一気に貫かれ、鳥は悲鳴を上げた。 夜の帳が下りる頃、翠鳴楼の正門から正面玄関までのアプローチにガス灯が灯る。一夜の夢と快楽を求めて来た客は今宵もその館の門をくぐる。 娼館、翠鳴楼(すいめいろう)は100年前からその場所に建っていた。オレンジの板壁に映える黒の屋根と窓枠はどこか東洋的な雰囲気を醸し出していた。それもそのはずで、此処はかつて東洋からこの地に疎開に来ていた富豪の邸宅だったという。 三階建の屋敷を広い庭が取り囲み、敷地内には池まで設けられていた。その水面に周囲の木々が映り込み風で揺れる様子から、この屋敷は“翠鳴楼”の名で呼ばれるようになる。 この頃、娼館は国のいたる所にあった。裕福な者は気軽に街の娼館へと足を運び、貧しさから身売りした娘たちを買った。中でも翠鳴楼は格式の高い娼館で、そこに通う客層は、貴族、政治家、上級軍人、財閥、と財力のある者たちばかりである。 彼らは通常、他の娼館で使う10倍の金を一夜にしてこの高級娼館で使う。中でも最も客に求められていたのは、娘ではなく一人の青年――つまり男娼だった。 国内に娼婦は星の数ほど居たが、高級娼婦、さらにその中でも最高位に格付けされる花魁は片手で数えられるほどしか居ない。そのうちの一人が翠鳴楼の男娼で、彼の名を小夜啼(さよなき)といった。 小夜啼は翠鳴楼でただ一人の男娼だった。金色の長い髪に青い瞳、白い肌。痩身に薄く付いた筋肉は青年の身体だが、肌理の細かい滑らかな肌はまるで少女のようであった。その美貌に男たちはみな息を飲んだ。 一見かよわそうな容姿とは裏腹に目の輝きは鋭く、小夜啼は誰にも媚びない凛とした気質を持っている。さらに彼は、客からのどんな要求をも受け入れる度胸の良さを持ち合わせていた。おそらく、そんな儚さと強さの相反する不思議なバランスに男たちは惹かれるのだろう。 小夜啼にはもうひとつ男たちを魅了するものがあった。その名の由来にもなった、行為中の声の美しさである。嬌声の愛らしさは男の征服欲をかきたてた。普段は口数が少なく、ぶっきらぼうで横柄な態度である分、そのギャップに誰しもが啼かせようと夢中になった。 富と名声のある者のみが近付く事が出来、触れるどころかひと目姿を見る事すらままならない。彼はまさに高嶺の花――。 男色でない者も、ひと目小夜啼を見た途端、触れてみたいと誰もが思った。興味本位だったはずが、一度抱けばその身体の具合の良さに、そして敏感な反応にいつしか虜になる。 おかげで小夜啼の予約は毎夜入れられていた。 「よかったか?小夜啼」 男はシャツのボタンを留めると、傍らで上体を起こした細い顎を捕まえ、上を向かせる。色を感じさせない白い頬には涙の痕がうっすらと残っていた。先刻の歓喜に乱れる姿が演技ではないその証拠に、男は心から満足する。 「小夜啼鳥か……お前はその名の通り本当に可愛い声で啼く」 男が頬を舐めると小夜啼は顔を背けてそれから逃げた。 「……もう夜が明ける。今日はもう終いだ、ラサル提督」 「つれない奴だな。まあ、それがお前らしくもあるか」 小夜啼が素肌に単衣を羽織り、煙管に火を点けたところで膝の上に紙幣が3枚置かれた。 「……いらない。金はもう払ってあるんだろう?」 「私の気持ちだ。これで栄養のある物を買って食べるがいい。もう少し肉を付けるんだな」 上着を着込んだ男は最後に小夜啼の口を貪って部屋から出て行った。 疲れた――と、小夜啼は大きく息を吐いた。 今の男、ラサル提督は悪い客ではない。小夜啼に執心で頻繁に通ってくる。もちろん金払いもいい。先程のように帰り際にチップを置いて行くのは毎度の事である。これも提督が言う通り善意なのだろう。 客はほとんど一夜貸し切りになる。数回身体を重ね、まったりと時間を過ごして最後は疲れて一緒に眠るか、漲る欲望のままに朝まで犯されるか。提督は後者であった。 しかも加齢からか回数をこなせない分、一度の前戯が長い。一晩中一方的に快感を与えられて、挿入の頃には小夜啼は疲れ果てうんざりしていた。 あんなにしつこくなければいい客なのだが、と小夜啼は思う。けれど、彼が客を、そして行為の内容を拒否した事は一度もなかった。 やがて小夜啼は煙管の火種を落とし、部屋に設けられた浴室へと向かった。提督が体内に残した精液をかき出し、肌にまぶされた唾液も自分の体液も湯で洗い流す。 何度イかされたかわからない。うんざりと思いつつも小夜啼の身体はちゃんと快楽を拾う。それは何年も繰り返された行為の慣れ、というよりも身体の防衛本能なのかもしれない。自然ではない行為は身体に負担をかける。そこに快楽が伴わなければ続けられる事ではない。 行為の名残をすべて洗い流し、単衣を羽織って浴室から出る。 「テオ、起きているか?」 小夜啼が部屋の奥に向かって声をかけると、短い返事の後にドアを開けて早起きの少年が顔を出した。 「はい、小夜啼さん」 ようやく夜が明けたばかりのこの時間に少年はきちんと服を着て現れた。小夜啼から声がかかるのに備えていたのだ。 テオはまだ10歳になったばかりの幼い少年で、小夜啼の身の回りの世話をする男娼見習いだった。 「いつぞや姐さん方が話していた菓子って何だったか覚えているか?」 煙管に火を灯しながらテオに尋ねる。 「はい、ええと、さくらんぼのタルトだったと思います」 「じゃあ学校が終わったら、帰りに大通りの菓子屋で姐さん方の人数分買ってきてくれ。買ったらジーラの所に持って行け」 そう言いながら先程提督が置いて行った3枚の紙幣をテオに差し出した。 「こんなに?多過ぎます」 「じゃ、他の美味そうな菓子も見繕って買え。それでも余ったら学校で使うノートとペンと、あとはお前の好きなものを買っていい」 「はい、わかりました。ありがとうございます」 小夜啼は提督から渡されるチップを自分のために使った事は一度もなかった。使い道はいつも他の娼婦たちのささやかな茶菓子になるか、テオのために使われた。 遊びたい盛りの幼い子供が、貧しい家のために此処に売られてきたのは去年の夏。客を取らせるにはまだ幼過ぎる少年を、小夜啼は自分の手元に置いた。テオは、夜は先輩男娼である小夜啼の身の回りの世話をするが、昼間は学校に通っている。 子供として当たり前の教育が受けられるよう、そして同級生たちから境遇についてからかわれぬよう、小夜啼は出来るだけの事をしてやりたかった。 「俺はこれから少し寝る」 そう告げて寝台に上がると、テオはおやすみなさいと頭を下げて部屋を出て行った。 部屋に静けさが戻ると小夜啼はシーツの上に身体を横たえた。腰も股関節もぎしぎしと軋むようだ。長い夜が終わって安堵の息を吐く。 ――ああ、くたくただ……。 つい先刻の行為を思い返す。男の卑猥な囁きと自分の嬌声。それに煽られた男にさんざん嬲られた後孔が疼いた。 小夜啼は煙管の火種を灰皿に落とし、今夜はもう少し楽な客である事を願いながら目を閉じた。 翠鳴楼は多くの人々によって成り立っていた。娼婦は小夜啼を含め三十人弱だが、この娼館の運営にはその何倍もの人間が携わっている。 高級食材を使って客に最高の料理を提供する料理人、広大な庭を常に美しく保つ庭師、数多くの部屋を毎日磨き上げる清掃人、客への細やかなサービスに奔走する女中。 事務方にも多くの人間が居る。予約のスケジュールを調整する者、屋敷内の備品を管理する者、売上金や業者への支払いなど会計を担当する者。 翠鳴楼の内部で働く者は大勢居るが、そこに出入りする業者の数はさらに多い。食品問屋、着物問屋、酒屋、花屋、クリーニング屋、美容師、などなど。 此処はたんなる売春宿ではなく、巨大ホテルと同等の企業とも言える。裕福な客に夢を売ると同時に、雇用によって一般階級の労働者の生活をも支えていた。 この時代、性を売り買いする事は特別な事ではなかった。国が取り締まるわけでもなく、また人々もそれをタブーとは思っていない。それどころか娼館をはじめとする性産業は、そのすそ野の広さから多くの国民の雇用をまかない、国の経済をも支えている。また貧困に喘ぐ農村の家でも一家が飢え死にするよりはマシ、と娘を売る最後の手段としていた。 だが今、娼館に対する風当たりは強くなってきていた。道徳的、人権的な問題というより、一握りの富裕層が経済弱者を食い物にしている今の社会構造が問題視されているのだ。では、庶民に手が届く料金設定にすればよいか、と言うとそうでもない。廉価な売春宿は存在するが、国民の多くはそれでも娼婦を買うなどの余裕はないのだ。 この国は貧富の差が激しい。ごく少数の富を持つ者だけが住みやすい世の中になっていた。金持ちが貧しい若者を金で支配している、そんな図式は否めない。高級娼館はそんな社会構造の象徴的なものに思われ始めていた。 人々の不満は少しずつ募っていき、変革を望む囁きはこの翠鳴楼にも音もなく忍び寄っていた。 小夜啼が目覚めた時、時刻は正午近かった。 眩しい日差しは天蓋の白い布帛を通して柔らかく拡散される。心地よいまどろみにしばらく浸った後、彼は寝台から起き上がった。着たままの白い単衣の乱れを直し、帯を結び直し、打掛を羽織ると裸足のまま廊下に出た。 小夜啼の居室がある三階は、他の上級娼婦の部屋と予備室があるだけだ。しんと静まり返っているところをみると皆まだ眠っているのだろう。着物の裾を引きずりながら階段を下りて行く。分厚い絨毯が衣擦れの音を消す。中級以下の娼婦たちの部屋があるニ階も物音ひとつしなかった。他に起きている娼婦は居ないようだ。 照明が消され自然光に照らされた娼館の中は、夜とはまったく違う空間に思えて、小夜啼は物珍し気に通路脇の調度品や壁に手を触れながらのんびり歩いた。 一階に下り立つとそこは慌ただしい空気に満ちていた。納品業者が様々な荷物を館内に運び入れているところだった。厨房からは調理の匂いが漂う。昼食の準備と、夕食の仕込みが始まっているのだ。清掃人も仕事を始めている。 搬入業者の掛け声や清掃の物音など、とても此処が娼館とは思えない。夜の最高の娯楽のために準備される、娼館の昼の顔。翠鳴楼はこの時間、裏で支える者たちの戦場となる。 ふと、ラウンジによく知った人物を見つけ足を向けた。 「暇そうだな、ジーラ」 「あら、小夜啼。珍しいわね、こんな所まで下りて来るなんて」 「寝起きが良かったんだ」 小夜啼が向かい側のソファに腰を下ろすと、翠鳴楼の女将マダム・ジーラは新聞をめくる手を止め、眼鏡を外して微笑んだ。 「なあに?裸足なの?何か履いてらっしゃい、足が汚れてしまうわ」 「履物、持ってない」 「じゃあ買いなさい、呆れた子ねえ」 小夜啼のあまりの引き籠りぶりにジーラは苦笑した。 おっとりとした喋り方で、どこか少女のような雰囲気を持ったマダム・ジーラは、実は高齢のはずだった。正確な年齢を知る者は誰も居ない。50歳と言う者も居れば70歳と言う者も居た。いずれにしても美しい女で、東洋人の血が四分の一入った元貴族の令嬢と言われている。 小柄で柔らかな物腰とのんびりした雰囲気のため、初めてジーラと接する人間は彼女を世間知らずの有閑マダムと誤解しがちだ。だが、ジーラをあなどって今まで翠鳴楼を潰しにかけようとした同業者たちは、逆に辛酸を舐めさせられた。そして、その時初めて彼らは思い知る。翠鳴楼が一流娼館であるわけを。此処まで成長させた一人の女将の頭脳と経営手腕を。 笑顔でライバルをばっさり切り捨てる無情でシビアな商売人だが、ジーラは娼婦たちを何よりも大切にしていた。生涯独身を貫いた彼女にとって、翠鳴楼の娼婦は皆我が子であり娼館の財産なのだ。 とくに小夜啼は手塩にかけて育てた息子同然だった。 「小夜啼、少しは外に出たらどう?お休みの日くらい街で気晴らししてらっしゃいな」 履物を持ってないという事はこの娼館から一歩も出てないという事で、ジーラとしては笑って済ませる気にはなれなかった。 「いいんだ、面倒臭い」 「面倒臭いって言わないの。とにかく、次のお休みの日は服と靴を買ってきなさい」 「でも、服と靴を買いに行くための服と靴がない」 思わずジーラは溜め息をついて頭を抱えてしまった。 「わかったわ、近いうちに問屋をお前の部屋に行かせるから……」 翠鳴楼は決して娼婦を監禁しているわけではない。ニ週に一度の休日、よく娼婦たちは誘い合わせて街に出掛けていた。買い物に芝居に映画に甘味屋。彼女たちは楽しいひと時を街で過ごし、皆満ち足りた顔で帰って来る。貧しさゆえに、娼館に来る前は想像も出来なかった贅沢な生活。 だが、小夜啼は彼女らと共に街へ繰り出す事はなかった。若い娘の楽しみに興味はなく、また男の自分が加わって気を使わせるのも避けたかった。 中には愛しい恋人にこっそり会いに行く者も居た。そういう相手も小夜啼には居ない。正確に言えば、会いたい相手は客として向こうから会いに来た。そしてその人物とは外で会う気にはなれなかったのだ。 自分が男娼でなかったら、それは普通の恋愛になるだろうか、と小夜啼は考える。何度抱かれても抱かれ足りないその人とは、客と男娼であるから成り立つのではないか、と。 「とにかく、たまには世間の風に吹かれてごらんなさいな。此処にばかり居ると外ではどんな事が起こっているのかわからないでしょ?」 「何か起こっているの?」 「ええ、そうね……あまり楽しくない事だわね」 そう言ってジーラは再び眼鏡をかけ、新聞をめくる。 「最近はデモや集会が増えたわ。昨夜は警官隊と小競り合いがあって怪我人も出たそうよ」 「嫌な話だ。どうして同じ国民同士で争うんだろう」 「政治が悪いのよ。みんな大統領の退陣を求めているわ」 以前から国情は不安定だった。貧富の差がこれほど激しいと国民の不満がいつ爆発しても不思議ではない。最近は徐々に改革を求める声が上がっていた。 「ジーラが大統領になればいい」 小夜啼のその言葉にジーラは一瞬呆気にとられ、そして笑いだした。 「そうね、私が大統領になったら“国民は皆愛し合わなければならない”って法律を作るわ」 「そうなったら国中の娼館はますます儲かるな」 そう答えて小夜啼は立ち上がった。 「もう戻る。問屋が来る日が決まったら教えて」 「小夜啼」 背を向けたところでジーラが呼び止めた。 「時間は常に流れているわ。国も此処も変化していく。お前はそれに取り残されてはだめよ?」 聡明なこの女将が言う事はいつも正しかった。ジーラがそう言うのならたぶんその通りなのだろうと小夜啼は思う。 小さく頷いて彼はラウンジを後にした。 じき昼食の時間だ。厨房は静けさが戻りつつあった。女中が配膳の準備を始めている。これから上級娼婦の各部屋に料理が届けられる。他の娼婦たちももう起きている頃だ。 小夜啼は部屋に戻るべく階段を上がろうとして、ふと足を止めた。厨房の出入り口へと続く通路で、料理長と話している男に目が留まった。 若い男だった。小夜啼より幾分年上のようである。艶のある長めの黒髪でかなり長身の、見た事のない男。料理長とは面識があるのだろう、二人は打ち解けた様子で笑い合っていた。食材に関係した業者なのかもしれない。 妙に人懐っこい笑顔に見入っていると、その男がふと小夜啼の方を見た。 ――目が合う。 男は何故か驚いた様子だった。一瞬笑顔が消え、目を見開いている。小夜啼も目を逸らせず少しの間その男と見つめ合っていると、男の驚いた顔がやがて満面の笑顔に変わった。 ――心臓が跳ねた。 つられて微笑んでしまいそうになるような、そんな印象的な明るい笑顔だった。 小夜啼は微笑みを返すわけでもなく、男から顔を背けて逃げるように階段を上がっていった。 客たちが小夜啼きを見る時のいやらしい笑い顔は見慣れている。獲物を前に発情した雄とはそういうものだ。不快にも思わない。だが、何の邪心も感じられないこんな陽だまりのような笑顔にはあまり会った事がない。 それは小夜啼を酷く落ち着かない気持ちにさせた。 太陽が沈み西の空が紫から藍に染まる頃、今日も翠鳴楼のアプローチにガス灯が灯される。館内にも淡く照明が点けられ、翠鳴楼は夜の顔を取り戻す。 客がやって来るのはまだ少し先。それまでの間、厨房は再び活気に満ちる。料理人たちは客をもてなす飲み物や夜食の準備に追われていた。高級ワインが冷暗庫で出番を待ち、珍しい異国の果実が皿に盛られる。精の付く肉料理、行為の合間に娼婦と語らいながら摘めるチーズや果実。 娼館は娼婦を抱くための場所を提供するだけではない。客に一夜の夢を見せるためあらゆる欲を満たす場所だ。贅を尽くした空間でいい女を抱き、美味い酒と料理を振る舞う。高級娼館で支払う高い金にはこういったサービスも含まれているのだ。 小夜啼が夕食を食べている間、いつものようにテオが風呂の支度をした。食後、ぬるめの湯にじっくり浸かり身体を隅々まで念入りに洗う。そしてテオが背中を流し、髪を洗う。同じフロアの上級娼婦たちも、今頃は娼婦見習いの少女か女中の手を借りて身支度をしているはずだ。 風呂から上がり白い絹の単衣を着て鏡の前に座ると、テオが小夜啼の髪を乾かし櫛で梳く。テオは最初の頃、高価な金糸のような小夜啼の髪をおっかなびっくり触っていたが、最近はずいぶん慣れて要領よく扱えるようになった。 それが終わると、小夜啼は香が焚き込められた打掛に袖を通す。今日用意された打掛は、朱の地に金銀の絹糸で鳳凰の刺繍が施された物。打掛は女物だが、小夜啼が着るとそれは王が着るローブのように見えた。 翠鳴楼で東洋の着物を着るのは小夜啼だけである。他の娼婦は皆、女特有の腰のくびれを生かした西洋のドレスを着ていた。 テオはナイトテーブルのランプを点け、香炉に火を入れた。使われている香も異国から取り寄せた希少な香木である。小夜啼が身に付ける物、彼が居る空間には極上の品々が使われる。 男たちが夢に描く、それ以上の神話を作るために娼館は金に糸目を付けなかった。 神格化された存在――。小夜啼とはそういう男娼なのだ。 「凄く綺麗です……」 テオがランプの灯りの中で悠然と立つ小夜啼を見上げて言った。 こんな子供に何がわかるのかと小夜啼は思ったが、頬を紅潮させ目を輝かせた少年の顔には、嘘の翳りは何処にもなかった。 「これが小夜啼か……」 今宵の客は初顔。30半ばと思しき大手企業の重役。客は部屋のドアの前で茫然と突っ立ったままそう呟いた。 「これは……噂以上の……」 部屋の奥、重厚な肘掛椅子に座る人形のような姿に、それきり客は言葉を失くす。 見た事もないようなきらびやかな着物も、その白い肌と金の髪を引き立てるものにすぎない。煙管を燻らせながら真正面から見据えてくる年齢に不相応な風格は、とても客より年下とは、ましてや金で買われた人間には思えなかった。 凄絶な美しさだった。 金があるだけではだめなのである。この男娼に会うためには様々な人脈と忍耐を要する。時が満ち、許されて、大金を積んで、初めて伝説の小夜啼鳥と対面出来る。 「来る前に此処の決まりは聞いているな?」 小夜啼の言葉に客は慌てて頷いた。 「俺の身体は商品だ。身体に傷を付けてはならない。口付けの痕も許されない。もちろん危険な行為はだめだ。そして俺をこの部屋から外に連れ出す事もご法度だ」 客の身元がたしかでも、分別ある人柄だと見込まれたとしても、此処は一夜密室になる。それは娼婦たちを守るために女将が取り決めた絶対のルールであった。 「――それさえ守ればあとは何をするのも自由だ」 そこまで言うと小夜啼は立ち上がった。 「さあ、来いよ」 すでに恋に落ちている客に手を伸べる。 「夢を、見せてやろう」 小夜啼は口元に極上の笑みを浮かべた。