人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。
by.リチャード・M・ニクソン



「――おっま……なんつー事言うんだよ。危うく鼻から牛乳出るとこだったじゃねーか!」
 俺の呟いた言葉にひとしきりむせた後、ルカはそう言った。
「お前が訊いた事に答えただけだろ」
「だからってその“気になるヤツ”が男だとは思わねぇだろ、普通」
 昼休みの誰も居ない屋上――。俺は同級生のルカと並んで昼めしを食べていた。
 誰も居ないのは当然だ。此処は生徒の立ち入りが禁止されている。でも、屋上のドアにぶら下がった南京錠には実は鍵がかかってなかった。それを見つけたのは他でもない、この悪友だった。

 この学校は結構可愛い女が多い――。そんなルカの言葉が発端で、俺たちはクラスの女子の品定めやら誰が誰と付き合っているという話をしていた。そんな流れでルカが言った。
“お前は誰か好きなオンナ居るの?”
 そこで俺はうっかり正直に、女じゃないけど凄い美形の上級生が気になって仕方ない、と答えたんだった。
「アクセル、俺たち古い付き合いだけどよ、お前がホモだったとは知らんかったぜ」
 すでに空になっている牛乳パックのストローを未練がましく咥えながら、しみじみとルカが言った。

 こいつとは小学校の頃からの幼馴染だった。ルカは言わば“不良”というレッテルを貼られた奴だ。中学の頃にはすでに女と経験済み、煙草なんかは小学生からヘビースモーカー、めっぽう喧嘩も強くて他校の上級生が押しかけ舎弟に来るほどだ。
 これだけの素行の悪さにもかかわらずルカは退学も停学も食らった事がない。何故ならこいつは要領がいいのに加え、意外な事に勉強が出来たからだ。実際、俺もずいぶんルカに数学を教えてもらっていた。一体いつ勉強をしているかわからないが、ルカは努力している姿を他人に見せた事がない。
 もうひとつ俺がルカを信用している理由。それはこいつが決して徒党を組まないって事だ。一匹オオカミで他の不良グループに属さず誰の意見にも流されず、何をするにも自分の信念とやらを持っていた。だから俺が他の悪い遊び仲間と手を切った時もルカとだけは付き合いを続けていたんだ。

 案の定、俺の衝撃のカミングアウトを馬鹿にする事はないけれど、それなりにヤツは驚いたようだ。
「俺、ホモ……なのか?そういう自覚はないんだけどなあ。たしかにその人を追いかけてこの学校に入ったけど、これが恋なのか憧れなのか自分でもわかんねぇ……」
 恋なんかした事ないし、と呟く俺にルカは「これだからチェリーちゃんは……」と大袈裟に呆れてみせた。
「いいか、よく聞け。普通、憧れだけで志望校決めるか?ドン才のお前が穴という穴から血ィ吹き出しそうなほど勉強して実際に受かっちまったじゃねーか!その執念はどっから来るんだって話だよ。その美人の顔、も一度思い出してよく考えてみろ。ヤりたいからに決まってるだろうが!」
「ヤりたいとか、そんな事まで考えてねえって」
 するとルカは顔がくっつきそうなほど俺に迫って悪魔のように囁いた。
「そいつの事オカズにしてオナった事あるだろ」
「してねーよ!」
「いーや、しただろ」
「してねえつってんだろうが!」
 しばらく俺たちは睨み合ったまま沈黙した。
「……」
「……」
 グラウンドで遊ぶ生徒たちの歓声がそよ風に運ばれて此処まで届く――。
 その、のどかな空気にいたたまれなくなったルカがようやく俺の眼前から身を退け、隣に座り直すと煙草を咥えて火を点けた。
「……まあとにかくあれだ、初恋オメデトウ」
 ぷかりぷかり、と呑気に煙で輪っかを作りながら奴は祝辞を述べる。本当にめでたいと思っているのか些か疑問だ。
「図体ばかりデカくてもネンネなお前が恋したと知ったら、あのオカマのかあちゃんも喜ぶんでね?赤飯なんか炊いてデコレーションケーキみたいに飾り付けしてよ、“祝・初恋”とかプレート乗ってたりしてさ」
「ヤメレ……」
 きひひ、とこいつは笑うが、レディ・ジョーが知ったら本当にその通りの嫌がらせをされそうで俺は笑えない。
「だから、恋とか決めつけるなよ。美人つーかさ、やたらカッコいい男で俺もあんな風になりてーとは思うけど、エッチな想像した事ねえのは本当だって」
 ふむ、とルカは神妙な顔をして俺の話を聞いた後、ひとつ頷いて顔を上げた。
「まずはよ、お友達になりたいわけだよな?お前、卒業するまで柱の陰からこっそり見つめているだけってつもりはねえんだろ?」
「けど、名前も知らねーし……」
 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「任せな、俺の情報ネットワークを駆使して調べてやるぜ」
 ルカは立ち上がってズボンの尻を払い、俺にニッと笑ってみせた。


 翌日、あの人が図書室で本を物色していた。借りるつもりらしい本がすでに3冊ほど腕の中にある。今また彼は本棚の最上段に手を伸ばしていた。
 そんな様子を、俺とルカは戸口の陰から顔だけを出して覗いていた。
「――ハリー・ブライアント。3年生のAクラスだ。成績は学年トップ、1年の時も2年の時も学年トップの座から落ちた事はない。つまり、この学校で一番勉強が出来る奴って事だ。……ヤな奴だねぇ」
「ハリー先輩かぁ……」
 ようやく知る事が出来たその人の名を口の中で何度も呟き感動に浸る。だが、とりあえず俺たちは不審な覗きが見つかる前にその場を離れた。
「ちなみに、親はデカい会社の社長で金持ちだ。おまけにマンションで一人暮らし。ようするに、お前のハリー先輩はいいとこのぼんぼんってわけだ」
 そんな話をしながら俺たちは昼めしを食べるために屋上に来た。俺は毎日レディ・ジョーが作った弁当を持ってくるが、ルカは購買部でパンを買う。
 ルカの両親は二人とも医者で、こいつだって金持ちのぼんぼんだ。ただ、親が忙しいからかルカは手作りの弁当を持ってきた事がない。充分過ぎる小遣いをもらっているようだが昼めしはいつも購買部の焼きそばパンだ。
 ルカ曰く、“この学校の焼きそばパンは世界一!”……だそうだ。
「そういや、俺のクラスの女どもがきゃあきゃあ騒いでたっけな。この学校にはお前みたいに目からハート飛ばしている奴がたくさん居るわけだ。あー、ますますヤな奴だぜ」
「だろうなぁ……。あんな俳優かモデルみたいなルックス、女がほっとくわけねえよ」
「ま、たしかにあれで女なら俺も手ェ出してるかもしれねえけどな」
 ルカは溜め息混じりにそう言うと、話を続けた。
「ところが、何故か浮いた話がなくてカノジョもなし。どうだ、嬉しいだろ」
 男の俺に玉の輿なんて関係ないから実家が金持ちなんてどうでもいい話だが、今付き合っている人が居ないのは正直言って嬉しい。
 あれ?そう思うって事は、俺は彼の恋人になりたいんだろうか。
「だけど不思議だな。頭が良くて顔も良くて金持ちで、当然モテて……。なのに何で浮いた話がないんだろう」
「理想が高いから片っ端から振ってるんじゃねーの?」
 焼きそばパンにかじり付きながらルカは言う。
「もしくは男が好きだったり?よかったな相棒、お前にもチャンスがあるぞ」
「だから、決めつけるなっつーの!」
 あきらかに面白がって俺の肩をバンバンと叩く無責任野郎の手を払い除けた。
「理想が高いとか男が好きとか、そういう憶測はどうでもいいんだ!俺は、ハリー先輩と友達になるキッカケがほしいんだよ!」
 とっくに二次性徴期を迎えた男子のこの乙女っぷりに我ながらゾッとする。自分が気持ち悪いやら情けないやらで、全力で穴掘って埋まりたい。だが、その人に近付きたくて死ぬほど受験勉強に打ち込んだ日々を思えば、鳥肌立てている場合じゃなかった。
「友達になってほしいならはっきり言ったらいいじゃん」
「……お前な、仮に知らないヤローがお前に近付いて来て、いきなり図太い声で“お友達になってください”なんて言われてみろ。どう思う?」
 そう言ってやればルカは少し黙った後、引きつりながらアハハハと笑いやがった。
「アクセル、お前が本気なのはよくわかった。だからどうしたらいいキッカケが出来るか、俺も本気でアドバイスする」
 ルカは真顔でそう言うと、あらたまって俺に向き合い指を一本立てた。
「作戦その一。そいつの前で倒れろ」
「は?」
「自分の目の前で人が倒れると相手は驚く。かなり驚く。相当なインパクトだ。そいつは咄嗟に “しっかりしろ!”とお前を抱き起こす。間違いない」
 俺の頭の中に「馬鹿じゃないのか?」というセリフが津波のように押し寄せてくるが、あまりの馬鹿馬鹿しさにかえって言葉が出ず、茫然としてしまった。
「後日、そいつに会った時“その後身体は大丈夫か?”とか“この間は迷惑かけてごめん”とか会話が生まれる。日常の中で起こるアクシデントを共有した者同士、相手は絶対お前の事が気になるはずだ」
「馬鹿くせぇ……」
「作戦その二!」
 俺の呟きを奪い取るようにルカは声を上げ、指を二本立てた。
「他校の不良どもがお前の想い人に絡む。心配すんな、俺が差し向ける俺の“知り合い”で、もちろん演技だ。愛しい先輩のピンチ!そこにお前が登場。お前は適当に戦うふりをしろ、そいつらは勝手に負けてくれる」
「……なあ、ちょっと言っていいか?」
 と言ってみるものの、ルカは俺に口を挟ませず喋るのをやめない。
「――“覚えてろッ!”と捨てゼリフを残して不良どもは逃げて行く。“怪我は?”とお前。その時先輩は潤んだ目でお前を見上げて言うはずだ。“助けてくれてありがとう”……ドラマチックな恋の始まり」
 どうだ?とばかりにルカは悪人丸出しのずる賢そうな目でニヤリと笑った。
「……何だ、この少女漫画的なボーイ・ミーツ・ガールは」
「何だよ、気に入らんのか?」
 ルカは学校の勉強ばかりじゃなく基本的に頭がいい。たしかにそれは悪知恵ともいう。けど、俺はもうちょっとマシなアドバイスを期待していたんだ。がっかりすると同時に頭に血が昇った。
「今どきの女子中学生でもこんなベタな展開に惑わされねぇぞ!だいたい、お前の立てる作戦はどれも汚いんだよ!こんな、ハリー先輩を騙すような事、俺は御免だからな!」
 すると、激昂する俺とは逆にルカは真剣な顔で静かに言った。
「アクセル、お前は恋愛ってもんがまるでわかっちゃいねぇ。誰よりも早く、誰よりも強く奪わないとあの先輩は誰かに取られちまう。ライバルはゴマンと居るって事を忘れるな」
「……いや、だからこれが恋愛かどうかなんて俺にはわからなくて……」
 悪友の妙な迫力に俺はたじろぐが、ルカはさらに俺に迫りつつ言葉を続ける。
「どんなに真剣に考えていても、行動を起こさなかったらそれは何もしなかったのと同じ事だ。馬鹿でもベタでもいいだろ?立ち上がって戦え!男だろ!」

――行動を起こさなかったらそれは何もしなかったのと同じ事。

 この言葉は俺の胸にズキンときた。
「……それとも降参するか?」
 ルカが悪魔的な微笑みで俺に追いうちをかける。
「絶対しねえ!」

 降参なんかしてたまるかよ!