恋は恋によって恋を生む。
by.ザックス



「カプチーノ、ワン!ライチ・ティー、ワン!マフィンセット、ツーでーす!」
 客からオーダーをとった後、俺は厨房に向かって声を張り上げた。
 週末の午後5時半──。『バードガーデン』は一日で最も賑わう時間を迎える。終業後のアフターファイブを楽しむ会社員、これから夜の街に繰り出そうとする若者、まだ仕事中らしく席でノートパソコンを開いている営業マン。このカフェは待ち合わせやちょっとリフレッシュに立ち寄るにはもってこいの店だ。
 俺が此処でバイトを始めて一週間以上になる。
「アクセル、ビアホールじゃないんだ。お前の声でか過ぎ」
 客にコーヒーを届けて戻ってきたハリー先輩にダメだしされ、俺は頭をかいた。
「まあいいじゃない。元気があって店の雰囲気が明るくなるよ」
 そんな風に店長が厨房の奥から俺をフォローしてくれる。
「そうですよ、ハリー。ここは別に格式高い店じゃないですし」
 カウンターでコーヒー豆を挽いていた男も店長の後を継いで言うと、ハリー先輩はお前まで……と言って溜め息をついた。
 主にカウンターを担当しているロバートさんは店長の息子だ。ハリー先輩とは中学時代の同級生で共に空手部だったという。ハリー先輩が此処でバイトをするようになったのは、高一の春にロバートさんからの『少しだけ父の店を手伝ってくれませんか?』の一言が始まりだそうだ。
 最初ロバートさんがハリー先輩と同級生と聞いた時、俺は自分の耳を疑った。柔らかな物腰に礼儀正しい話し方、そして何より綺麗に手入れされたヒゲ。どう見ても25は越えてると信じていた。高校生というよりまるでどこかの名門家の執事といった感じだ。だいたい、ロバートさんの高校ではヒゲは校則違反にならないのか……?
「アクセルもだいぶ此処の仕事に慣れたでしょう?」
 俺の肩を持ってくれたロバートさんが気遣いの言葉をかけてくれる。
「おかげさんで。でも注文とる時まだ緊張してお客さんに訊き返しちゃうよ」
 そのやり取りを聞いてハリー先輩が笑いながら口を挟んできた。
「訊き返すのはいいけど、お客さんにコーヒーぶちまけるなよ?」
「うわ!自分ならやりそうでこえぇ!」
「おいおい」
 俺たちがそんな話をしていると、店にOL風の女性二人が入ってきてテーブルについた。ハリー先輩がすかさず水を二つトレイに乗せ、客の元へと向かう。
 俺はつい彼の姿を目で追ってしまう──。少し腰をかがめてテーブルに水を置くハリー先輩。客の注文はもう決まっているらしくメニュー表を指差していき、彼は伝票に書き込んでいる。笑顔はなく相変わらずの真面目顔。でも無愛想な感じはない。
──ハリー先輩のエプロン姿、可愛いんだよな。
 カッコいいだけじゃなく可愛い男なんて最強だろ。このお客さんたち、もしかしたらハリー先輩目当てで来ているのかもしれない。だってほら、注文の合間にいちいち上気した顔で彼を見つめている。
「女の子にモテるんだろうなぁ……」
「ハリーですか?」
 俺のひとり言にロバートさんが反応した。
「でもあなたもでしょう?おかげで最近お客さんが増えましたよ」
 ロバートさんにそんな勘違いな事を言われて、俺は慌てて首を振った。
「そんな事ないない!俺さ、何かお客さんから笑われてるみたいなんだよ。変な事やってもいないのに、お客さん同士顔見合わせてクスッって。視線感じてそっち見ると女の子がニマニマして目を逸らすし。俺、よっぽど滑稽なのかなぁ……」
 ギャグ言って笑ってくれるのは嬉しいけど、真剣にやってて笑われるのは正直凹む。
「うーん、別にあなたに変なところはないですが……。思いすごしでしょう」
 ロバートさんはそう言ってくれるけど、俺って周りからどう見られているのか、何だか不安になってきた。


 日曜日。バイトが早番だった俺は、仕事が休みのレディ・ジョーと一週間ぶりに一緒に夕食をとっていた。
 飲み屋を経営しているレディ・ジョーと俺はすれ違いの生活だ。俺が学校から帰ると家には誰も居ない。食卓テーブルには夕食にいつもレディ・ジョーの手料理が用意されていた。一人きりの食卓を不満には思っていない。むしろ、どんなに忙しくても手抜きしないレディ・ジョーにもっと楽をしろと思う。
 平日がすれ違う分、休日は必ず一緒に晩飯を食べる事にしている。それは貴重な親子の会話の時間でもあった。
「カフェのアルバイトはどうなんだい」
 牛テールの煮込みをひと匙すくいながらレディ・ジョーが話をふってきた。日曜日はいつも手間のかかった料理が並ぶ。
「結構楽しいよ。接客のマニュアルもわかってきたし、メニューの種類もようやく覚えた。ハリー先輩にはたまに注意されるけど、そのおかげで失敗も減ったしな」
 そう、最近スタッフ間の連携プレイもスムーズになった。それに、接客業をやるようになってレディ・ジョーの仕事の苦労も少しわかってきたところだ。
 学校の連中にはあまりバイトの話はしない。その代わりレディ・ジョーには素直に話せた。同級生たちのように冷やかしや興味本位でなく、同業者として真面目に話を聞いてくれるからだ。
 この日も、店長が作るサラダのドレッシングやケーキやコーヒーがいかに絶品か、ロバートさんや他のスタッフの優しい人柄、ハリー先輩に教わった仕事のコツ、などなど話した。そこで、今まで黙って聞いていたレディ・ジョーが一言。
「──で、そのハリー先輩にはもう好きだって言ったのかい?」
「ぶほっ……!」
 思いきり噴いた。
「ななな、何でそうなるんだよっ!」
「あんたが前々から言ってた“美形の先輩”ってのがそのハリー先輩なんだろ?」
 うろたえる俺とは対照的に、レディ・ジョーは無表情で淡々とスプーンを口に運んでいる。そして、今さら何をと言わんばかりにギロリと睨んできた。
「いやたしかにその先輩だけどよ、相手は男だぜ?いくらなんでも……」
「いいじゃないか性別くらい」
 イイジャナイカセイベツクライ──ときたもんだ。自分の家族ながら呆れて物も言えない。
「ちょっと客観的な意見を言わせてもらうけどさ、あんたはたしかに実の母親じゃないけど、仮にも俺は養い子だぜ?その立場で思春期の俺に同性愛を推奨していいのかよ」
「……あんたこそ、このあたしにアンチ・ゲイを唱えろってのかい」
 そこで俺は我に返って目の前の仏頂面した保護者を見つめた。レディ・ジョーはスカート穿いて化粧をしているが、生物分類上れっきとした男だ。男でありながら男を愛し男に愛されてン十年。しかも経営している飲み屋はオカマ・バーで、つまりプロのオカマなんだ。まあ厳密に言えば、俺は女の格好したいわけでもハリー先輩にスカートを穿いてもらいたいわけでもないから、レディ・ジョーとは少し違うんだが。
「愚問でした……」
 俺は手を膝に置き深々と頭を下げた。
「別にあたしはあんたが男を好きになろうが女を好きになろうが、どっちでも知ったこっちゃないんだけどね」
 ああ、保護者のくせにここまで堂々とした無責任っぷりもかえって清々しい。
「ハリー先輩の事は、好きって言うより憧れだ。俺もあんな風になりたいなっていう、たぶん十代にありがちの……」
「憧れって言葉は便利だねえ」
 その胸に刺さるような言葉に、俺は驚いて顔を上げる。レディ・ジョーは口元をナプキンで拭うと、あらためて俺の目を見て言葉を続けた。
「ずっと前から感じていたんだけどね、あんたの口からその彼の名前が出るたびに、あんた、自分がどんな顔しているか知ってるかい?」
「どんな、だよ……」
 レディ・ジョーは時折俺が知らない俺の内面を見ている。言われて気付く事もあって、そんな時少し怖くなる。
「妙に大人っぽい顔をして、蕩けそうな目をして、嬉しいくせにそれを噛み殺そうとしたり、かと思えば泣きそうな笑顔になったり。人がそんな顔をするのは恋している時だよ」
「恋じゃねえよ」
 最近、ハリー先輩と距離が縮まっていくたびに俺は臆病になっている。恋なのか憧れなのかわからなかったものが徐々に見えてきて、俺はもうそれが何なのか知っていた。
 憧れだったら、男同士で傍に居ても、馴れ馴れしく振る舞っていても、多少は許される。弟みたいな存在なんだと受け入れられる。でも、愛とか恋とかの気持ちだったら……。
「そうかい。じゃあ、もしその先輩が他の人と抱き合ったりキスしても、あんたは平気なんだね?」
 正直、顔に水をぶっかけられたような気分だった。そんな事、俺は今まで一度も考えた事がなかったんだ。相手が男でも女でも、ハリー先輩が他の誰かと抱き合ってキスする……。そんな光景を想像すると目の奥が痛くなった。

──嫌だ、そんなの!

 どこか自分の気持ちを誤魔化して、いつも逃げ道を探していた俺。そんな卑怯な俺には嫌だと言う資格はない。こんな気持ちは身勝手で醜い嫉妬だ。わかってはいるけど、この堪らない気持ちは抑えようがない。
「嫌だ」
「そんな気持ちを恋というんだよ」
 レディ・ジョーはそう言って微かに微笑んだ。
「でも好きだなんて言えねえよ……。言ったら俺は嫌われる。気持ち悪い奴って思われる」
 ハリー先輩が女より男が好きとは到底考えられない。もしも俺の本心を知ったら彼は俺を軽蔑するだろう。彼の顔が嫌悪で歪むのが怖い。
「無理して言う事はないさ。恋心は大事に胸にしまっておいてもいいじゃないか。ただ、人を好きになる気持ちは綺麗なものなんだ、決して卑屈になるんじゃないよ。わかったね?」
 レディ・ジョーに上手い具合に誘導されて、俺は自分の本心を初めて表に出した。そうした事で、そしてそれを肯定されて、心に垂れ籠めていた黒い雨雲が晴れていく気がした。
「俺が自分の気持ちを受け入れてやらないとこの想いは行き場がなくなるんだよな」
 もう誤魔化さない、と小さな声で呟くとレディ・ジョーは仏頂面を笑顔に変えて頷いた。普段手厳しいレディ・ジョーが自信たっぷりにゴーサインを出す時、俺はいつも100万の軍勢を味方に付けたような心強さを感じた。
 レディ・ジョーは戸籍上、俺の伯父だ。若い頃、女として生きる道を選んだため親から勘当された。一方、俺の母親は未婚で俺を産んだため体面を重んじる親と衝突し実家を飛び出した。
 俺が小学4年生の時、母親が死んだ。当然俺は祖父母に引き取られるはずだったが、俺を引き取る事を祖父母はためらった。父なし子の俺は一家の恥だったわけだ。ある日、弁護士を交えて揉める祖父母の元へレディ・ジョーが乗り込み、言った。
『アクセルはあたしが育てる!』
 レディ・ジョーの家に来て最初に言われた言葉は今でも覚えている。
『あんたはあたしの妹が一生懸命生きた命の結晶で尊い存在なんだ。決して卑屈になるんじゃないよ。胸を張んな!』
 結婚もしていない、もちろん子供を持った事もないオカマの伯父が、何故俺を引き取る気になったのか今でもわからない。でも、親の厳しさと他人のような自由さを持ち合わせた育て方が今の俺を作った。
 喧嘩しながら、反発しながら、それでも俺はこの破天荒な男の母親を尊敬している。
「初恋か……。色気もなかったあんたがねえ」
 レディ・ジョーは腕組みしてしみじみと呟く。
「初恋のお祝いに赤飯……」
「いらねえよっ!」


 俺が『バードガーデン』でバイトを始めた事は、もうクラスのほとんどの連中が知っていた。
「アクセル、あんた『バードガーデン』でバイトやってるんだって?」
 休み時間、女子が俺の席にやって来てバイト話をふってきた。すると他の女子たちも話題に釣られて集まってきた。
「あたし知ってる!あのおっしゃれーなカフェでしょ?」
「この間行ったよー!パンケーキがすっごい美味しいの!」
「店員さんでカッコいい人居るじゃない?うちの学校の3年で、たしか……」
 やはりハリー先輩は店でも学校でも女たちの目を引くらしい。
「ハリー先輩?」
「そうそう!ねえ、彼女居るのかなあ!」
「しらねー」
 居ないらしい、とは言ってやらない。認めたくはないがこの子たちは俺のライバルって事になる。いや本当、認めたくはないが。
「よぉ、モテてるねぇ」
 女子たちが去った後、近付いてきたのは現在運送屋でバイト中のダチだ。
「モテてねーよ。イケメン先輩についての事情徴収をされてただけだ」
「そうか?でもお前の周り、一瞬お花畑になってたぜ」
「全然嬉しかねぇし」
「本人は気付かないものだなぁ」
 訳のわからない呟きに訊き返してみると、ヤツは、ほい!と封筒を差し出した。
「何だ?これ」
「たしかに渡したからな」
 そう言うとヤツは背を向けて、もう一度振り向き「花の命は短けぇぞ」と念を押した。

 差出人は隣のクラスの女子だった。悪いが名前に心当たりはない。手紙にはやたら綺麗な字で『話したい事があるから放課後体育館の渡り廊下に来てほしい』と書いてあった。
 よくある悪戯には思えなかった。文面から真剣さが伝わる。そこで思い当たる可能性として、この子も他の女子と同じくハリー先輩が好きで、俺に協力してほしいんだろうって事。同じ店でバイトをしているのはみんなが知っている。ハリー先輩と校外でプライベート時間を共有する俺は、普段近付きにくい上級生との恰好のパイプ役だ。
 この子は自分の恋を成就するため懸命になっている。相手がハリー先輩がでなければ力になってやりたい。でも、そうするわけにはいかなかった。


 放課後──。指定された時間、指定された場所に行くと、その子が渡り廊下で俺を待っていた。俺の気配に気付き振り返ったその顔には見覚えがあった。名前こそ知らなかったものの、あまりにも可愛いため印象に残っていた子だ。
 腰まで届くサラサラのロングヘア、ぱっちりとした大きな目、白い綺麗な肌。おてんばなキャンディとはまた違う(だいたいアレは男だ)、お嬢様タイプの美少女だ。こんな女の子に告白されたらハリー先輩もグラッとくるかもしれない。
「わざわざ来てくれてありがとう」
 酷く緊張した様子でもじもじと彼女は言う。
「ああ、いや、俺は力になれないかもしれねえけど」
 この子には可哀相だが自分の気持ちの方が大事だ。どう言って断ればいいだろう。
「手紙じゃなくちゃんと直接言いたくて……あの、私……」
 真っ赤になりながら、それでもしっかり顔を上げ、その子は言葉を続けた。

「あなたの事が好きなの。私と付き合ってください!」

 その途端、頭の中が真っ白になって俺はフリーズした。