恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。
by.ロマン・ロラン



 マジかよ、すげえじゃん!──と、俺の話を聞くなりルカは興奮気味に言った。
「たしかに凄く可愛い子だけど、何で俺を選んだんだか」
「だな。俺の方がお買い得だっつの。その女も男を見る目がねえな」
 昼休みの屋上。焼きそばパンを2個平らげた後、ルカが大げさにやれやれと首を振ってでかい溜息をついた。……いや、お買い損の間違いだろ?

『あなたの事が好きなの。私と付き合ってください!』

 俺は昨日、生まれて初めて女の子から告白された。
 てっきり、ハリー先輩との仲を取り持ってくれって話だと思っていた。それが、俺の事が好きだなんて……。言われて咄嗟に何の冗談かと思った。
 嬉しくないと言ったら嘘になる。でも同時に戸惑った。そして、ただひたすらびっくりした。真っ直ぐ見つめてくる彼女の赤い顔を見て、この子はアイドル歌手並みに可愛いけど顔立ちはハリー先輩の方が美形だとか、これがあの人だったらいいのにとか、俺はそんな風にハリー先輩の事ばかり考えていたんだ。
 どう答えたらいいかわからなくて言葉を探す俺に彼女は、返事は今すぐじゃなくてもいいから何日か考えてあなたの気持を聞かせて、と言う。そして俺たちはメアドを交換して俺の方から連絡すると約束し、別れた。
 女の方から告白するなんて勇気がいるだろう。そんな時なのに俺は一人の男の事を考えていた。俺の胸の内も知らず真剣に思いを伝える彼女の顔を思い出すと、自分は何て酷い奴だろうって思う。
「で、どうすんの?オマエ」
「……どうしたらいいもんか……」
 そう言って俺は黙り込む。ルカは何も言わず煙草を咥えると火を点け、大きく一口吸いゆっくり吐き出した。沈黙する俺らの間に煙草の煙が漂う。
「その女と付き合っちまえよ」
 真っ直ぐ前を見つめたまま、ルカはいつになくシリアスな顔で言った。その言葉はちょっと予想外で、俺は驚いて奴を振り返る。
「いや、だけど俺は……」
「ハリー先輩の事が好きだから、ってんだろ?じゃ何で女にコクられた時すぐ断らなかったんだよ」
 何故断らなかったか……。我ながらずるくていやらしい理由がいくつか頭に浮かぶ。
「お前さ、その女をキープにしようって思わなかった?」
 躊躇なしの直球な言葉。かなりグサリときた。
「お前、ハリー先輩にコクった?」
 それに対して俺がいいやと首を振ると、ルカはフンと鼻で笑った。
「怖くてコクれねえよな。普通の男だったら野郎から好きだなんて言われたらドン引きするわ。最初から勝ち目のない告白して玉砕するより、目の前のフツーの恋愛に乗っかった方がお前のミクロな自尊心も傷付かずに済む。違うか?」
 半分は正解。ハリー先輩に告白した結果嫌われるのが怖い。女の子から好きと言われて心が揺れたのも認める。でももう半分は自分でもわからない。キープ、するつもりだったのか?俺は。
「そう悩むなよアクセル、お前の葛藤は男として健全だ。だから女にしとけって」
 どっぷり暗くなった俺の肩をバンと叩き、ルカはヒャラヒャラと笑った。
「……気持ちを伝えられないならお前の初恋はその程度ってこった」
 そのぼそりとした呟きに驚いて顔を上げると、ルカの横顔は少しも笑っていなかった。


 その日の放課後、図書室でハリー先輩を見た。
 何やら懸命に本を探している後ろ姿。3年のハリー先輩と校内で会える事は滅多にない。朝もバイト先でも会えるけど、こういう偶然の遭遇は何だか嬉しい。俺は声をかけようと図書室に一歩足を踏み入れた。だが──。
「あった!ハリー君の言ってた本、ほら!」
 彼は一人じゃなかった。思わぬ他者の出現に、俺は慌てて戸口の陰に隠れた。
「あ、そうだ。これだ」
「これでハリー君のおすすめの本全部ね。他の人に借りられてなくてよかった」
 たぶん、3年の女子だ。うちのクラスの女子とは違う、大人っぽくて知的な女……。俺は戸に背を押し付けて、どきどきしながら二人の会話に聞き入った。
「本、買わなきゃと思っていたけど図書室にあったなんて。教えてくれてホント助かる」
「哲学の本なんて買う必要ないさ。うちの学校の図書室って結構使える本が揃ってるんだ」
「まさに“灯台もと暗し”!」
「そういう事だな。来週のテスト、これで100点取れるよな?」
「えーっ!ちょっとそれプレッシャー!」
 顔を見合わせて楽しそうに笑う二人。俺はそっとその場を後にした。

 ふわふわと夢でも見るように、どこをどう歩いてきたのか、気が付くと駅まで来ていた。
 周りは下校の学生でいっぱいだ。みんな楽しそうに友達と喋り笑っている。手を繋ぐ学生カップルの姿もあった。青春を謳歌する者たちの渦の中、笑いさざめく雑踏の中──。
 そんな中、俺一人が違う空間に放り出されているような気がした。楽しげで賑やかな周りの音がいやに遠く聞こえる。
 俺はホームの柱にもたれ、図書室の二人を思い出していた。

 俺以外の人間と一緒に居るハリー先輩を初めて見た。出来の悪い下級生の俺とは違う頭の良さそうな同級生、しかも綺麗な人。誰が見てもお似合いの二人……。相手が俺じゃなくてもあの人はあんな顔で笑えるんだなと思った。
 ハリー先輩は異性にモテて、彼自身も女の子に惹かれる普通の恋愛感覚を持った男だ。男が好きだなんて気配は微塵もない。俺の事はきっと、懐いてくる可愛い後輩くらいにしか思ってないだろう。そんな俺から好きだなんて言われたら……。
 俺の想いはハリー先輩を困らせるだけかもしれない。懸命に彼を追って来たけれど、此処らが限界なんだろうか。
 迷子になって彷徨う自分の恋心が可哀相に思えて、何だか泣きたくなった。


 その週の土曜日。『バードガーデン』では午後のティータイムが過ぎるとようやく客足が落ち着いた。
 つかの間の静かな時間に、俺たちはペーパーナプキンを補充したりメニュー表を新しく作っていた。裏方での仕事はいくらでもある。厨房では店長が夜の仕込みを始めていた。
「さっき、3人連れのOLのお客さんにあなたの名前を訊かれましたよ、会計の時」
 ロバートさんが黒板に夜の部のメニューを書きながら俺にそう言った。
「え?……俺、何かやらかしたっけ」
 3人連れのOLといえば、注文をとる時3人揃って意味ありげな顔をされ、去り際にはウフフなんて笑われて気になっていた。俺の顔が変だったんだろうか、仕草が可笑しかったんだろうか。注文を言い間違えるとか水を零すとかの失敗はしていないはずだけど。
「違いますよ、アクセル。あのお客さんたちはあなたの事、素敵な人だから名前が知りたいって言ったんです」
「は?……ええぇ!す、素敵ぃ?」
 思いもよらないその言葉に素っ頓狂な声が出る。
 すると、俺と一緒にペーパーナプキンを折っていたハリー先輩が話に加わってきた。
「お前がテーブルを離れた後、お客が『可愛い』って言ってるの、何度か耳にしてるぞ。お前の事が気に入って来てくれる女性客が結構居るらしいな」
 可愛い?素敵?何だそれ!それ本当に俺の事?
「何だよ、自分でわかってなかったのか?」
 たぶん口を開けたままポカンとしていたであろう俺の顔を見て、ハリー先輩は苦笑した。
「あなたは明るくてハンサムだから、とくに年上の女性にモテるのかもしれませんね」
 ロバートさんがそんなこっ恥ずかしい事を言うと、奥の厨房から店長も話に乗ってきた。
「まあ、アクセルのおかげでお客さんも心なしか増えてよかったんだけどね。でも、海千山千のおねーさん方に襲われないように、自分の身は自分で守ってよ?」
「襲われませんって!」
 時折感じるお客さんの微妙な視線やクスクス笑いは俺が滑稽だからじゃなく、好意的な笑顔や照れ笑いなんだとわかって、俺はホッとすると同時に脱力した。
 けど、この俺が可愛いだなんて、俺には女ってものがさっぱりわからない。


 夜のシフトの従業員と入れ換わりに俺とハリー先輩は7時に仕事を上がった。
 外はまだ明るく蒸し暑さが残っている。時折吹く風が気持ちよくて、俺は自転車を押してハリー先輩と肩を並べのんびり歩いた。週末の夜とあって通りは人出が多い。途中のコンビニでハリー先輩がアイスをおごってくれて、食べながら歩く。
今日一日ハリー先輩と一緒に居たけど、彼はいつもと何ら変わりなかった。最近誰かと付き合い始めて浮かれているだとか、逆に落ち込んでいる様子もない。
 図書室で一緒だった女子はハリー先輩とどういう関係なのか、あの後二人はどうしたのか、俺は訊きたい気持ちでいっぱいだった。
「そういえば、さっきのお前がモテるって話──」
 俺の葛藤も知らず、ハリー先輩はそう切り出した。
「店だけじゃなくて、お前学校でも有名だぞ」
 は?本人の耳にはまったくそんな有名っぷりなど聞こえてきませんけど?そもそも、さっきロバートさんが言ってた話だって俺は未だにピンとこない。ましてや俺が学校でもモテるだなんて、身近に居る情報の早いルカやキャンディから一言も言われたためしがないし……。と思って、そういやあいつらは知ってたとしても死んだって俺にそんな事言わないだろうな、と思い直した。
「うちのクラスの女子も“あの背の高い1年生カワイイ”なんて言ってて、誰の事かと思ったらお前なんだよな。一緒にバイトしてるのバレてるからお前の事を根掘り葉掘り訊かれて、まいった」
 ああ、もう!その言葉、そっくり丸ごとあんたに返してやりたい!
「何言ってんの、モテモテなのはあんたの方じゃん!根掘り葉掘りで苦労してるのは俺の方だって!」
「何の話だ?私はモテないぞ?」
 アイスを咥えたまま絶句してしまった。何とぼけているんだろうと思ったけど、彼は大真面目な顔して俺を見上げてくる。本当に自分では何もわかってないらしく……。
「……ハリー先輩はさ、どうして誰とも付き合わないの?」
 この場の話の流れで、俺はやっと訊きたかった事を口に出来た。
「どうしてって……。付き合いたいと思うヤツが居ないし、誰からも付き合ってほしいって言われた事もないからだろ」
 その言葉の通りなら、あの図書室で一緒だった女子とは何でもないって事になる。
「告白、された事ないの?」
「ないよ、一度も。嫌われているわけじゃないと思うんだけどな。授業の内容とか勉強についてはよく相談されるし。たぶん、私はとっつきにくいんだと思う」
 この人がモテる要素ばかりなのにフリーな理由がわかった。
 ハリー先輩は学年問わず憧れの的だというのに、本気で彼を口説こうとする女が居ないんだ。高嶺の花過ぎて、みんな彼に近付くのを躊躇ってるんじゃないだろうか。どうせ自分なんか相手にされないだろうって……。
 そこまで思ってハッとした。
──それって、まさに俺もそうじゃないか!
 勝手な思い込みで誰も気持ちをぶつけくれないって凄く悲しい事で、ハリー先輩が可哀相だ。そして俺もその他大勢と同じだった。何だか彼に申し訳ない気持ちになった。
「そっか。こんなにカッコいいのに、意外だな……」
 そんな思いを顔には出さずそう言ったら、ハリー先輩は、お前こそと言って笑う。
「さっきブラウンが言った事は私も同感だ。お前は明るくて優しくてルックスもいいから学校の女子にも店に来る女性客にも好かれるんだ。中学の頃より背もまた伸びたし、男っぽくなったしな」

 今、何てった?

「ええっ!?」
 俺はむち打ちになりそうなくらい思いっきりハリー先輩を振り返った。
「中学の頃って……俺が中学の頃って!何でそんな頃の俺を……!」
「何でって、お前、中学の時から地下鉄で通学していたじゃないか」
 思わず俺は歩みを止めた。
「あんた、ホームに俺が居た事知ってたの……?」
「はあ?知ってるに決まってるだろ。もう2年くらい毎朝同じ場所、同じ時間にそこで会うんだから。それにお前、結構目立つヤツだし」
 今初めて明かされた衝撃の事実に、俺は本当に茫然としてしまった。
「だって……だって、俺ら目が合った事なんかないし、まさか俺を見ていたなんて……」
「見ていたさ。初めて見た時は、子供っぽい顔してるくせに突っ張ったヤツって感じだった。不良なんだと思っていたけど、そのうちそんな雰囲気も消えていたな。入学式でお前を見た時は、へー、コイツうちの学校に来たんだ、って驚いた」
「そんな事まで……」
 俺が毎朝この人を盗み見てドキドキしている間、この人も俺をいつも見てその変化を感じていたんだ。俺は恥ずかしくて、嬉しくて……。
「お前を見ていると面白い。2年後、3年後、これからどう変わっていくのか楽しみだな」
 2年後3年後って、その頃もう俺たちは同じ高校の先輩後輩じゃない。でも、そうなっても俺を見ていてくれるんだろうか。傍に居てくれるんだろうか。
「──俺、もう少し足掻いていてもいいの?」
「足掻くって?」
 俺の呟きにハリー先輩は不思議そうに首を傾げる。俺は、何でもない、と言って笑った。

 俺はまだまだガキで間違いも勘違いも多い。でもひとつだけ、たしかだと思う事がある。
──誠実であろう。自分にも、この人に対しても。


 月曜日、俺は告白してくれたあの彼女に『この間の返事をしたい』とメールした。
 放課後、指定した体育館の渡り廊下にやって来た彼女に俺は、好きな人が居るから付き合えないと告げた。声を出さず静かに泣き出した彼女の姿に胸が痛む。小さな肩を抱き寄せてあげたい衝動にかられたけど、それは堪えた。ただ、好きと言ってくれてどんなに嬉しかったか、気持ちに応えられなくてすまないと思うか、感謝と謝罪を伝える。
──これでよかったんだ。
 ハリー先輩の事を諦められない以上、もしもこのまま付き合ったら、俺はきっとこの子を彼の身代わりにしてしまっただろう。それは彼女の気持ちを踏みにじるだけでなく、自分の心を裏切る事にもなる。
 いつかハリー先輩に告白しよう──。もしかしたら失うかもしれない。傷つき、傷つけるかもしれない。でも言葉にしないと始まる事も終わる事も出来ない。想いを伝える事の大切さを、俺はこの子から教えられた。


 その夜、家に帰るといつものようにレディ・ジョーは仕事に出掛けた後だった。誰も居なくても「ただいま」と声をかけるのもいつもの事。キッチンに行き明かりを点けて冷蔵庫を開ける。牛乳を出しコップに注いで一気に飲み干して息を吐いた。
 いろいろあった一週間。此処にレディ・ジョーが居たら聞いてほしい事がたくさんある。人を好きになる気持ちは綺麗なんだ、と言ったレディ・ジョー。俺が可愛い女の子より片思いの男を選んだと知っても、きっと淡々と『フン、そうかい』と言うんだろうな。
 その時、食卓テーブルにメモがある事に気が付いた。

『初恋おめでとう』

──まさか!
 慌てて、用意されてある食事にかけられたクロスをめくる。
「あのクソオカマ、本当にやりやがった……」
 俺は赤飯の皿を持ったまま、壁におでこをゴツンと預けて溜め息をついた。