『また遊ぼうぜ』という曖昧な約束は意外に早く実現した。


「……お前、浮いてるな」
「いや、アンタも浮いてるから」
 昼下がりの明るい日差しの中、向かい合って座った二人は落ち着きなく周囲に視線を走らせていた。どちらの顔にも『こういう所は初めてです』と書いてある。
 横を見れば漆喰の白壁に木の腰壁、上を見上げると大きな天窓と緩やかに回るパドルファン。清潔感があって明るい店内。平日の昼間のせいか満席ではないが、右を見ても左を見ても客は女しかいない。チンピラ臭漂う男二人は周囲から完全に浮いた存在だった。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
 エプロン姿の若い女が爽やかな笑顔で注文を取りに来た。可愛いとは思うものの、店員すら悟浄には馴染みのない世界の人種に感じる。
「この……白玉入り抹茶パフェ……というものをひとつくれ」
 三蔵がメニューの文字を指差す。
「はい。お飲み物はどうなさいますか?」
「渋茶で」
──ちょっと待て、さすがにこの手の店にそれは置いてねぇだろ!
「かしこまりました」
「あるんだ……」
 茫然としていると店員にお客様は? と注文を促され悟浄は慌てる。実は、悟浄は甘い物が苦手だ。今日は甘党の三蔵が喜ぶだろうとここに連れてきたが、来たからには自分も何か頼まなければならない。あいにくメニューには写真が載っていないため戸惑う。
「じゃあ、この……パンケーキってやつ。飲み物はコーヒーね」
 ケーキは甘くて好きではないが、パンというくらいだから朝食感覚であっさりしているのだろう。
 店員が去ると深いため息をついた。注文ひとつでこんなに緊張したのは初めてである。
「よくこんなハイカラな甘味屋知ってるな」
「あのね、三ちゃん。カフェっていうの、ここ」
 ここはオープン時から悟浄の女友達の間でオシャレなカフェとして話題になっていた。
 一昨日いつものように寺に遊びに行った時、三蔵が明日の昼間なら時間が空いてると言ったため急遽ここに来てみた。いつもは夜会う事が多く、そこには酒が付き物だったため、こういう昼間のティータイムなど滅多にある事ではない。
 やがて三蔵の前に抹茶パフェが運ばれてきた。三蔵はまだ注文品が来ない悟浄に配慮する事もなく、早速スプーンを取って口に運ぶ。
「三蔵はスイーツもやっぱ和風が好きなのね」
「そういうわけじゃねぇ。メニューの中で味が想像できる物がこれしかなかったからだ」
 なるほど、と納得した時、悟浄の分が運ばれてきた。
「うっ……!」
 テーブルに置かれたパンケーキを見た途端、悟浄は口を押さえて絶句する。
 三センチもあろうかというフワフワな物体が二枚重ねになっていた。その上に山盛りの生クリーム。更に何かのシロップと、仕上げはご丁寧に粉砂糖が振られている。
「俺が知ってるパンじゃねえんだけど! つか、これケーキじゃん!」
「無知なてめぇが悪い」
 三蔵にフンと鼻で笑われ、悟浄は項垂れるしかない。仕方なくフォークを取るとクリームがかかっていない下の層を食べる。が、生地自体に砂糖が入っているため甘かった。しかし、一口で投げ出すわけにもいかずなんとか食べ続けるが、次第に胸が悪くなってきた。
「あー、やっぱ俺には甘すぎだわ。三蔵これ食べねえ?」
 半分以上食べ残したパンケーキを差し出すと、抹茶パフェを完食した三蔵が舌打ちしつつもそれを受け取った。舌打ちするわりには目が輝いている。
 コーヒーで口の中に残った糖分を洗い流し、煙草に火を点けて、悟浄は三蔵をこっそり観察する。
 甘い物を食べている時の三蔵はいつもの棘が全部抜け落ちていて、ごく普通の甘党男だった。美味いとも不味いとも言わないが、たいそう満足であろう事はそのフォーク運びでわかる。
 午後の柔らかな日差しが三蔵を包む。横の窓から差し込む光が伏せた長いまつげに降り注ぎ、目元に影を作る。金色の髪が光と同化して、まるで三蔵自体が光を放っているようだ。夢中で生クリームを堪能する顔は不機嫌を取り繕うのを忘れ、頬が緩んでいた。
──ああ、なんか可愛いな。
 こんな何気ない時に思わぬ愛らしさを発見して胸が締め付けられる。男がプロポーズを決心する時はこういう瞬間かもしれない。
「……一緒に暮さね?」
 思わず零れた言葉に三蔵の手が止まる。ゆっくり上げられた、ポカンとした顔。
 次の瞬間、悟浄は我に返った。
──何言ってんの? 俺!
 自分の言葉に悟浄自身が驚く。数秒の沈黙の後……。
「な、なーんてな! ジョーダンだっつの」
 笑いながら悟浄が言うと、三蔵は心底嫌そうな目で睨んできた。
「てめぇの冗談はクソ面白くねぇんだよ」
「三蔵サマったら、もしかして本気にした?」
 三蔵の眉間に深い皺が寄り、目に殺気がこもる。
「よほどぶっ殺されたいらしいな、クソ河童」
「へーへー、俺が悪うございました」
 いつものように軽口の応酬でこの妙な間をやり過ごせた事に悟浄はホッとした。どちらかが冗談と言えば本気にしてはいけない。それは二人の暗黙のルールだ。
 パンケーキもあっさり完食した三蔵が渋茶をすするのを見届け、悟浄は話題を変える。
「それにしてもさ、カフェなんて俺と一緒に来なかったら入る機会なかったっしょ?」
「まあ、そうだな」
「俺と出掛けるようになってアンタもずいぶんいろんな店に行ったよな。その経験生かして『三蔵法師の長安食べ歩きガイドブック』とか出したらどうよ。慶雲院発行で」
「てめぇは慶雲院を何だと思ってやがる」
 規模も格も東方一と謳われる慶雲院。そのありがたい寺を茶化す罰当たりな悟浄に三蔵も小さく笑った。
「残念ながらその提案は却下だ」
 そして煙草に火を点け、三蔵は静かに言った。
「俺はあの寺を出る」
──えっ?
 沈黙が訪れる。店内の音楽も、他の客の楽し気な話し声も、急に遠のいていった。
「大僧正が亡き後俺が取り仕切ってきたが、もう俺がいなくてもやっていけるだろう。旅で留守の間もちゃんと機能してたんだ。やるべき事はもうない。だから俺はあそこを出る」
 しばらく黙って聞いていた悟浄はぽつりと訊く。
「……いつ?」
「まだわからん」
「寺出てどこに……?」
「さあな」
 三蔵はそれ以上何も言わず、悟浄も何も訊けなかった。
 三蔵を包んでいた光はいつの間にか陰って、白い顔も金の髪もくすんで見えた。


 その後、悟浄は三蔵と別れるまでの間どんな話をしたか、何も覚えていなかった。