暗い店内に紫煙が立ち込める。若い男女の笑い声と音楽、酒と香水の匂い。いかがわしくも懐かしい、イカレた仲間たちの溜まり場。
「おーっ、めっずらし! 悟浄じゃねぇの!」
「え、悟浄? やだ、久しぶりね!」
「オマエ、今までどこに雲隠れしてたんだよ」
 店のドアを開けると、悟浄の姿を見つけた顔見知りが口々に声をかけてきた。
「よ! 久々」
「よ、じゃねぇよ! 死んだかと思ってたぜ!」
「わーりわり。いろいろ忙しくてよ」
 拳をぶつけ合い手を交互に握り合う、彼ら独特の挨拶。女たちも寄ってきて一人一人とハグをした。
 テキーラを何杯も飲み、悪友たちとふざけ合い、女たちに囲まれてカードを打つ。ブランクを感じさせない腕前で、悟浄はカードで勝ち続けた。
──なんてこたねえ、元の生活に戻っただけだ。


 三蔵と最後に会ったあの夜からひと月半になろうとしていた。
 最初の十日、悟浄は何も考えず平常心でいられた。しかし習慣とは恐ろしいもので、十一日目からは寺に行かない事に違和感を覚え始める。そこから先は時間が長く感じられてしょうがなかった。こんなに長く三蔵に会わないなど初めてだ。
 三蔵から悟浄に連絡する事は今まで一度もない。二人が会う時は悟浄が寺に会いに行くか、会いに行った時外で会う約束を取り付けるかだ。つまり、悟浄から行動を起こさない限り三蔵に会える事はなかった。
 何もなかったように寺に行き、執務室の窓から忍び込んで三蔵をさらってしまおうかと、そんな馬鹿げた想像をした事もある。
『もう寺には来るな』
 あの時の三蔵の言葉は冗談とは思えなかった。本気の拒絶なら寺に行く事はできない。行ったところで会ってはくれない。
──つまり俺はフラれたって事だよな。まあ、その前に恋人でもなかったか。
 旅の間から三蔵とは何度も寝た。だが、それは性欲のはけ口以外の何物でもなく、そこには何の情もない。今も続くこの関係はたんなる腐れ縁だ。
 少なくても、三蔵はそう思っているはずで……。
 三蔵に会えない寂しさはやがて恨みに変わっていく。悟浄はどこにも出かけず一人家に引きこもり、酒で気持ちを紛らわせる日々が続いた。床には酒瓶とビールの空き缶が増えていった。
 最近ようやく昔馴染みの飲み屋に行く気になったのは、人恋しさからだ。


 その夜、悟浄はいつもの盛り場でなく安宿のバーで飲んでいた。静かな所で飲みたいが一人にはなりたくない。そんな気分にはぴったりの小さな酒屋だ。
 店には三、四人ちらほら客がいるだけで、カウンターには悟浄しかいなかった。
「あなた、見かけない顔ね」
 ふいにかけられた声に見上げると美しい女が立っていた。
「隣、いいかしら?」
 胸の開いた赤いドレス、赤いルージュ、きつめの香水、緩く結い上げた金髪。商売女である事はひと目でわかった。
「もっちろん。美人は大歓迎」
 大人でセクシー、目的もはっきりしている。一夜限りの恋の相手としては申し分ない。
「あなた、寂しそうな目をしてる」
「そう見える?」
「恋人にフラれた?」
「驚いたな、大当たり」
「こんないい男を振るなんて、その人も男を見る目がないわね」
「君が慰めてくれる?」
 ベッドに辿り着くまでの言葉のゲームはいつだって胸が躍る。
「……いいわよ」
 そして女は悟浄の耳に唇を寄せて囁いた。
「二階に行きましょう」


 ギシギシと階段を軋ませて二階へと上がる。暗い階段、暗い廊下。他の部屋からは悟浄と同じ目的の男たちが女と楽しんでいる気配がした。ここはいわゆる売春宿だ。
 女に案内されて部屋に入ると、そこは廊下よりもっと暗かった。
 楽にして、と言われ悟浄はベッドに腰かけた。女は慣れた手つきでランプに火を灯す。まるで自分の家のように勝手知っているようだ。
 女の年は三蔵と同じくらいだろうか。悟浄より少し上だろう。
 悟浄を見つめたままゆっくりと髪をほどく。根元が黒い、染められた金髪。最初からわかっている事だ。この国には生まれつき金髪の人間などいない。三蔵一人を除いては。
 女はドレスも焦らすようにゆっくり脱いでいく。露わになる、シミひとつない白い肌。三蔵の傷だらけの肌とは大違いだ。
「来て」
 下着だけになった女が悟浄をいざなう。伸ばされた手を取りそっと身体に腕を回した。三蔵のごつごつした身体とは違う、柔らかな女の身体……。

 三蔵は。三蔵なら。三蔵と比べて。
 三蔵、三蔵、三蔵……。

 思えば、三蔵とは喧嘩ばかり。口を開けばお互いを罵る言葉しか出てこなかった。口論から殴り合いに発展した事など数えきれない。近付けば傷付け合うだけなのに、それでも惹かれてしょうがなかった。
 初めて三蔵と寝た時も噛みつくようなキスをして、実際血を流した。まるで獣のように求め合った。
『悟浄……悟浄……ごじょう……』
 悟浄の腕の中、涙の膜の下で紫暗の瞳が揺れていた。身体は辛いはずなのに、三蔵は手加減する事を許さなかった。
『俺を抱くというならてめぇの全部をよこせ』
 そう言われて悟浄は全部を差し出した。だが、三蔵もまたすべてをくれたのだと今になって気付く。

「俺は……こんな時でもお前の事を……」
 その呟きに女が何の事? と顔を上げる。悟浄は腕の中から女を引き離した。
「ごめん。俺、やっぱだめだわ」
「え?」
 ポケットの財布から紙幣をあるだけ抜いた。この女が一晩いくらなのかはわからないが今持っている金をすべて握らせる。
「本当にごめん。それから、ありがとな」
「え、ちょっと、どういう事よ」
 戸惑う女を残して悟浄は部屋を飛び出した。
「ちょっと待ってよ! ねえ! こんなに多い……」
 女がドアから身を乗り出して叫ぶ。だが、悟浄は振り返らずに階段を駆け下りた。


 暗い夜道を悟浄は急ぐ。
 夜が明けたら寺に行こう。三蔵が一人で旅に出るつもりなら一緒について行こう。断られたらこっそり遠くから後を追えばいい。これは遊びなんかじゃない。ただの腐れ縁でも、女の代わりでもない。
「無理。諦めるとか、ぜってー無理だって!」
 二人とも大事な事は何ひとつ話し合っていなかった。
──俺はどうしようもないほどお前に惚れてるんだ。