静かとは言い難い夜だった。
このアパートの近くを、もう3度もパトカーが走って行った。
走り去るサイレンの音がドップラー効果で、オオカミの遠吠えのように聞こえる。
窓の下を酔って喧嘩する声。ナンパが目的で通りを流す車から漏れる重低音。夜の女たちの媚びを含んだ甲高い笑い声。
深夜のこの通りは、ケダモノたちが活気付く人工のサバンナだ。
そんな街の片隅の誰も知らない部屋で、俺はガブリエルを抱いた。
部屋に入ってドアを閉めるなり、ガブリエルをそのまま壁に押し付けて唇を重ねた。
もどかしく、着ている衣服を脱がせていく。早く身体を見たくて、そして肌に触れたくて、ベッドまでのわずかな距離すら我慢出来ず立ったまま彼の身体をまさぐる俺は、通りの連中に負けず劣らずケダモノだ。
ドアからベッドまで二人の衣服を累々と脱ぎ散らかし、俺たちはシーツの海へとダイブした――。
男とセックスするなんて、ついこの間まで考えた事もなかった。
“男を抱くテクニック”など教わった事なんかありゃしない。だが俺は、なんの迷いも戸惑いもなく男の身体を愛撫している。
あんたを気持ちよくさせてやりたい
あんたを幸せにしたい
あんたに愛されたい
おそらく、男だろうが女だろうが基本は同じなのだろう。愛する人とのセックスとは、きっとそういう事だ。
だが、ガブリエルにしてみれば、どんなに俺が優しく行為を進めても酷い苦痛だったに違いない。固く目を閉じ歯を食いしばって、貫かれる痛みに耐えていた。
どんなに痛くても、彼は苦痛の声を上げない。
その体内にすべてを埋めきってしまう間、俺は何度もごめんよ、と繰り返し言い続けた。
ガブリエルは俺の事をどう思っているのだろう。
彼の口から、好きだとか嫌いだとか大切だとか、そんな言葉は聞いた事がない。
もっとも、嫌いだったらこんな事はしないだろう。でも、愛はなくてもセックスは出来る。俺に乞われて仕方なく応じてくれているのだろうか……。
いや、今はそんな事どうでもいい。
手のひらを重ね、指を絡ませて握ると握り返してくる細い指が、キスをすると俺の舌を追って来る彼の舌の動きが、真実であり、すべて。
刹那的な俺たちに与えられた夜は長い。
制限時間の夜明けはまだ先だ。
痛みがある程度治まると、入れ替わりに快楽の波が押し寄せるのだろうか。
ガブリエルは愛撫に敏感に反応し始めた。
指と舌で彼の全身を探ると、彼は身体を捩り首を振って、やめてほしいと俺に訴える。
身体は溺れたがっているのに、理性がこれ以上乱れたくないと彼の口に嘘をつかせている。
ガブリエルは歯を食いしばり、与えられる快楽にも喘ぎ声を上げる事を頑なに拒んでいた。
「声、出せよ」
ガブリエルは固く目を閉じてかぶりを振る。
「男に抱かれて気持ち良くなる自分が許せないの?」
俺の視線から逃れるように顔を背ける。
「一度突っ込んだから終わりって思うなよ?」
あんたが快感を自覚してしまった今からが始まりなんだ。
もっと溺れて
もっと乱れて
堕ちていけばいい……
ささやかな懇願は却下した。
力なく抗う身体をうつ伏せにし、腰を引き寄せると後ろから指を突き入れた。
中で指をかき回し、わざと聞こえるように濡れた音をたてる。
「俺にこんないやらしい事されて……気持ちいいんだろ?あんたの可愛い声聞かせてよ」
屈辱的な姿勢をとらせ、羞恥心を煽るようなセリフを敢えて言う。
酷いやり方だが、こんな方法で彼の理性もプライドも孤独感をもむしり取っていく。
そうする事が、今のこの人にはどうしても必要なのだと感じたのだ。
「もう……放せ……。これ以上……いや……だ……」
「何怖がってンだ、この意地っ張り!みっともなく取り乱したっていいだろ!自分の内なる声に耳を傾けなきゃだめだ!素直に感じろよ!我慢すんなって!」
突然、ガブリエルの身体が大きく跳ね上がった。
すかさず指を増やし、ついに探り当てたその箇所を激しく攻める。
「アクセル!もう……やめ……や、だっ!……ああぁっ!」
襲いかかる激しい快感に堪え切れず、この時、ガブリエルは初めて嬌声を上げた。
自分の身体の中に起きた変化に怯え逃れようとする腰を押さえ付け、中をえぐり続ける。
悪いが手を止める気はない。それどころか、更に一本増やした指の動きをいっそう強めた。
容赦ない愛撫を受け、ガブリエルは成す術もなくシーツに突っ伏し、全身を震わせながら堰を切ったように声を上げ続けた。
この人は、なんて声を上げるんだろう……。
まるで魂を引きちぎるような悲しい声で。文字通り吐くように。
細い身体を震わせて、それは酷く痛々しい姿だった。
これはもはやセックスの時に上げる喘ぎ方ではない。
彼の心と身体は、おそらくずっと前から泣きたかったのだ。
あんた、今までどれほど長い間、どれほど多くの我慢をしてきたの?
心身共に武装して、泣きたくても泣けなかったんだろ?
心の中に溜まっている澱を吐き出させる事が出来るなら、俺はあんたを何度でも……。
力ずくで押さえ込まなくても、ガブリエルはもう逃げなかった。
上体をシーツの上に投げ出し腰を高く上げて、後ろを指で犯される。そんな行為をされるがまま受け入れていた。
「……っく……アクセル……アクセル……」
震えながら絞り出すように名前を呼ばれ、たまらない気持ちになる。
ガブリエルの顔を覗き込むと、荒い息をしながら潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
「ガブリエル……あんたが好きでたまんない……」
キスがしたくて彼の上体を抱き起こす。腕の中に閉じ込めて、口内を、舌を、貪った。
「あんたを離したくねえよ……畜生、どうすりゃいいんだ……!」
濡れた音をたてながら舌を絡ませ、うわ言のように俺は言う。
「こんなに好きにさせて……俺、どうすればいいんだよ……」
答えなど出せるわけがない。ましてや、この人にそれを求めるなんて出来ない。
「夜明けまで、お前に全部やるから……だから……」
もっと抱けよ、と口付けの合間に小さな声で言うガブリエルに理性は完全に飛んだ。
足を投げ出して座る俺の股間の上に向かい合う形で彼を跨らせると、引き抜いた指の代わりに熱く脈打つ俺の先端を当てた。
今の俺たちに出来る事は、この瞬間こうして身体を繋ぐ事しかない。ならば……。
ガブリエルの腰を掴んで俺自身の上に落とした。あまりの深い挿入に彼は悲鳴を上げて仰け反る。俺は、更に何度も何度も下から突き上げた。ここまで深く激しいと痛いはずだ。だが、最愛の人は頭を振り、痛みに上がりそうになる声を押し殺しながら自ら大きく足を開いて、より深く俺を迎え入れようと腰を押し付けてくる。
なぜ、ガブリエルはそうまでして俺に与えようとするのか……。
「あんたの中に出すぜ……?」
返事の代わりにしがみ付いてくる健気な身体を抱きしめながら、放った。
熱い迸りを受け止めながら、ガブリエルは、火傷しそうだ……と言った。
放った後も抜く事はせず、繋がったままガブリエルをそっと仰向けに倒した。
俺を見上げているこのケチの付けようのない美人は、しっとり汗に濡れた髪をくしゃくしゃにし、頬を上気させて、まるで少年のようにあどけない。
愛しい顔を両手で包み込み、指で頬を撫で、顔中に唇を押し当てた。
「最後に最大のわがままを一度だけ言うから、聞き流して……」
ガブリエル自身を握り込み、上下に扱いた。
同時に腰をゆっくり動かし始める。中に注いだ体液が酷く卑猥な音をたてた。
「アメリカには帰らないでくれ。このままパリに残ってよ……今の仕事も辞めて。もう任務で人を殺すな。手がこんなになるまで銃を握るなよ」
ああ……俺は卑怯だ。
「……うっ……んん……」
「行くな!ガブリエル!」
扱く手が速度を増し、彼を追い詰める。
「俺と一緒に暮らそう……!」
「くっ……ああっ……!」
ガブリエルは吐精した。身体を弛緩させながら、荒い息の中で口を開く。
「私は……」
「いい!何も言うな……」
俺は卑怯者だ。こんな時にこんな言葉で一方的にガブリエルを困らせる。
「ごめんよ、もう二度と言わねえから……ホントにごめん……」
忘れるように、と。俺はまた卑怯にも本格的に抜き差しを再開した。
神様、どうか――!
心の底から祈る俺の脳裏に、あの日曜日の公園で聴いたバッハが、静かに流れた……。
何度も、何度も、何度も、何度も、彼の体内に精液を注ぎ
何度も、何度も、何度も、何度も、彼の欲望を吐き出させ
声が嗄れるほど喘がせても、滑らかな肌に幾つ赤い刻印を残しても、まだ足りない。こんなに貪ってもこの人への飢えは尽きる事なく、それを抑える術も持たない。
夜が……明けなければいい!
ああ……
たまんねェ
あんたのカラダ
俺は狂っちまいそうだ――
今夜4度目のパトカーが遠吠えを上げながら通って行った。
どこかで強盗でもあったのかもしれない。
深夜のパリのダークサイド。
向いのビルのネオンサインが放つ人工の青が、ブラインドの隙間からこの部屋に入り込み、青く染め上げる。まるで、静かな海の底に居るみたいだ。
皺だらけの白いシーツも青く染められ、ガブリエルの肢体がシーツの波を泳ぐ。
外の喧噪から隔絶された、ここはどこか別の世界。
外の冷気と室内の湿度で窓がくもっている。
暖かく湿った波の上で、彼の身体はもう冷たくはない。熱い肌。そして、もっと熱い体内。
もう何度目かわからない高みに二人で駆け上がる。
ガブリエルの体内で探り当てた、強烈らしい性感帯を狙って腰を動かす。
途端に仰け反る白い喉。目も眩むほど淫らで美しい顔。
「すげェ気持ちいい……あんたン中……」
あんたは?と問うと、すごくイイ、と蕩けそうな顔で答えた。
うれしく思いながら反面驚いていると、もっと驚く事を言われた。
「もっと……深く……」
そんな切なげな顔で、そんな泣きそうな声で、俺を求めてくれる愛しい人。
先程から彼の膝がガクガクと震えている。限界が近いのだろう。
その膝に手をかけて、胸に膝が付くほど深く身体を折り曲げて大きく脚を開かせた。
一度抜くと、彼の体内に何度も放った俺の精液が溢れて流れ、視覚的に煽られた。
そしてガブリエルの求めに応えるべく、再び深々と彼の体内に我が身を沈めていった。
ああ!と声を上げて、たぶん無意識に、彼の腰が自ら揺らめく。侵入した俺を締め付ける。
気持よすぎてイキそうになった。が、堪える。もう余裕がない……。
「ねえ、俺の名前を呼んで?」
ゆるゆると、最奥で腰を動かし囁く。
「あんたが呼んでくれたら、俺はいつでも応えるから」
「……んっ……ああ……アクセル……」
「もっとでかい声で!」
緩い動きから一転、激しく腰を打ちつける。ガブリエルが悲鳴を上げた。
「アク……セル!もう……」
快楽に抗う事をやめたガブリエルは、背が折れんばかりに仰け反り、大きく喘ぎながら狂ったように頭をいやいやと左右に振る。凄絶に妖艶な姿にめまいがした。もうたまらない!
「必ず応えるからっ!」
「アクセル!あ……あああぁ――ッ!」
「愛してる……!」
ガブリエルの頬を、涙が一筋流れた。
どういう涙なのかはわからない。
おそらく、本来はめったに泣く事はない強い人……。
俺は酷く切ない気持ちになって、まだ荒い息を吐く唇にそっと口付けた。
「忘れるなよ……?」
汗に濡れた前髪を指で梳きながら静かに告げると、ガブリエルはゆっくりと目を開ける。
濡れた瞳――。その深い闇の青に映る自分が、この人にとって優しいものである事を……俺は心から祈った。
深夜の『ネオ・トリアノン』――。
客もオカマも誰も居ない店内で、俺はグラスを磨いている。
ドアが鳴って客が一人入って来た。
見なくても誰かわかっている。
その姿を見る瞬間の感動を噛みしめたくて、勿体ぶって振り向いた。
「いらっしゃい、元気だった?」
「まあまあだな」
客は黒いスーツ姿だった。
いつものやつ、と言われてマティーニの準備をする。
外は雪だぞ、と客が言う。ああ、どうりで今夜は冷え込むはずだ……。
「実は、打ち明ける事があるんだ。今までお前に隠していたが……」
そう言って黒いコートを脱ぐと、その下から現れたのは……。
真っ白い羽――。
白鳥の羽のような純白のそれが、黒いスーツの背中から大きく広がっている。
「本物の天使だったんだね……」
予想はしていた。
「ごめんな……天使のあんたを汚しちゃった……」
「アクセル……お前は汚れたのか?」
「んなわけないでしょ」
「私も同じだ。天使は汚れないようになってるんだ」
その言葉通り美しく気高い姿の天使はマティーニを手に笑った。
「これからどこへ?」
「さあ……またどこかの国のどこかの空港かな?」
「寂しくなるな……」
「お前に会えてよかった」
「そのカクテル飲み干すまで居て。で、ゆっくり飲んで」
「ああ、そうしよう」
天使は微笑むと一口飲んで目を閉じ、ああ美味いなぁ、と言った。
これが夢だという事はわかっていた。
それでも俺は、時間が止まればいいのにと……切に願った――。
淡い光に包まれた朝だった――。
薄い雲の真っ白い空。
静かな室内、音のない世界。
そんな朝――。
目覚めた時、俺は一人だった……。
身体を起してブラインドを上げる。
雪が……降っていたのだ。
積もるほどではないだろう、小さな雪。
こんな儚げな雪でも世界の音を消している。
俺は白い白い空を見上げる。
顔を上げたままきつく目を閉じ、震える唇を噛んだ――。