滑らかな皮膚に覆われた筋肉質な痩躯が眼下で跳ねる――。
女のそれとはまた違う、スラリとした美しい肢体の隅々に夢中で、だが丁寧に舌を這わせる。その舌の愛撫にびくりと反応を示した箇所に目印を付けるように赤い刻印を残した。
うつ伏せた身体に乗り上がって、背筋を舐め上げると髪を振り乱して大きく仰け反る。
浮いた上体にすかさず両腕を巻き付けて拘束した。忙しなく胸をまさぐりながら、背後から首筋に口付けの雨を降らせた。
弱い部分を吸い上げられ、上がりそうになる声をすんでのところで噛み殺している。

ホラ、またそうやって我慢してしまう。
素直に堕ちればいいものを……。
今夜もまた、あんたは溺れてしまう事を拒む。
ケチケチしないで可愛い喘ぎ声くらい聞かせろよ!
じゃないと……こんなヤラシイ事、しちゃうぜ?

彼の耳に唇を押し付けその「行為」の内容を囁くと、ダークブルーの瞳が驚愕に見開かれ、慌てて首を振る。嫌だと言いながら逃げようとする腰を捕まえて引きずり戻した。
そして、その「行為」は実行される――。
途端に上がる大きな嬌声。もがく肢体。その合間に繰り返される拒絶の言葉。
本気の拒絶ならやめていただろう。だが、そうでない事を俺は知っている。
自分は今どんないやらしい事をしていて、それによって彼の身体がどんな風になってしまっているか、卑猥で露骨な表現をあえて選びながらいちいち説明してやる。そんな言葉による辱めも、彼にとって快楽を増幅させるひとつの要素である事を、俺は知っている。
信じられない……と、されるがまま身体を開かされて、信じられないような「行為」を受けさせられながら、切なげに呟く彼は涙声だった。
でも、こんなやり方で無理やり快楽を与えないと、この人は心の武装を解いてくれない。
俺がそこまで酷い男を演じて彼に理性を捨てさせて、本当に求める事はたったひとつ――。

『お前を愛している』

……と一言でいいから、どうか言ってくれ――。
それが叶えられないのならせめて俺の名前を呼んでくれよ。
涙に濡れた闇色の瞳で俺を見つめながら、その形の良い唇で……。


「アクセル!」

ハッ――と、俺は顔を上げた。
現実に引き戻されて、今居る所が『ネオ・トリアノン』だとようやく気が付く。
洗い上げたグラスを乾いた布巾で丹念に拭く、その作業の手をいつから止めたままだったのか……。
俺の名を呼んだ声の主が目の前で、呆れ顔で立っていた。
「さっきから呼んでいるのに何ぼーっとしてるんだい、このフヤケ男は。早く看板の灯りを消してきな」
もう閉店時間を過ぎていた。
これ以上呆けてレディ・ジョーに殴られないうちに、言い付けられた作業に取り掛かった。


今夜、遅い時間になって俺の友人たちが飲みに来てくれた。
男ばかりの3人組。他店のバーテンダー、ウエイター、コック、つまり水商売仲間だ。
そのうちの一人が結婚する事になったという。
祝いや慰めややっかみ、理由は何でもいい。とにかく祝杯という名目で彼らは大いに飲んだ。俺にも次々に奢って多くの金を落としていってくれたのだ。
ここが自分の店でバーテンダーという立場も忘れ、俺は勧められるままにグラスを重ねた。
かなり飲んでしまった。酷く酔っていたが頭の芯はなぜか冷えていた。


8ヶ月前、空港でハリーを見送ったその夜から、俺は毎晩彼を想った。
ハリーの事をガブリエルと呼んでいたあの最後の夜。
怖くて口には出せなかったが、これが二人の最後の時間である事はわかっていた。
どうにもならない感情を抱え、出口も見つけられないまま、堕ちるしかないと思った。
だから言ったのだ。夜が明けるまでの時間あんたをくれ、と――。

その夜の事は何から何まで克明に覚えている。
あの人の身体のどこをどう触れば身を捩じらせたか。
どんな風に体温が上がっていったか。
与えた快感にどんな顔で堪えていたか。
俺が何を言い、それに対してあの人がどう答えたか。
その時俺はどんなに切ない思いだったか。
そして、その時繋がったあの人の中の熱に、どれほど狂いそうになったか。
俺の想いを知りながら、それでも消えようとしている彼が憎くて、責めるように抱いた。
俺のせいで、俺のために、彼の頬を透明の綺麗な液体がゆっくり流れるのを見た時、自分がどれほどこの人を愛しているか思い知った。

毎晩ハリーの事を考えた。
最初はあの夜明け前の出来事をひたすら思い出していた。
繰り返し、繰り返し……。次の夜も、そのまた次の夜も……。
どんなに疲れていても、どんなに酔っぱらっていても、仕事から帰って自分のベッドに潜り込んで、あの夜明け前の時間になると決まってハリーの顔がちらついた。
そのうち俺は、ハリーとの様々なシチュエーションのセックスを想像するようになった。
想像の中での彼は清廉で従順だった。最初は俺の愛撫に戸惑い恥じらいながらも、やがては心身共に蕩けていって、最後は酷く乱れて行為に溺れていく。まったくもって、俺が作り出す俺にとって都合のいいシナリオ。
思い付くかぎりのいやらしい事をハリーにした。
怪しげな玩具を使って彼が意識を飛ばすまで責め続けた事もある。
昼間の話じゃないが他人を交えてヤった事もある。顔も人格もない人物には嫉妬もしない。俺の腕に抱かれながら他の男に犯され、嫌がって泣きながら俺を呼ぶハリーに興奮した。
およそ世間で言われるアブノーマルと呼ばれる事は大体やった。
罪悪感など微塵もない。現実にはあり得ないから妄想なのだ。俺の頭の中だけの絵空事。
どんな事をされようとも、初めは嫌がっていたハリーは最後には「もっと」と強請った。
だが、彼は絶対に「愛している」とは言ってくれない。
俺の都合のいい妄想の中なのに、だ。
思い通りになってくれないハリーに、だから次の夜もまた俺は彼を汚す。
すべてはたった一言を聞きたいがための数々の行為。
幼くて身勝手な俺の想い――。
意地になって、力ずくで、彼の理性をもぎ取る。快楽の熱にうなされて口走る事を待っている。そんな事をしても無駄だとどこかでわかっているのに……。

今日、抱きたいと告げた。
ハリーの答えは「NON」。静かな言い方だったが本気の拒絶……。
わかっていた……。
シーフードレストランで口ごもった時からハリーの気持ちを確信していた。
『もうお前とは寝ないが、それでも会いに来てよかったのか?』
そんな気持ちに気付いていたが知らぬふりをした。
もともとハリーは男に抱かれるようなやわなタマではない。
たまたま、あれほどの美しい容姿をしているが、ハードでタフな世界に生きている人だ。俺には本気で腕力を振るわないが、もしもハリーがその気になったら、組み敷かれてしまうのは逆に俺の方だ。なにせ、彼は俺とは比較にならないほど腕っ節が強いのだ。
そうならないのは、彼が異性愛者であって男を抱く趣味がないから。ただそれだけの事。
俺に対してある種の愛情を持ってくれている事は疑わない。
ただ、それを性欲に向けられないのだ。当然の反応、ごく普通の男の思考。
ゾーイの問いかけに愛を認めた事はたぶん本当だと思う。だが、あの人はそんな自分の気持ちに戸惑っている。その感情に名前を付けられないでいるのだと思う。
それでも、今回こうして苦労して俺に会いに来てくれた。その事を取っても俺はこんなに想われている。
あの人にとって特別な存在。こんな幸せな事、これ以上何を望むというんだ。
それでも、俺は……。


オカマたちは全員帰って俺一人店に残されていた。
ようやく後片付けと明日の準備が終わって店内の灯りを消した。
戸締りをして店を出る。見上げると俺の部屋にはほんのりと灯りが点いているようだ。
こんな時間だ。ハリーはもう寝ていると思うのだが……。
愛する人が待つ場所に帰る幸せ。店の2階のその場所へと階段を上がっていく。
もう一度言う。俺はかなり飲んでいた。
酷く酔っていたんだ――。




居間のソファでハリーが眠っていた。
きっと俺の帰りを待ってくれていたのだろう。毛布も掛けてない。
本を読みながらそのまま居眠りしてしまったようだ。床に落ちた文庫本を拾い上げる。
“アメリカ国家のなんたらかんたら”?
英語のタイトルは難しい単語でフランス人の俺には今ひとつわからなかった。いずれにしても難しそうな本だ。
真面目な人は読む本まで真面目くさっているのね……、と拾った本をテーブルに上げる。
「可愛い顔しちゃって……」
子供みたいな寝顔に笑みが零れてしまう。俺より年上だなんてとても思えない。
考えてみればハリーの寝顔は初めて見た。
あの夜は朝までベッドを共にしていたが、目覚めた時にはもうハリーの姿はなかったのだ。
一人暮らしのこの部屋には当然ベッドはひとつしかない。
何もしないから一緒に寝よう、と言ったが却下された。
お前なんか信じられるか!とは言われない。
「野郎同士がくっついて寝るなんて不健康だろ?」というのが彼の言い分だ。
今さら、ではある。だが、あえて反論せず彼の意思を尊重しソファで寝てもらう事にした。
「風邪ひくよ……?」
毛布を広げて傍まで寄って、もう一度可愛い寝顔を見下ろす。

おやすみのキスくらい……いいだろうか。

そんな事を思ってしまった。
横たわるハリーの傍らに跪いて頬にそっと唇を押し当てる。
「ん……」
くすぐったかったのだろうか……。小さく呻いて顔をしかめ、寝がえりを打った。
横を向いていた顔が仰向けられ、また穏やかな表情になる。

唇へのおやすみのキスくらい親子の間でもするよな……?

俺の言い訳はエスカレートしていく――。
そっと、唇に口付けた。触れ合うだけの口付けだったが8ヶ月間想い続けた感触。
ハリーの唇の乾きが気になってそっと舌で舐めた。
自分の心臓が大きく打ち始める……。
舌を差し入れた。顎には力が入っていないため歯の間から中に侵入するのは簡単だった。

ああ、やばい……。

熱く濡れた口内。触れた粘膜の感触に俺の体温が一気に上がった。

もう、やばい!

唇をしっかり合わせて舌を深く潜り込ませる。
「ん……う……」
ハリーが呻いて目を開けた。慌てて唇を離す。
深い眠りの奥から呼び戻されたように、彼は完全には覚醒していないようだ。
開いたブルーアイは何も映してなく、酷くぼんやりしている。
口付けで無意識にも息苦しさを感じていたのだろう。頬がほんのり上気していた。
唇は俺の舌が出て行った時の形に開かれたまま……。そして俺に濡らされたまま……。
この危険すぎる顔に俺の理性はたちまちぶっ飛んだ――。
「――ったくッ!エロい顔してくれちゃって……!もう、知らねーぞ!?」
ハリーの身体に乗り上げて開かれた口に覆い被さった。
忙しなく角度を変えながら唇の感触を堪能し、上がっていく息を抑えながら舌を味わった。
唇も、舌も、頬の内側の滑らかな粘膜も、記憶していた以上の気持ちよさで、気が付けばがっつくように貪っていた。
ハリーと再びキス出来る事を夢見て、俺は随分長い間、この時を待っていたのだ。
彼の唇が俺に合わせるように動いたような気がする。舌も応えているような……。
合意の上であれば何の遠慮もいらない。
調子に乗った俺は彼のシャツのボタンに手をかけ、外していった。
ハリーの右手が俺の胸を押し退けようとする。その手首を掴んで彼の頭の上へと上げた。
何だよ、抵抗する気……?
左手も抗ってきた。うるせえよ、とばかりに右手同様に戒める。
唇を離して鎖骨辺りを舐め上げる。
「おい……」
やっと口を自由にされたハリーが低音ボイスですごんだ。
「やめろ」
色気も動揺もなく、妙に落ち着いた声色。
「……ンだよ……今、キスに応えていただろうが」
「応えてない。どけ」
静かだが迫力ある声に怖いと思うより、目の前の御馳走を食らう欲望の方が勝っていた。
「あんなカオで誘っておきながらよく言うぜ!」
ハリーの手首を離し、背中に腕を回して痩身をかき抱く。ハリーが声をたてず苦悶の表情で仰け反った。舌は鎖骨から下りていって反らされた胸の先端に辿り着き、音を立ててそこをねぶりまわした。
「アクセル……!」
そのうわずった声に、感じているらしいと気を良くする。
赤ん坊のように乳首を吸いながらズボンの上から股間をまさぐった。このまま快楽に流されてしまえと強弱を付けてそこを揉みしだいた。
「よせ……っ!」
身体は反応し始めるが心は気丈に拒み続ける。
「無理やり……犯す気か……っ」
「ああそうだよ、犯してやるさ!あんたが抵抗するんならな!」

どうして抱いたらだめなんだよ。
そんなに俺が嫌なのか?
俺を愛してくれよ!
あんたの事が好きで好きで、好き過ぎて……。
俺は狂いそうだ……!

唇は胸を離れ、脇腹を吸い上げながら下りていき、股間に到達した。
手で擦りながら、すでにすっかり堅くなったそこをズボンの上から口で愛撫する。
「ヤらせろよハリー。いいだろ……?あんただって、もうこんなになってるじゃねぇか」
布越しとはいえこんなに執拗に嬲られたら苦しいほど感じているはずだ。
だが、ハリーはあくまで強気だった。
「痛い目に遭いたくなかったら今すぐやめろ」
鋭い眼光で、ドスの利いた低音で、そんな可愛くない事を言う。
この状況下でこの精神力には恐れ入る。だが俺にとってはカチンときた。
「大人しく抱かせろってんだよ!言う事きかねぇと泣くまでヤるぞ!?」

ああ……こんな風にしたいわけじゃないのに……。

拒絶の言葉など言えなくしてやろうと、じかに愛撫するためにズボンのベルトを外しにかかった。だが……。

がしっ!

喉元に手が伸びてきて、いきなり首を掴まれた。
まるでニワトリの首を持ってぶら下げるように、片手でやすやすと。
俺の首を細腕一本で拘束している目の前の男は、怒りも興奮もない無表情で、目だけがフロアスタンドの灯りを受けてギラリと光っていた。
ぞっとした――。
次の瞬間、金色の髪がなびき、俺の視界いっぱいに広がった。
空いた方の手で腕を掴まれて引き寄せられ、同時にハリーの肢体が宙に躍り上がる。あっという間に身体が入れ替わり、仰向けに倒された俺の上にハリーが馬乗りになっていた。鮮やかな身のこなし。
声を出せない……。身動きも出来ない……。
首に食い込む指先に徐々に力が入れられていく。
呼吸は出来るが、身体がまったく動かない。自分の心臓の音だけがいやに大きく聞こえる。次第に頭が朦朧として、俺を見下ろす目の前のハリーの顔がぼやけてきた。
ああ、この綺麗な顔が見えなくなるのは残念だなと、遠ざかる意識の中でぼんやり思う。その時、無表情だった男は顔をしかめて小さく舌打ちを漏らし、首から手を離した。
「この馬鹿が!」
「あ……あ……」
ようやく視界も意識もクリアになっていく。
だが思うように声が出せない。
首を押さえられている間、俺は怖かったんだと気が付いた。
「首の骨を……へし折られるのか……と……」
「頸動脈を押さえただけだ」
ハリーは俺の傍らに立ちはだかって、乱れて顔にかかる髪をかき上げた。
「尤も、あと5秒そのままだったらブラックアウト、さらに圧迫を続けていたら、いずれお前はあの世行きだがな」
つまり、俺はこの凶暴な美人に腕一本でねじ伏せられ、場合によっては命もなかった。
俺を生かすも殺すも、こんな細い指先の力加減ひとつだったわけだ。
どんなに綺麗な顔をしてどんなに華奢な身体つきでも、ハリーは訓練された軍人なんだ。
無理やり犯すなんて冗談じゃない。この人は素手で人を殺す方法を何通りも知っている。
とんでもない男に惚れちまった――。
「あまり私を甘く見るな」
ここに来てようやく目が覚めた。
「ご、ごめ……ごめん……ごめんよ!あんたが嫌がる事しないって言ったのに!」
激しい後悔と自己嫌悪が濁流のように胸に押し寄せる。
「正気に戻ったか?まったく一体どれだけ飲んだんだ、この酔っ払いが」
ハリーはため息をつきながら腰を下ろした。
酒のせい……。思えば俺の理性はうんと前からなくなっていたのだ。いつから?ハリーにキスした時ではない。たぶん、もっと前から……。
そしてハリーは俺の暴走を酒のせいとして片付けようとしてくれている。
「俺、こんな事するつもりであんたを泊めたわけじゃ……。本当にこんなつもりじゃ……」
うわ言のように呟く俺の頭にハリーの手が乗せられ、髪をくしゃくしゃとやられた。
「馬鹿だな……そんな事は知っている」
こんな風にこの人が優しい分だけ俺はガキになる。
「なさけねぇ……」
絞り出すように呟いて、顔を覆うつもりで目の前に手を上げて……驚いた。
手に、血が付いていた――。
指にも、手のひらにも、まだ乾ききってない血……。
俺のではない。自分はどこも怪我などしていない。
ハリーを引っ掻くかどうかして怪我させてしまったのか?――いや違う!
ハッ、と思って飛び起きた。
俺の傍らに座るハリーの脇腹あたり――白いシャツに血が滲んでいた。
「あんた……怪我していたの……?」
ハリーが“何の事だ?”というような不思議そうな顔をした。
さっき俺が外したシャツのボタンはまだ留められてはなく……。
「――っ!おいっ、何する!」
後ろからシャツの前立てに手をかけて、背中から一気に引きずり下ろした。
晒されたハリーの背中を見て、俺は思わず叫びそうになった。
「……どうしたんだよ……これ……」
俺の問いかけにハリーは黙ったままだ。
「ひでェ怪我……何があったんだよ……」
「……そう見えるだけでかすり傷だ」
白い背中全面に数えきれないほどの小さな赤い切り傷――。何十ヶ所あるかわからない。
血を流した傷は右の肩甲骨の下、脇腹辺り。そこが一番大きな傷らしい。
たぶん、さっき俺が背中に手を回して抱き寄せた時に開いたのだろう。
かすり傷と言われれば脇腹の一ヶ所を除いては小さな傷だ。だが白い肌に映える無数の真っ赤な傷に、驚くなと言う方が無理だ。
「誰かに酷い事されたの?拷問とか……」
俺の顔から大真面目ぶりが滲み出ていたのだろう。ハリーは仕方なさそうに呟いた。
「爆撃食らって破片が刺さっただけだ。大した事じゃない……」
爆撃食らう事が大した事じゃないというその感覚はマトモじゃないだろ……。
「……いつ?」
「10日ほど前だ」
「戦場に居たの……?」
「ああ……」
「だって、あんた兵士じゃないじゃん!」
「今回は特別だったんだ。……もういいだろ、離せ」
ハリーは俺の手から握りしめていたシャツを奪い返し肩まで引き上げた。
「なあ……そろそろ話してくれてもいいんじゃね?」
「何をだ?」
「俺が知らないハリー・ブライアントのほんの一部分」
俺の言葉にハリーは大きくため息をついて、両手で顔を擦った。
しばらく押し黙っていたが、やがて煙草を咥えて火を点けながら俺に言った。
「コーヒーを淹れろ……」