20:30 キャンディ お店のパーティに顔を出してから行くからそっちに着くのが遅くなる──。そうママに電話を入れたのは5時頃。 「キャンディ、バスの時間大丈夫なの?そろそろ行った方がいいんじゃない?」 マリーがあたしを心配して、そう声をかけてきた。 「バス停は歩いても近いしチケットも取ってあるし、ギリギリでも間に合うわよ」 本当はもっと早くパーティを中座するつもりだった。8時に再びママに電話し、食事を先に始めているよう頼んだ。 『ごめんねママ、愛してる。早く会いたいわ』 『お仕事だから仕方ないわね、気を付けて来るのよ』 優しいママ、大好きなママ。でも、ごめんなさい、仕事だなんて嘘……。 今日『ネオ・トリアノン』は休業にしていた。 パリ市民は皆家族で過ごし、観光客は有名な観光スポットに流れる。クリスマスイヴは毎年店を開けていてもほとんどお客は来ない。だから今日は身内と特に親しい地域の仲間だけのクリスマスパーティだった。 昼からアクセルとジョジョと3人で買い出し、帰ってからレディ・ジョーの料理を手伝い、その後コニーと店の飾り付けをやった。やがてレディ・ジョーの水商売仲間やお客以上の付き合いがあるお得意さんたちが集まり、賑やかにパーティが始まった。 いつもよりオシャレして、昔馴染みのおじさんたちと踊りまくって、お腹いっぱいご馳走を食べて、シャンパンを何杯も飲んで、くだらない冗談を言い合って大口開けて笑った。 みんなが居る。大好きな人たちの笑顔がある。楽しくて、嬉しくて、このままお開きまでお店に居たかった。 踊り疲れてカウンターで一息ついてたら、ジョジョが隣にやってきた。 「もう、飲み過ぎ踊り過ぎで目が回っちゃった!あんたもあれだけ飲んで踊りまくったのによく平気でいられるわね」 そう言うとスツールになだれ込むように座って、アクセルが出してくれた水をあおった。 ジョジョはあたしより一年あとに『ネオ・トリアノン』に入った。年はあたしより2歳上で、年が近いせいもあり他の誰よりもいろんな話が出来る同僚だった。そして、あたしなんかより夜の仕事のキャリアはうんと長い。仕事の事も、恋愛の事も、ジョジョはいつもたくさんのアドバイスをしてくれた。 「キャンディ、時間いいの?早く帰ってママを喜ばせてあげなさいよ」 「うーん、そうなんだけどね。なんかこっちが楽しくて、つい……」 あたしがそう本音を漏らすと、ジョジョは困ったように微笑んだ。 「キャンディ、家族はかけがえのないものよ?ママはこの世で一番あんたを思ってくれる人なんだから。“親孝行したい時に親はなし”って言うでしょ?親孝行するのも甘えられるのも今なのよ」 ジョジョはこの店に入る前、ゲイ専門のクラブでストリッパーをやっていた。それまでもゲイの息子を一家の恥と蔑んでいた両親は、ストリッパーをやっている事実を許す事が出来ず、ジョジョに絶縁を言い渡した。 そんな、家族を失ったジョジョの言葉はとても深くて重みがあった。 ジョジョだけではない、この店の人たちはみんな家族を持たない。レディ・ジョーは元から天涯孤独だ。アクセルも孤児院育ち、マリーは早くに両親を亡くし、コニーもまたカミングアウトしてから帰る家を失った。クリスマスに家族と過ごす──。そんな当たり前の事が出来るのはあたしだけなのだ。 「キャンディ」 レディ・ジョーに呼ばれて顔を上げる。 「時間切れだよ。行きな」 あたしは黙って頷いた。 コートを着て荷物を持ってきて、みんなと抱き合って挨拶をする。 「気を付けて行くのよ」 「ママによろしくね」 お得意さんのおじさんも抱き締めてくれて頬にキスをし合った。 「お前さんが戻ったらまた店に来るよ」 「ありがとう、行ってくるね」 その時、奥からアクセルがブルゾンを羽織って出てきた。 「バス停まで送るぜ」 「ちょ……いいわよ、そんなの。近いんだし」 「ばーか、こんな夜こそ物騒なんだよ。それにその荷物、一人で持てるのか?」 戸惑ってレディ・ジョーを見ると、早く行けと無言で促された。 キンとした冷たい空気に、二人ともコートの襟を立てて歩いた。 バス停は繁華街とは逆方向で、一本裏に入るだけでこの辺りは道を行く人もまばらだ。暗く寒く寂しい通りを歩きながら、隣に居るアクセルの体温に安心した。 「それにしても何?この大量の荷物!」 旅行カバンと別にアクセルは大きな紙袋を二つ持ってくれている。 「クリスマスプレゼントに決まってるじゃない。ママの分と、弟の分と、そっちはお菓子」 「げ!これ全部食い物かよ。太るぞ?お前の家族みんな」 「うるさいわね、太らないわよ!そういう体質なの、うちは!」 いつも通りのアクセルとの口論にも、あたしは何故だかホッとした。 アクセルとは本当の兄弟みたいだ。遠慮なくわがままを言ったり喧嘩したり。そして彼も少しも遠慮せずあたしに言いたい事を言う。年は同じだけど数ヶ月アクセルの方が上のせいか、兄貴みたいに頼もしく思える事がある。 バス停に着くと、アクセルはすぐ傍のキオスクに煙草を買いに行った。その間あたしは周りを見回す。同じようにバスを待っている乗車客はあたしを入れて10人も居ない。この人たちもバスに乗る理由はたぶんあたしと同じだろう。 さっそく一本煙草を咥えてアクセルが戻ってきた。 「今日は楽しかった。あーあ、最後まで居たかったなぁ。でもあれ、後片付けが大変ね」 「まあ、今夜はそのままにして明日やるさ。みんなも手伝ってくれるだろ。二日酔いじゃなかったらだけど」 あたしは気付いていた。アクセルは今夜ほとんど飲んでいない。周囲がハメを外して盛り上がっているからこそ、自分は正気で気を配る。いつもそうだ。だからみんなアクセルの元で安心していられる。 「……今夜ハリーが居なくて残念だったわね」 「あー、そだな。でもクリスマスじゃなくても会える時は会えるんだから、いいんだよ」 会いたいだろう、本当は、とても。ハリーの代わりになれる人は誰も居ないのだ。 バスが来た。あたしはその他の客と一緒に乗り込んで、窓際に座った。 外からアクセルが、窓を開けろと合図する。その言葉に従って窓を開けると、彼はブルゾンのポケットから缶コーヒーを出してあたしに握らせた。 「車内は空気が乾燥してるから、飲みながら行きな」 さっきキオスクで買ったのだろう、あたたかいコーヒーのぬくもりが両手の中でじんわり広がった。 「ママに甘えてこいよ、みんなの分まで」 クラクションをひとつ鳴らし、バスはゆっくり発進した。アクセルは数歩ついて来て、立ち止まると軽く手を振った。 ──みんなの分まで。 帰る場所のない社会のはみだし者たち。そんなみんなの想いを持ってあたしは出発する。 自分らしく生きる事の難しさを。 理解してくれる家族の存在のありがたさを。 そんな自分はどれだけ幸福なのかを。 あたしは『ネオ・トリアノン』のみんなの笑顔を思い出して噛みしめる。 窓から身を乗り出して振り返ると、アクセルはまだそこに立ってこちらを見ていた。おそらく、バスがそこの角を曲がって視界から消えるまで、そうしてあたしの背中を見送るんだろう。 優しいアクセル。寒いだろうに、早く帰ればいいものを……。 唐突に、涙がこぼれた。 「やだ、もう……。ダサい……」 ぬぐっても、ぬぐっても、涙は後から流れ続ける。バスが角を曲がってアクセルの姿が見えなくなっても、あたしは馬鹿みたいに泣いていた。 優しい人たちが生きる街──。ここもまた、あたしにとっての『帰る場所』なのだ。