23:45 アクセル

 パーティの開始が早い時間だったせいで、みんな10時にはだいぶ酔っぱらっていた。
 参加してくれた同業者のお馴染みさんや古くからのお得意さんは先程全員帰った。イヴなのに、みんなよく来てくれたと思う。中にはワインを1ダース差し入れて、30分程顔を出しただけで帰ったバーのオーナーも居る。
 多忙にもかかわらず、それでもこの店との付き合いを大切にしてくれる人々。レディ・ジョーの人徳ってやつを俺はしみじみ思った。
 フロアの真ん中では、スローテンポの古いポップスに合わせてマリーとジョジョがべったり抱き合って身体を揺らしている。オカマ同士のチークダンス。二人とも結構酔っているらしい。レディ・ジョーとコニーは強い酒を舐めながら、しっとりと大人のガールズトークに花を咲かせている。
 パーティの終わりはいつも物憂い。いつもの『ネオ・トリアノン』にしてみればまだまだ宵の口だが、賑やかな時間は終わりを告げ、25日は心静かにキリストの誕生を祝う。そんな、今日と明日が入れ換わろうとしている時刻。

 テーブルに散乱している食べ物や食器類からグラスだけを選んで下げる。片付けは明日あらためてやるとしても、この繊細なシャンパン用のグラスだけは今丁寧に洗ってしまいたかった。グラスに対する扱いはバーテンダーとしての責任ってやつだ。
「そんな事は明日にしなよ」
 カウンター内のシンクで洗い物をしているとそう声をかけられて、顔を上げるとレディ・ジョーがそこに居た。
「あんた、今夜は動きっぱなしだろう。少し休みな」
「あー、うん。とりあえずフルートグラスだけ洗うよ。明日ここが他の食器でごたごたになったら割っちゃいそうだから」
 特別な日用のグラスだ。これ1個で結構の値がする。
「なんか、裏方の雑用ほとんどあんたにやらせちまったね」
 レディ・ジョーはそんな風に呟くと、おかわりと言ってロックグラスを突き出した。
「いいって、裏方は俺の仕事だと思ってるから。それに今夜はスゲー楽しかったし」
 俺はそう言いながら差し出された空のグラスにバーボンを注いだ。
 今夜はみんなが笑顔だった。俺にとってはそれが何よりも嬉しかった。
 パーティの主催者はレディ・ジョーだが、従業員も招いた得意客も水商売仲間も、そしてレディ・ジョー自身もみんなが心底楽しいひと時を過ごした。
 この店のオカマたちは、キャンディを除いては皆帰る場所がない。レディ・ジョーにしてもそれは同じだ。今夜は一年の締めくくりとしての慰労会ではなく、本当の家族団欒のクリスマスパーティだった。
「あんたも楽しめたってならいいんだ。けど、乾杯の時くらいしか飲んでないだろ?」
 レディ・ジョーがロックグラスをひとつ取り出すと、それにバーボンを注ぎ俺に飲めと差し出す。俺は濡れた手でそれを受け取り、店主直々の酌をありがたく頂戴した。
「あんまり食べてもないだろ。ほら、この七面鳥も食べたのかい?メインディッシュなんだからちゃんとお食べ」
 レディ・ジョーがせっかちにそぎ落とす七面鳥の肉片を、手の水滴を払って摘み口に入れる。
「今夜はいやに親切で気持ち悪ィな……」
「……殴られたいのかい?」
「いえ!嬉しいっす!あーウマイ」
 それは本当に美味かった。昨夜からレディ・ジョーが下ごしらえをして丁寧に焼いた七面鳥だ。俺はしばし洗い物の手を止めて肉片を摘んでは口に放り込む。
「メシってさ、フォークとナイフで行儀よく食べるより、こんな風にキッチンで立ったままつまみ食いする方が美味く感じるの、何故だろうな」
「大昔、人は道具なんか使わず食事してたんだ。本当に美味い食べ方はこうやって手づかみで食べる事かもしれないね」
 
 ふいに子供の頃を思い出した。
 母親と過ごすクリスマスの料理は惣菜屋から買ってきたものばかりだった。俺を食わせるため、学校に行かせるため、娼婦だった母親は一日中客を取った。クリスマスも例外ではない。時間ぎりぎりまで商売をし、夜遅い時間に惣菜を両手いっぱいに抱えて帰って来た。料理する時間などはない。だが、俺との時間を作ってくれた母。
 半身の七面鳥やピザやポテト、そして小さなケーキ。その日一日稼いだ金はすべて惣菜に使っただろう。俺たちはそれらをテーブルに並べ、フォークも使わず手で食べた。もとよりチープな料理ばかりだ。手づかみでも構わない。
『ほらアクセル、七面鳥はこの部分が一番美味しいんだから。もっとお食べ』
『美味いね、かあちゃん。毎日クリスマスだったらいいのに』
 貧乏で、流行りのオモチャなど買ってもらえなかった。いつも俺は一人ぼっちで留守番をして寂しかった。それでも幸せな子供時代だったんだ、あの頃は。何故なら、母親と一緒に居る時の記憶は今思い出すと温かいものばかりだからだ。

「なあ、今夜は美味い料理と酒がたくさんあって楽しいクリスマスパーティだったけど、いいクリスマスってのは大切な人と過ごすって事じゃないかな。今夜はみんなが笑ってて、心から楽しんで、俺はそれがスゲー嬉しかったんだ」
「あたしのおかげだね」
 レディ・ジョーがにやりと笑うと俺も笑って頷いた。
「へいへい、認めるよ。あんたのおかげさ。いやホントに」
 母親は9歳の時死んだけど、その後出会った男の母親は生みの母と同じくらい愛している。ただし、愛しているなんて口に出したら気持ち悪いと怒鳴られ殴られるのがオチだろう。
「あたしたちより、あんたの一番大切な人はどうしてるんだい?」
 一瞬、何の事を言ってるのかわからなかった。
「……え?」 
「え?じゃない。ハリーの事だよ」
「あー、どうだろ。今日も仕事なんじゃね?」
 俺の呑気な反応にレディ・ジョーは大きく溜め息をついた。
「呆れた男だね、電話くらいしておやり!」
「電話って……この時間だとまだ仕事してるって」
 パリとワシントンD・Cの時差は約6時間。向こうは午後6時前だ。ハリーの事だ、家に帰っているとは考えにくい。そしてデスクワークであるとも限らない。
「仕事していたって、どこに居たって、誰にとっても今日がクリスマスなのは変わらないだろうさ」
「それはそうだけど……」
「電話に出られないなら出ないし、かけて来られて困るなら電源も切っているだろうよ」
 俺はハリーの仕事の妨げになる事だけは避けたかった。本音を言えば彼がつらい思いをしてはいないか、危ない目に遭ってはいないか、気がかりではある。でもハリーにはハリーの世界があって、俺はそれを尊重したいと思う。でも……。
「アメリカに居るとしたら、ハリーは今夜独りなんじゃないかい?」
 ハリーは独りなのかもしれない……。独りじゃなくても家族と一緒ではない。唯一の家族であるお母さんはパリ在住だ。こっちに来ているなら俺にも連絡しているだろう。
 俺はポケットから携帯を取り出してディスプレイを見つめた。
──ハリー、あんたは今頃どこで何してる?