The fire within the snow
(5)




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5、喪失

 翌日からは、普段どおりに仕事をこなした。ルカのその後が気にはなっていたが、努めてそれを忘れて仕事に集中することにした。
 一週間ほど経ったある日のこと、突然アニーの母から電話がかかって来た。夜だったのでどことなくよくない予感を抱いた。電話の向こうの彼女の声は半ばヒステリックに陥りかけているような、涙ぐんだ声だった。
「先生、アニーの病院から電話があって。アニーが危ないって言うんです。来て下さいますか……」
彼女の言葉に、私の心臓が跳ねた。
「もちろん。すぐ行きますので、気を静めて、事故などには気をつけて、病院へ向かって下さい。いいですね」
「はい、はい……。ありがとうございます、先生」
「では病院で。すぐ向かいますから」
それだけ言って受話器を置いたのだが、私自身も平常心とはまるでかけ離れていた。縁あるものの死を見取るのはそれが初めてではなかった。けれど、アニーのような幼い子の死には、慣れているとは言い難かった。フランシスにそれを話せば、訪れる死に違いなどないのだと言うだろう。それを超えて人は皆、神の国に入るのだから。
 車を運転し、病院の駐車場からアニーの病室へ向かった。そこにアニーの姿はなく、看護師が彼女はICUに入っていると教えてくれた。そちらへ向かうと、手前のベンチにアニーの両親が二人、寄り添ってICUの扉を心配そうに見つめていた。
「ラブレーさん」
私が声を掛けると、二人ともびくりと肩を震わせて、私の方を仰ぎ見た。彼らの心は、扉の向こうの娘の上にしかなかったのだろう。
「あ……、ジャン先生、わざわざ、ありがとうございます」
「アニーの容態は?」
私の問いに、ラブレー氏は首を振った。
「どうも肺炎にかかってしまったらしく、病状が一気に悪化したらしいのです」
「そうでしたか……。共に祈りましょう。アニーの苦しみが少しでも和らぐように」

 長い夜が過ぎていった。やがてほんのりと景色が白み始めて朝が訪れた頃、ようやくICUの扉が開いた。ストレッチャーに乗せられて出てきたアニーの身体には、もう命が灯っていなかった。
 そのことを噛み締め、泣き崩れるラブレー夫人の声を聞きながら、私は言葉をつむいだ。
「アニー・テレジア・ラブレーは、この世の苦しみから解き放たれ、神の国へと旅立たれました。彼女の魂が無事天の国にたどり着けるよう、祈りましょう」
アニーの安らかなその表情を見て、思わず声が震えた。それを抑えようと閉じた瞼から、一滴の涙が零れてしまった。死は悲しむべきことではないのだと口では解きながら、私に微笑みかけてくれたアニーの姿を思い出し、胸のうちが悲痛で満たされていくことを、止めることが出来なかった。
 いつも、私の声が素敵だと言ってくれた、気の強い小さな女の子。もうその声は聞けない。あのときの「きっと」の約束を、結局果たすことが出来なかったのだ。
 私の様子に気が付いたラブレー氏が、逆に私を励ますために言ってくれた。
「死は悲しむべきことではないのでしょう。ですが、別れそれ自体は、どうしたって悲しいものですよ。ありがとうございます、ジャン牧師。アニーもきっと天国で、貴方のその思いを聞き届けてくれています」
「すみません。――あなたの言う通りです、ラブレーさん」
ラブレー氏は情の深い笑みをたたえて、ラブレー夫人の肩を抱いた。
「あなたが葬儀を取り仕切ってくれたら、それが何よりアニーの弔いになるでしょう。どうぞ、よろしくお願いします」
「はい」
ラブレー氏は気丈だった。私は彼の強さの前では、情けない弱い羊になってしまった気すらした。

 葬儀は滞りなく終わり、教会の近くの丘の上の墓地に、アニーは葬られた。ずっと悲嘆に暮れていたラブレー夫人は、葬儀が終わる頃には穏やかな様子を取り戻し、私に声を掛けてくれた。
「本当にありがとうございました、ジャン先生。アニーは先生のおかげで、とても安らかに眠ることが出来たと思います」
「ご心痛、なかなか癒えないでしょうが、どうかアニーの幸福を祈ってください。また何かあったら、いつでも教会にいらしてくださいね」
「ええ。クリスマスのミサには、きっとお伺いしますから」
 そして、それから休む暇もなく、立て続けにクリスマスの準備に追われることになった。受難劇をするという青年会の面々と賑やかに打ち合わせをし、その準備を手伝ったり、ミサの後の食事会の用意などもフランシスと分担して整えながら、忙しさに悲しみを振り返る暇もなかった。しかし、その労働の賑やかさが、私の心に溜まった澱を、追い払ってくれているようにも思えた。





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