森に来て5日目。夜明け前にふと目を覚ますとベッドにハリーの姿がなかった。
「ハリー?」
  声を張り上げて呼びかけても、家の中は静まり返っている。いよいよ心配になって起き上がった。私に身体を汚され続ける事が嫌になって歩いて屋敷まで帰ったのだろうか――。そんな想像が頭をよぎる。彼自身も望んだ事だというのは私の思い込みで、実はつらくて堪らない気持ちを我慢していたのだとしたら……。
  探しに行かなければ!と思い窓の外に目を向けた時、ハリーを見つけた。毛布で全身を包んだ姿は魔法使いか修道僧のようだ。向かう方角は屋敷ではない。私は小屋を出て彼の後を追った。
  朝靄が立ち込めていた。空気が冷たい。深呼吸すると肺の奥が冷気でぴりぴりと痛んだ。まだ太陽は顔を出していない。静寂の中を、早起きの鳥が飛び立つ羽音と鋭い鳴き声がこだまする。
  目的は、とくにないらしい。ハリーはのんびりした散歩のような足取りだった。こちらもゆっくり付いて行くと、道を逸れて木々の中へと入っていく。見失わないよう、少し足を速めて後を追うと、樹木が開けた草地にハリーが立っていた。しばらくその後ろ姿を見守っていたが、何をするわけでもなく、彼はただ黙って空を見ていた。
「――風邪ひくよ」
  そう声をかけて近付くと、ハリーは驚きもせず振り返って微笑みを返す。
「ベッドに居ないから心配した……」
  後ろから抱き締めて首筋に唇を寄せるとシプレの香りが仄かに香る。
「見て、ステファン……。森が青いよ」
  1年のうちで最も緑が濃くなるこの季節に、夜明け前の森は青一色に染まっている。大気の温度と、湿度と、靄が織りなす悪戯だろうか。あと何分続くかわからないが、おそらく太陽が顔を出すまで、今この瞬間の森は幻想的な煙る青だった。
「――此処が好きなんだ。この森はいつも綺麗で俺に優しくしてくれる……。アメリカに持って帰りたい」
  その言葉に、ズキリと胸が痛む。
「今は君が居なくなる話なんかしないでくれ……!頼むよ、耐えられない……」
  いい年した大人だが、そんな事を考えると泣きたい気分になってくる。
「ごめん――ステファン、ごめん……」
  ハリーが向き合って頬に手を触れてきた。思わず、詫びるハリーの唇を口付けで塞ぐ。毛布の合わせ目から手を忍び込ませると、ハリーは裸のままだった。厚い毛布のおかげで意外と温かい身体だ。口付けを深くしながら手を這わせ股間を撫でまわすと、彼は小さく呻いた。ほんの小さなその声に、自分の身体がもう熱くなる。
「今すぐ君が欲しい……」
「さっきしたばかりなのに……」
「もう何時間も前の事だ。――さあ」
  その場に共に座り込む。自分のズボンを下ろし、ハリーに跨るように言うと彼は躊躇う。
「深く入り過ぎると痛いから……」
「君の好きなように動いていいよ」
  その言葉にハリーは跨って私の猛ったものを自分の中に導いた。慣らしてはいなくても、数時間前に開かれた後孔はすんなりそれを飲み込む。すぐにハリーは腰を揺らし始めた。
「はぁ……あ、やっぱり……んんっ!だめ……森が……森が見ている……」
「なら――見せてやればいい」
「――ン、ッ!ああ……」
  私の身体の上で、ハリーは大きく脚を開いて踊るように動く。肩から毛布が滑り落ちて彼の裸身が晒される。青い森の中に浮かび上がった白い身体はぞっとする程美しかった。
  抱けば蕩けるようなハリーの身体に溺れた。健気で従順で真っ直ぐな彼を愛おしく思う。心も身体も綺麗過ぎるハリー。もう彼を手放せなくなってしまう。どうすればいい――?
「ステファン……ねえ……」
  ハリーが切なげな声で私を強請る。その求めに応じるため、彼の身体をそのまま後ろに倒し、脚を抱え上げて腰を打ち付けた。
  途端に上がる大きな嬌声に、鳥が驚いて飛び立つ。悦びに身悶えするしなやかな肢体。その凄絶な色香に眩暈がする。
「俺を……!愛……してる!?」
「愛している!ハリー!」
――どうすればいいのか教えてくれ!


  ハリーの身体を丁寧に毛布で包み、腕に抱いて空を見上げていた。空の色が白に変わる。無理をさせた……。彼は自分で歩いて戻るのは難しいだろう。
「――痛かっただろう?」
  ハリーは私の胸元に鼻先を押し付けて緩く首を振る。
「大丈夫……。それより森に全部見られちゃった」
「声も聞かれたな。君の色っぽい喘ぎ声に鳥がびっくりして逃げていった」
  そうからかうと、怒って真っ赤になったハリーに鎖骨を噛まれた。顔を見られて堪るか、と言わんばかりにぐいぐい鼻を押し付けて、完全に胸元に顔を埋める。そんな仕草が可愛らしくて堪らない。私は笑いながら彼の頭をかき抱いて、湯気が立ちそうな頭に口付けた。
「――見られてもいいじゃないか。私たちは森に見守られながら愛し合ったんだ」
「ステファン……」
「凄く君を愛している……」
  今この瞬間、言葉に出来ないくらい幸せだった。ハリーと共に寝転がる草の感触も、苔むした木々の匂いも、何よりこの腕の中の確かなぬくもりも、決して忘れはしないだろう。
「今日屋敷に帰るのが寂しい。もっとステファンと一緒にあの小屋に居たい……」
「いつでも来れるさ、これだけ近いんだ。明日だっていい」
  バカンスの時期だから出来る事だ。それでもモンティエ商会の重役である身としては、何日かは仕事の予定が入っている。かつては社長である父の役割だった事も自分が任されるようになったのだ。本当は一日たりともハリーと離れたくはなかったが、こればかりはしょうがない。
「たまに仕事に出なきゃならないけど、出来るだけ君と居たい。ハリー、君は?私と一緒に居てくれる?」
  可愛いハリーの頭を撫でながら恐る恐る伺いをたててみると、彼は嬉しそうに笑った。
「いいよ、居てあげる。でも、一度くらいは研究室のお母さんの所に顔を出さなきゃ」

   お母さん……。

  その言葉は唐突に、硬質な音を立てて胸の中に落ちてきた。
   お母さん……。マリー……。私のたった一人の姉であり永遠の想い人……。
   いっぺんに目が覚めた気がした――!
  私は一体どのくらいの間、マリーの事を忘れていた?ここ数日ハリーに夢中で、憧れの綺麗な少年を手に入れて有頂天になって、毎日獣のようにハリーの身体を貪って、快楽にどっぷり浸かっていた。30年以上愛し続けた女を忘れて……。
  何をしていたんだ、私は――!
  初めてハリーを抱いた時、マリーもろとも自分のものにした気がした。同時に、私を受け入れてくれなかった姉から大切な息子を奪って、汚して、どす黒い喜びも感じた。
  ハリーの事は愛おしい。手放したくない。この子が可愛くて堪らない。深く愛している。だが、マリーに受け入れてもらえなかった心の傷はそれ以上に深いのだ。

  あと何度ハリーを抱けば――どう彼を汚せば私の傷は癒える――?

  私を信頼して胸に甘えてくるかわいそうな少年をきつく抱き締めた。この子には何ひとつ罪はないのだ。
   ただ、マリーの存在があまりにも大き過ぎた……。


 

「ステファン?ステファンじゃないか?」   自分を呼び止めたその声に振り返ると、よく知った大柄の男が、よォ!と手を上げた。   5日間の森での休暇から戻って3日後。ハリーと二人でパリ市街まで買い物に出掛けた。とくに目的があるわけではない。ハリーと一緒に街中でデートがしたかったから、というのが本音だ。本屋から出て向かいのカフェに入ろうとしたところ、店の入り口でこの男に声をかけられたのだ。 「ロベール!久しぶりだな。今まで何処に雲隠れしていた?」 「君程じゃないけど僕も忙しい身なんだよ。ウチのチームがいいとこまで勝ち進んだおかげでフランス中を転々としていたのさ。――元気だったかい?」   大学時代からの旧友ロベール・バルテスは、そう言いながら人懐っこい笑顔で私の手を握り、肩を叩いた。 「ハリー、先に中に入ってなさい。すぐに行くから」 「わかった。席とっとくね」   そう言ってカフェの中に入っていったハリーを、ロベールが目で追った。 「――びっくりした……。メチャメチャ凄い美人だな、あの子……!一体誰だい!?」 ロベールはゲイだ。昔から男にしか興味がなく、いつも違う綺麗な男を傍に置いていた。その彼にため息をつかせ、ここまで呆けさせるハリー。その事に私は軽い優越感を感じる。 「私の可愛い小鳥だよ」   ウインドウの中では、席に着いたハリーが買ったばかりの本を開いている。ロベールは彼から目を離さず、成る程と言って微笑んだ。   この時はお互い時間がなくほとんど話も出来なかったが、ロベールが今夜飲みに行かないかと誘ってきた。半年ぶりの再会に、私は喜んでその誘いを受けた。   マレ地区にあるビアレストランは心地よい程度にざわついていた。時刻は午後11時。スタートが遅いパリの夜。ようやく酒が美味い時間となって周囲の客のテンションも次第に高まっていく。  店のコーナー席でロベールと私は再会を祝して乾杯した。 「いい色に日焼けしていると思ったら、本業を放ってサッカー三昧かい?病院は大丈夫なんだろうな」 「いいんだよ、病院は。他にも医師が居るんだから。準決勝まで行ったんだぜ?こんな快挙はチーム初だってのに仕事どころじゃないよ」   ロベールは身を乗り出し、目を輝かせてそう言うとビアグラスをあおった。 「相変わらず精力的な男だな、君は。そのパワーの源は何だろうね」   昔からロベールという男はエネルギッシュだった。恋愛もスポーツも仕事も、どれに対しても全力で突っ走る。それらをどれも楽しんでやるのだ。自分とは正反対のこの友人に、ある意味憧れすら感じている。大雑把な性格でお世辞にも上品とは言えないが、彼は誰に対しても分け隔てなく親切だった。気取らず気さくなおかげで誰からも好かれる男なのだ。本業は内科医で、自分でクリニックを開いている。数年前にはスポーツ整体の資格も取り、趣味でやっているアマチュア・サッカーのチームにも貢献していた。   目下、仕事以外で夢中になっているのはこのサッカーで、浮いた話はあまり聞こえてこない。 「ところで、今誰かいい人は居ないのか?恋をしていないロベール・バルテスなんてお目にかかった事がないぞ?」 「いい男に出会うにも、最近サッカーと仕事でさすがに手いっぱいでね。今恋愛は小休止して、たまにマダム・ジーラの店に行くくらいさ。そうそう、ジ―ラから君に伝言だ。たまには店に遊びに来い、とさ」   学生の頃はよくロベールと連れだってマダム・ジーラの娼館に足を運んだ。この男と男娼を奪い合った事もある。若かったのだ。今はもう金で女や男を買う気にはなれなかった。ここ数年は会社が忙しく、恋愛について考える事も忘れていたくらいだ。浮いた話がないのは、ロベールよりむしろ自分の方だった。 「でも、そんな必要はないみたいだな。昼間連れていたあの少年、恋人なんだろう?」   そう言われて思わず目を上げた。 「……私の宝物さ」 「めったにお目にかかれないような綺麗な子だ。幾つだ?」 「18だ――」 「18?――幼く見えるな。15〜16かと思ったよ」   心の中に悪魔のような考えが浮かんだ。 ――ロベールは優しい男だ。いつも恋人の身体を気遣っていた。しかも経験豊富なゲイの医者で、つまり男の身体を熟知している。そして何よりも……彼は実に好色なのだ。 「君が羨ましいよ、ステファン。正直言ってあんな美人を見たのは初めてかもしれない」 ――調子のいいところがあるから完全に信用は出来ないが、ロベールなら……。 「あの子を抱いてみるか――?」   心の中の悪魔が囁く通りにそう言えば、ロベールは弾かれたように顔を上げ、声も出ない程に驚いていた。 「ただし、私が同席しても構わないならだ」 「正気か?宝物なんだろう……?」 「宝物だからだ」   私の表情から、冗談で言っているわけではないと感じ取ったようだ。しばらくじっと目を見つめていたが、やがてニヤリと口元を歪ませた。 「――いいよ。そんな美味しい話なら願ってもない事だ。いつにする?」 「いつでも……。早い方がいいかもしれないな」 「では、明日の夜は?」 「……いいだろう」   ――この男だったら、きっとハリーを上手に汚すだろう。