心当たりを探すと言ってはみたものの、正直に言うと心当たりなどない。二人で行った事のある書店、ミュージックショップ、カフェ……。パリの中心部に、掃いて捨てる程あるそれらの店を片っ端から覗いて歩いた。
  バカンスシーズンのパリ中心部は観光客で溢れ返っている。この人混みの中から一人の少年を探し出すのは無謀な試みに思える。何処かの書店で立ち読みに夢中になり、時間も忘れていると思いたい。だが、辺りはもう暗くなっているのだ。その可能性は低い。
  誰かと一緒なのだろうか。考えてみればパリに彼の友人は居るのかどうか、自分はそんな事も知らない。ハリーとの共通の知人はロベール一人だけだ……。私は近くの電話ボックスに入り、ロベールの自宅に電話をした。
  電話には家政婦らしい年配の女性が出た。先生は出掛けています、と言う。仕事の関係でもサッカーチームの関係でもなく、遅くなるとだけ告げて飲みに行くような気軽さで家を出たという。行き先は聞いていません、と彼女は言った。礼を言って電話を切る。すぐにコインを入れ今度は自宅に電話を入れた。私と入れ違いに帰っている僅かな望みを託したが、ジョゼフの落胆した声にその望みも砕かれた。ハリーの友人について何か聞いた事があるか尋ねてみたが、それに対しても何も情報は得られなかった。
  もう10時になるのだ。ハリーは男でも、大人と変わらぬ背丈でも、まだ少年なのだ。世界的にも決して犯罪が少なくない大都市パリで、何らかの事件に巻き込まれた可能性がどんどん膨らんでいく。警察に……そろそろ届けるべきなのかもしれない。
  電話ボックスのガラス戸にもたれ、私は次第に絶望的な気持ちになっていく。悪い想像ばかりが脳裏によぎる。
――待て、あとひとつだけ。ロベールの行方だけがどうしても胸に引っかかる。
  慌てて内ポケットから手帳を出した。友人、知人、仕事関係……。膨大な数の名前を指でなぞる。自分とロベールの共通の友人で、日頃ロベールと付き合いが深く、彼の遊びのスケジュールもある程度知っているような人物……。その名と電話番号を見つけ、逸る気持ちを抑えてダイヤルした。
   アランという男。彼とはロベール以上に交流を持っている。そしてロベールの悪友で最近も一緒に飲み歩いていたはずだ。もう彼だけが望みの綱だった。
『やあ、ステファン。今パリかい?』
  相手はすぐ電話に出た。簡単に最近共に食事をした際の礼を言い合う。
「実は今夜ロベールと飲みに行く約束なんだけど、途中ではぐれちゃってね。現地で待とうと思うんだが店の名を忘れてしまったんだ。今夜、何て店に行くか、君は彼から聞いてないかな」
  クサイ出まかせが口からスラスラ出る。咄嗟の嘘だったがアランは上手く騙されてくれた。そして、それはこれ以上ないくらいの収穫となった。
『酒を飲む約束だったの?今夜彼はジーラの店に行くって言ってたから、飲むとしたら1階の“コマドリの褥“じゃないかい?ほら、マダム・ジーラがやっているバーの方……』

――マダム・ジーラの店だと?

「……ああ、そうだ!そこだよ!やっと思い出した。恩に着るよ、アラン」
  近いうちに飲みに行こう、というアランの誘いにふたつ返事で快諾して電話を切った。受話器をフックに置いた次の瞬間、電話ボックスを飛び出して走る。
  マダム・ジーラの店……。娼館に、今夜ロベールは行っている。先日の別れ際の会話を思い起こす。

『マダム・ジーラの店にあんな子が居たら間違いなく売れっ子になるだろう』

  今、私が考えている事は仮定に過ぎない……。何の根拠もない。想像が飛躍し過ぎている。だが、くだらないと笑い飛ばす事が出来ないのは、理屈では説明出来ない胸騒ぎがするからだ。
  私はマレ地区に向かって車をとばした。


  古い屋敷風の建物が多く残る一画に、瀟洒な3階建てのその店がある。1階にバーを配したプチホテルだが、メインの商売は売春宿だ。経営者のマダム・ジーラは年齢不詳だがかなり高齢のはずだ。若い頃は足繁く通った店だがもう何年も来ていない。この店は常に十数名の娼婦や男娼を抱えていて、驚く事に顧客の中には高級官僚も少なくないと聞く。
  店の前に車を横付けにし、バーを覗いた。結構混んでいる店内にロベールを探すが見当たらない。飲み物を運んでいる若い女を呼び止め、経営者の居場所を尋ねると少し待たされた後、奥から当のマダム・ジーラが出てきた。
「まあまあ!ステファン!随分お久しぶりだこと。来てくれて嬉しいわ!」
  数年ぶりの来店でも、ジ―ラは当然私を覚えていた。我々はもう20年来の知り合いだ。
「ジ―ラ……ロベールを探しているんだ、来ているだろう?」
「ええ、来ているわよ。なあに?彼に招待されたの?」
  招待?と怪訝そうな顔を、私はしたらしい。
「凄く綺麗な男の子を連れて来てくれたの。今日居合わせた人は幸運だったわね」
  私の、説明の出来ない胸騒ぎは現実のものになった。肋骨の内側で、心臓が痛い程打ち始める。
「……金髪で、青い目の少年?」
「そうよ。知っているの?早く行かないと終わってしまうわよ?」
  目の前が真っ白になってジ―ラの顔が霞む。
「……彼は、彼らは今、何処に……?」
「3階の一番奥の部屋よ。“芍薬の間”ってとこ……」
  ジ―ラが言い終わらないうちにバーを飛び出した。


  階段を駆け上がり3階の廊下を走る。分厚い絨毯が足音を消す。自分の足で走っている実感もなく夢でも見ている気分のまま“芍薬の間”の前に立った。中から微かに複数の人間の話し声と笑い声が漏れ聞こえてくる。躊躇せず勢いよくドアを開けると仄かな灯りの中に数名の男たちの姿があった。
  何名かがこっちをチラと見たが、私の姿を見ても興味なさそうに視線を外した。男たちは5人。ベッドの上で横たわっている一人を――全員で囲み覆い被さっている。彼らは獲物に群がるハイエナのように、頭を寄せ合って蠢いていた。“獲物”の姿は男たちの陰に隠れていて見えない。
「きつい締め付けだ。こっちが先にイカされそうだな……」
「綺麗な顔だよな……それに見ろよ、この肌。間違いなく上玉だ」
「おい、早く代わってくれよ」
  二人の男が1本ずつ脚を高く抱え上げ、もう二人は腕と身体を押さえ付けながら全身をまさぐっている。残る一人はズボンを下ろし下方で腰を揺らしていた。あきらかに一人を5人で輪姦しているのだ。
  男の動きに合わせて宙で揺れる細いつま先は……。凌辱者たちの身体の隙間から僅かに覗く見事な金の髪は……。たとえ顔が見えなくても、それが誰のものか瞬時に理解した途端、全身の血が一気に沸騰した。
「全員今すぐ此処から出て行け!」
  怒りが爆発し、部屋中に響く怒声を放った。――例えば今、銃を持っていたら私は躊躇わず彼らのうちの誰かを撃ち殺していただろう。ありありと、手に触れられそうな程はっきりと、私は初めて殺意というものを感じた。
  男たちは全員動きを止めてこちらを見た。奇妙な間の後に腰を振っていた男が言う。
「何だよ……あんたも楽しみに来たんだろう?一人占めしたいなら順番はまだ後だ。列には行儀よく並べってママに教わらなかったか?紳士らしく……」
「私はその子の父親だ!」
  その言葉に男たちは目を見開く。
「行方不明になっていた子供だ!さっき通報したからじき此処に警察が来る!」
  その言葉に彼らは互いに顔を見合わせた。そして次の瞬間、男たちは弾かれたようにベッドから飛び出す。もどかしくズボンを引き上げ、放ってあった上着を引っ掴むと先を争ってドアから出て行った。
  静かになった室内。男たちが居なくなると、私はベッドに駆け寄った。仰向けに横たえられたハリーの顔は真っ青だった。腹に、胸に、首筋に、さらに顔にも、彼の身体はいたる所白く濁ったオスの体液に濡れている。
   ハリーは意識を手放していた……。もう動かない身体を、男たちは知ってか知らずか、寄ってたかって押さえ付けていたのだ。手首や二の腕に残された赤い指の跡が痛々しい。
「ハリー……!」
  名を呼んで手を握ったが、ハリーは目を開けない。

「――最初は酷く暴れていた」

  もう誰も居ないと思っていた部屋の隅から声がして、私は驚いて振り返った。照明が届かない壁際のソファにロベールが座っている。
「おかげで少し傷を負ったと思う。まあ、気を失ってしまったのは彼にとってはむしろ良かっただろうね」
  どういう経緯かわからないが、ハリーを連れ出して此処に連れ込み、何人もの男たちに気絶するまで輪姦させた張本人……。医者でありながら、ハリーが傷を負う様を黙って見ていたというのだろうか。ロベールの顔には悪びれた様子は微塵もなかった。
  落ち着き払ったその顔を見ていると、もう自分を抑えられなかった。無言で彼の所まで歩み寄る。シャツの胸元を鷲掴みにしてソファから引き起こし、頬骨付近を拳で思いきり殴った。ロベールの身体が絨毯の床に叩きつけられる。
「――自分が何をしたかわかっているのか?」
  頭を振りながら上体を起こしたロベールを見下ろし、言い放つ。声が滑稽な程震えた。
「これは性暴力だぞ?君はケダモノみたいな男たちにハリーをレイプさせ、彼の尊厳を傷付けたんだ!」
「あっはははは!」
  途端にロベールが声を上げて笑い出し、私はたじろいだ。
「君の無礼を許そう、友よ」
  そう言いながら膝を立て、ゆっくり立ち上がる。見かけによらず力があるな、結構なパンチだ、と言って口元を拭う。
「ステファン、君こそ自分が何を言ってるかわかっているのかい?もともとこれは君が始めたゲームじゃないか」
「何!?」
「性暴力?彼の尊厳を傷付ける?じゃ、君が僕にさせた事は何だい?ハリーにとってはどちらも同じだよ?もっとも、恋人の手を介していないという事では、今夜の方がマシだったろうね」
  ロベールに突き付けられた真実に、顔面に水をかけられたような気がした。私の怒りは自分勝手なものだ。自分がした事とロベールがした事に違いはない。おまけに私は、私自ら行為の補助までしたのだ。ハリーはショックだったろう。当然だ、その時は彼を苦しめるつもりだったのだから。それがどんなに残酷な裏切りか、わかっていながら。
  ロベールの行いを受けて、ここでようやく私は自分の犯した罪の恐ろしさを思い知った。
「私には……君を責める権利はないな……」
  ロベールを殴った拳は、自分自身への怒りにさらに固く握られる。
「――今夜、この店に向かう途中、通りで偶然ハリーを見かけたんだ……」
  皮肉めいた薄笑いを浮かべていたロベールが、真顔になってぽつりと語り出した。
「車を停めて立ち話をした。この時、ジーラの店に行くのはやめてハリーをホテルに連れ込もうと思っていた。目の前に最上級の男が居るんだからね。これから付き合わないか?と言ったら躊躇していたよ。ステファンが心配するからダメかな?と訊くと彼、何て答えたと思う?……ステファンは俺が汚れる事を望んでいるんだ。と、そう言ったんだよ。微笑んでね!それを聞いて僕は予定を変更した。これから大人のパーティがあるから君に手伝ってほしい、そうハリーに言うと彼は黙って車に乗り込んできた」
  信じられないような、だが間違いなく事実であろう事の顛末に、私は手で目を覆った。
「ハリーは、来たらどんな事になるかわかっていて付いて来たんだ。もちろん喜んでじゃない。でも、これは彼が自分で選んだ事なんだよ」
――すべては私自身が始めた事……。自分の過ちを認めた時点で終わったと思った私は、救いようのない愚か者だ。自分で蒔いてしまった、歪んだ愛という名の種は、私が目を背けている間にも禍々しく成長しハリーをここまで追い詰めていた。
「ロベール……私は、馬鹿だ……」
「そうだよ、君は馬鹿だ。やっと気付いたかい?――僕は、ハリーは素晴らしいと言った。それは身体の事だけじゃない。もしチャンスがあったら今度こそ彼を貰うよ」
  もしかしたらロベールはハリーを愛し始めていたのかもしれない。考えてもみなかった。そして今回彼は、私に対する友情とハリーに対する愛情を、天秤にかけなければならなかったのかもしれない。そうだとしたら彼は私を選んだ事になる。私は二人を傷付けたのだ。
「すまない……」
  あれほどの怒りに支配されていた自分がロベールに詫びるなど、思ってもいなかった。
「僕よりハリーに言ってやれよ。かわいそうな子だ――君への想いにがんじがらめになって、自分の置かれた状況を嘆く事も出来ないんだ……」
  ロベールは上着を拾い上げドアへと向かった。
「馬鹿男たちが無茶をした。僕が付いていながら傷を負わせて申し訳なかった。軽い裂傷だ。洗浄して薬を塗ってやったらいい」
  それだけ言い残すとロベールは部屋を出て行った。


  なかなか目を覚まさないハリーを不思議に思った。それでも精液に汚れた身体を綺麗にしてやりたくて、熱い湯で濡らしたタオルを固く絞って拭いていく。
   後孔から出血していた。手酷いやり方をされたのだ。血と一緒に大量の精液が流れてきて思わず顔をしかめた。何人の男たちに何度貫かれたのか……。悔しさに唇を噛む。
   この時、身体の異常な熱さに気が付いた。高熱だった……。
「ハリー!目を開けて!ハリー!」
  呼びかけに、瞼がふる、と揺れて開く。世にも美しい宝石を久しぶりに見た気がする。
「――ステファン?……来てくれたんだ……」
「そうだよ、迎えに来た。家に帰ろう」
「……ごめんね……」
「何で君が謝るんだ?」
  何の罪もないハリーに謝罪を言わせたくなくて、彼の頭を胸に抱き締める。
「すまなかった!もう二度と君をこんな目に遭わせない!約束する……!」
  ハリーは小さく微笑むと再び目を閉じた。腕の中の身体が弛緩していく。彼の意識はまた闇に沈んでいこうとしていた。だが、何か言いたい事があるらしく、懸命に唇を動かす。
「……じゃあ……もう……」
  弱々しく、それでも苦労して言葉を紡ごうとする唇に耳を寄せる。そして、届いたハリーの言葉は……。

――お母さんを、許してくれる……?

  その瞬間、心臓が凍りついた。
――知っていた……。ハリーは何もかも知っていたのだ。
  それきり再び眠りに落ちたハリーの頭をシーツの上に戻し、私は両手で顔を覆った。