約束の5時には10分早く、アクセルの軽トラックは翠鳴楼の門の前に到着した。エンジンを止めて小夜啼が来るのを待ちながら、彼は空を見上げる。
 ここ最近めっきり陽が短くなり、空は薄桃色に染まりだしている。日中は秋晴れのすがすがしい好天で今も雲ひとつない。東の空にはもう白い満月が出ていた。
 やがて洋服を着た小夜啼が長いアプローチを歩いてやって来る。アクセルが、よぉ!と手を上げるが、小夜啼はいつものようににこりともしなかった。
「どした?何かトラブった?」
 隣に乗り込んできた小夜啼にアクセルが問いかけると、彼は別にと言った。
「ジーラや支配人や料理長、みんなで見送られただけだ。俺は子供じゃないのに」
 周囲が驚き心配するのも無理からぬ事である。今まで誰が誘っても外に出ようとしなかった小夜啼が今回は自分から外出の予定を告げたのだ。誰と何処へ?との問いに正直に答えれば意外な事に反対する者は居なかった。ジーラはむしろ喜び、料理長は笑顔でアクセルからはぐれないようにと小夜啼に念を押した。
「洋服姿もいいね」
「着慣れないと窮屈だな。変じゃないか?」
 シンプルなシャツを着、ズボンを穿いた小夜啼はごく普通の青年で、とてもナンバーワン男娼には思えない。花魁としての貫禄の代わりに妙に幼く見えて、アクセルは新鮮な驚きを感じていた。
「シャツだけじゃ寒いよ?完全に陽が落ちたら結構冷えて来る。これ着ろよ」
 そう言ってアクセルは自分の上着を差し出し、小夜啼がそれに袖を通すと自分が被っていた帽子も彼の頭に被せた。
「頭、小っさ!」
 帽子は小夜啼の頭には大き過ぎて、つばが目元まで隠してしまう。だが、人目を引いてしまう彼の顔が隠れるのは、どんな不埒な輩が居るとも知れない人混みで安心でもあった。
「可愛いな。何か靴磨きのガキみてぇ」
 アクセルは余計な褒め言葉を言ったばかりに、思いきり腕をつねられるという仕打ちを受けた。

「おいらのポンコツ〜、可愛いあのコを乗せーてー、どんな道でも止まらないさ、イエー!」
「音痴!」
 愛車の助手席に小夜啼が居る事が嬉しくて自然と鼻歌も出て来る。笑いながらダメ出しされる事もまたアクセルは嬉しくて堪らなかった。
「ごめんなー、こんなボロいトラックでさ。錆びてるしガタガタだし、せっかく小夜啼を乗せるのに酒屋のトラックなんて……色気ねぇよな」
「何で謝るんだ?面白いぞ?」
 サスペンションがイカレているため、タイヤが路面の凹凸を拾うたびにジャンプして頭を天井にぶつけそうになる。だが小夜啼はむしろそれを楽しんでいた。
「アクセル、あの人の列は何だ?」
 歩道を歩く何十人もの人々とすれ違った。プラカードや横断幕を持つ大勢の男女。行進しているわけではない。どの顔にも疲れが滲んでいる。
「デモ行進があったんだな。祭り会場の近くで集会があったのかもしれない。この時間だからもう帰る途中なんだろう」
“悪政を許すな!”“腐敗政治NO!”“人買い反対!”そんな文字がプラカードに書かれていた。
「新聞で読むだけだったけど、こういう事本当にやってたんだな。初めて自分の目で見た……」
 自分の国、自分の住む街の事なのに、と小夜啼はぽつりと呟いた。

 この街で大きな祭りは春と秋の年2回である。春は種まき時期に今年の豊作を祈願し、秋は収穫を祝う祭りで、いずれも農業に関係する行事だ。ただ皮肉な事に、当の農民は祭りに出掛ける余裕もないほど貧しい者がほとんどだった。昔は素朴ながらもすべての国民が祭りを心から楽しんでいたはずだった。
 二人を乗せた軽トラックは街の駐車場に入った。降りると道路の向こうはもう祭り会場である。
「凄い人混み……」
 小夜啼は祭り会場を眺めて茫然と言う。
「実際あの中に入ってしまえば揉みくちゃになるほどじゃないさ。賑やかな雰囲気も楽しいもんだよ」
「アクセル……」
 厳しい表情で通りの向こうを睨んだまま、小夜啼が唸るように言う。やはり帰る、と言うんじゃないかとアクセルはひやりとしたが……。
「絶対に俺から離れるなよ」
 その言葉に吹き出しそうになった。小夜啼らしい命令口調。どう考えても今は保護される立場のくせに、なるほどこういう言い方もあるか、と思うと可笑しかった。


 3日間の祭り期間中、この大通りは車両が通行止めされ歩行者天国となる。道幅の広い直線道路は簡易テントの店が背中合わせに軒を連ね、様々な物を売っていた。子供の玩具や日用雑貨、軽食店や甘味処、花屋、古着屋。生きた動物を売っている店もある。
 ちょうど時刻は夕食時という事もあり、二人は腹ごしらえをする事にした。串刺しの牛肉ステーキとビールを買い、立ったまま肉にかぶり付く。
「立って食べるなんて行儀が悪い」
 アクセルを横目で見て小夜啼は眉をひそめる。さすが一流娼館で育っただけあって小夜啼は上品なのだな、とアクセルは妙に感心した。
「たしかにそうなんだけどね。いいんだよ、こういう場所では。これが“祭りスタイル”ってやつさ」
「祭りスタイルか……」
 小夜啼はそう呟くとアクセルを見習い、意を決して牛串にかぶり付いた。
 イベント広場では大道芸人がジャグリングをしていた。玉の上に板を乗せそこに立ってバランスを取りながら、何本もの棍棒を宙に放ってはキャッチを繰り返す。最後に全部の棍棒をキャッチして決めポーズをとると観客から拍手が沸いた。
「さあ、お次は命懸けの大技!上手くいったらご喝采!」
 大道芸人は立方体の木箱を斜めに傾けて積み上げ、登っていった。助手が下から箱を放り上げ、どんどん高くなっていく。箱がぐらぐら揺れるたびに小夜啼はびくりと身体を震わせ、観客は息を押し殺して見守っていた。
 絶妙なバランス感覚で、危険かつ高度な技術である。最後に椅子を積み上げるとそこに座り小さなボールでお手玉を始めた。拍手が沸き上がるがまだ終わりではない。やがて大道芸人は椅子の上に逆立ちし、そっと片手を離してポーズをとった。
 途端に、わっ!と大きな歓声と拍手が沸く。大道芸人はひとつずつ箱を下ろして地面に下り立ち、両腕を大きく開くとひと際大きな拍手が鳴り響いた。小夜啼も顔を輝かせて懸命に拍手する。
「凄かったな!お前もやればいい」
「はあっ?」
「出来るだろ?木登り上手いし」
「無茶言うなよ!死ぬって!」
 どうやら小夜啼が本気で言ったとわかり、アクセルは冷や汗をかいた。

 大道芸で手に汗を握った後は露店を冷やかして回った。見る物すべてが小夜啼にとって珍しかった。台所用品、外国の古書、古着等を手に取り真剣な面持ちで吟味する。一軒一軒足が止まり、アクセルにこっちにも同じような店があるからと言われて進む、といった具合だ。
「変わった魚屋だ」
 小夜啼はそう言うとアクセルの手を引きテントの中に入って行った。
「いらっしゃい!綺麗な熱帯魚がたくさん居るよー!」
 小太りの男と、その女房らしい女が笑顔で迎える。テントの中にはいくつもの大きな水槽があり、色鮮やかな熱帯魚が泳いでいた。小夜啼はしげしげと水槽を覗き込み、顔を上げると真顔で店主の男に言う。
「綺麗なのはいいが、こんなに小さくては全然食った気がしないだろう」
 店主も女房も一瞬呆気に取られ、次の瞬間豪快に笑い出した。
「おいおい兄ちゃん、これは食い物じゃないよ。観賞用の魚さあ!」
「観賞用?」
「そうよ、優しく飼ってあげるの。可愛いでしょう?」
 女房が横から口を挟み、小夜啼はようやく納得した。
 この熱帯魚店は祭りの露店にしては意外と多くの品種を取り揃えていた。熱帯の国にしかいない肉食性の魚から宝石のようにきらびやかな種類まで、アクセルにとっても珍しい品種に見入ってしまう。
「アクセル!」
 突然、叫ぶように小夜啼に呼ばれ、アクセルは慌てて駆け寄った。
「見ろよ、こいつ!変な顔だ!」
 黒出目金だった。この辺で東洋の金魚を扱っているのは珍しい。
「おっ!兄ちゃん、お目が高いねえ。こいつはデメキンって種類だ。身体は丈夫だし飼い易いよ。愛嬌ある顔だろ?」
 店主の説明を聞き、再び水槽を覗き込んでいた小夜啼が突然声を上げて笑い出した。子供のような顔をして屈託なく大笑いしている小夜啼に、アクセルは驚いた。
 彼はこんな風に笑えるのだ。いつもの小夜啼は大人の顔で、時に宣教師のように、時にシニカルな顔で、感情の表現が薄い。だが、それらの表情は彼のほんの一面にすぎない。
――もっと笑ってよ、小夜啼。
「こいつ、出っ張った目で俺の事じっと見ている。なあ、アクセル」
「買ってあげようか?そいつ」
 アクセルの言葉に驚いて小夜啼の目が大きく見開く。
「金魚を飼うには水を替えたり水温に気を使ったり、結構大変だよ?それでもいいなら飼ってみるかい?」
 遠慮の言葉を聞くのはつらいと、アクセルは思った。だが、一瞬の間の後、小夜啼は嬉しそうに顔を綻ばせて大きく頷いた。
 小夜啼をじっと見つめていたという黒出目金は、“目の張り出しが大きく魚体も綺麗でハリもあり健康そのもの”という店主のお墨付きだった。
 出目金の他に金魚鉢も選ぶ。ガラス製の角型で、朱色の木枠で縁取った東洋的なデザインは小夜啼の部屋に合いそうだった。他に必要な機材と餌、それと飼育本も買う。
「金魚はね、一匹ずつ性格が違うのよ。それに頭もいいの。話かけるとちゃんとこっちの言ってる事がわかるのよ。可愛がってあげてね」
 店主夫妻の笑顔に見送られて二人はテントを後にした。

 金魚鉢が入ったビニール袋をぶら下げて、しばらく露店巡りをした後、二人は焼き栗を買って広場のテーブルでひと休みした。
 アクセルが栗の皮に爪を立てると、栗はパチンと音をたてて容易に剥ける。それを小夜啼の口に入れてやると、彼は「甘い!」と言ってもっと、と強請った。
「俺もやる」
 手を伸ばしてくる小夜啼の爪は綺麗に手入れされていて、指先まで美しさを求められる彼の仕事をアクセルは思い出した。
「ちょっと待て、これ結構力が要るんだ。爪が傷むからやめときな。ほれ、あーん」
 大きく口を開けて栗を待つ小夜啼を見てアクセルは笑った。
「ヒナ鳥みてぇ」
 やがて焼き栗に満足すると小夜啼は金魚鉢を覗き込んだ。
「こいつ、お前に似ているな」
「え、俺?何処がだよ」
「黒くてヒラヒラして、俺をじーっと見ているし」
「俺の目はそんなに出っ張ってないぞ?」
「よし、こいつの名前は“アクセル”だ!」
「マジかい……。でも本当に大丈夫?生き物なんか飼った事ないだろ?」
 一般常識に疎い小夜啼。金魚さえ見た事がなかった彼に、アクセルはつい不安になる。
「大丈夫だ、飼育本もあるしな。ちゃんと勉強して俺は金魚飼いのプロになる」
 顔を輝かせた小夜啼が力強く言い切る。アクセルは笑顔で頷いた。
 小夜啼はこの祭り会場にすっかり馴染んでいた。あんなに嫌っていた人混みもつらそうな顔をする事もなく、むしろ気分は高揚しているようだった。
「楽しい?小夜啼」
 アクセルが訊ねると彼ははにかんだ顔で、ああ、と言った。その言葉と彼の笑顔が嬉しくて飛び上がりそうになる。その時突然、アクセルはある事に気が付いた。
 小夜啼を喜ばせたくて、笑わせたくて、自分はいつもそんな事ばかり考えていた。幸せを与えようとする自分を意識し、事実わずかでもそう出来ていると思っていた。だが、実は自分の方が小夜啼から幸せを貰っているのだと気付く。
 この祭り会場に来る前から、まだ客として彼の部屋に上がる前から、いや、12年前のあの夏の庭で出会った時から……。誤魔化す事なく、はぐらかす事なく、嘘もつかない。小夜啼は常に真正面から向き合ってくれた。この春に再会してから、彼のおかげで自分は何度笑っただろう。こんな風に自分はいつも彼から与えられていたのだ。
 そう思うと、今まで受け身なのだと誤解していた目の前の青年が大きな男に見えた。

 今や辺りはすっかり暗くなり、会場の照明や提灯が煌々と周囲を照らしていた。暗くなってから人出も多くなり、宵宮はますます賑わいを増す。
「色んな人が居るんだな」
 小夜啼が賑わう露店の方に目を向けたまま呟いた。
「色んな職業があって、色んな家庭があって、人の数だけ人生がある。今笑っている人もつらい事を抱えていたり、誰かの事を好きになって泣いたりするんだろうな」
 問わず語りに語る小夜啼の横顔は大人びて見える。頬杖をつき、提灯の光に照らされる顔が綺麗だとアクセルは思った。
「今まで俺は知らな過ぎた。知らない以前に知ろうとしなかったんだ。此処に来る途中で見たデモの人たちに対してもそうだ。他人がどんな生活をしているかなんて俺はまったく興味なかったんだ。自分もこの国の一員なのに……」
 小夜啼の中で次第に膨らんでいく世界、広がりを見せつつある視野。その思いに彼の現実は遠くて、彼は苛立ち戸惑う。
「俺が出会った人間はほとんど客だ。そして、ほんの……ほんのわずかな人数だ。翠鳴楼を一歩出れば、街はこんなに大きくてたくさんの人が生きている。この街を包む国はもっと大きくて、その国を包む世界はもっともっと……。もう想像すら出来ない」
「……行ってみないか?」
 アクセルの言葉に、小夜啼はゆっくり彼に視線を戻す。
「俺と一緒に。この海の向こうまで、ずっと……」
 アクセルを見つめる小夜啼は、驚いているのか呆れているのか表情が読めない。
「飛べるだろ?」
 少しの沈黙の後、小夜啼は小さく笑った。
「飛べないよ。羽根を動かした事もないんだからすぐ墜落しちまうさ」
「大丈夫、あんたはもう飛べるよ。自分で気付いてないだけだ」
 それに対して小夜啼は何も言わなかった。
 アクセルもそれ以上話すのはやめた。彼には少し考える時間が必要だと思った。
 先日のステファンの言葉を思い出す。
『……彼をどうする気だ』
 アクセルにはステファンの焦燥感が痛いほど伝わっていた。想う気持ちは同じなのだ。
――それを小夜啼に選ばせるというのか、俺は。
 小夜啼が生きてきた19年間は長く、ステファンへの想いは深い。それは簡単に捨てられるものではない。他人が無理やりさらったとして、彼は心までさらわれてはくれないだろう。
 だが、小夜啼は本来、知恵と度胸がある。今まで足りなかったのは“知識”だけだ。
 居心地のいい鳥籠の中から高い空を見上げて羽ばたきをし始める鳥が、たしかに居た。
 
 夜が深くなっていくにしたがって祭り会場は次第に客層が変わっていく。小さな子供連れが少なくなり、変わって若者のグループが目立つようになってきた。
 若者たちの中には粋がったポーズだけの少年グループも居れば、タトゥーを見せつけて無言の威嚇をするチンピラも居た。彼らは祭りを荒らし目的で来ているわけではないとしても、近寄ると何らかのトラブルに巻き込まれないとも限らない。
 二人は充分祭りを堪能した事でもあり、ぐるりと折り返して駐車場に向かう事にした。
「この後どうする?もう帰らないとまずいかな?」
「いや、まだ大丈夫だ」
「じゃ、静かな店でコーヒーでも飲まねぇ?」
「いいな」
 アクセルは、小夜啼の身体が心配だった。初めて人混みの中を長時間慣れない靴で歩き続けた彼は、さぞ疲れているだろう。
 道路を渡って反対側に出、来た方向へと露店を横目に歩いていく。
「あ、古本がある。ちょっと見ていいか?」
 小夜啼が古書屋のテントを指差し立ち止まる。金魚の飼育本を物色したいとの言葉に、アクセルはふたつ返事で承諾した。
 小夜啼がゆっくり選べるようにアクセルはテントの外に出る。人の通らない支柱の陰に身を寄せ、煙草に火を点けた。ゆっくり煙草を吸いながら彼を待つ。
「小夜啼?ああ、知ってる!知ってる!」
 突然耳に飛び込んできたその名前に、アクセルは弾かれたように声の方を見た。
 古書屋の隣は飲み屋のテントだった。赤ら顔の男たちが思い思いにテーブルにつき、ビールをあおっている。
 アクセルのすぐ近くで、談笑している二人の中年男が居た。
「――けどよ、俺はこの国一番の美女は誰だって訊いたんだぜ?小夜啼っちゅーのは男だろうが」
「それがよ、女と比べても女以上にベッピンだって話なのさ。俺の商売仲間のお得意さんに金持ちの社長が居るんだが、その社長さんが小夜啼を買ったって自慢していたそうだ」
「へえ!俺ら貧乏人にゃ顔すら拝めないもんな。で?どんなんだって?」
「でな、色っぽいやらいい匂いがするやら、あっちの具合も最高だし可愛い声で“ああん”なんて啼くし……」
「俺ァそっちの趣味はないけどよ、そんなにイイんなら男も悪くねぇな」
「見た目もよ、白鷺の化身か白梅の精か、人間離れした美しさってやつ?腰なんてこう、こーんな風に細くってだな、すらーっと……」
「あーあ、夢だ、夢!俺らにはあの娼館の門さえくぐれねぇよ」
「だよなぁ……。お互い漬物石みたいな古女房で我慢するっきゃねぇか」
「漬物石たぁ上手い事言うな。やたら重くてそこらに転がってたら邪魔、ってな!」
 二人の男は豪快に笑い合いながら乾杯をした。
――早く此処を離れよう。
 小夜啼の顔を知っているのは実際客として会った者だけである。それでも、庶民の隅々まで彼の名は知れ渡っている。これほどの人出、これからの時間どんな輩が居るとも知れない。もし野蛮な人間に絡まれでもしたら。そして高級男娼だと知られたら……。
 そう思うとアクセルは居ても立ってもいられなかった。
 煙草を足で踏み消し、古書屋のテントを振り返る。
「小夜啼……?」
 さっきまで奥の本棚前に居た小夜啼の姿がない。
「小夜啼!」
 狭いテントの中には見当たらない。それでも人をかき分けて積んである本の間を縫うように探すがやはり居ない。アクセルは外に目を向けた。隣のテント、人々が行き交う歩道、通りの向こう――。
 小夜啼の姿は何処にもない。
「小夜啼ッ!」
 アクセルは、全身の血が引いていくのを感じた。